三人吉三巴白浪 こんぴら歌舞伎 2003、4、10

5日、香川県琴平町金丸座で開催されている「こんぴら歌舞伎」夜の部を見てきました。

主な配役
和尚吉三 團十郎
お坊吉三 三津五郎
お嬢吉三 時蔵
土左衛門伝吉 芦燕
おとせ 右之助
十三郎 秀調

「三人吉三巴白浪」(さんにんきちさともえのしらなみ)のあらすじ
将軍から名刀「庚申丸」を預かっていた安森源次兵衛は、何者かに「庚申丸」を盗まれそのため切腹。その長男は「お坊吉三」と名乗る盗賊となる。

大川端庚申塚の場
今宵は節分、ここは隅田川のほとりの庚申堂前。夜鷹のおとせが、昨晩若い客の落としていった百両と言う大金を持ち主に返そうと探し歩いている。すると後ろから振袖姿の若い娘が追いついてきて道を尋ねる。おとせが親切に道案内していると、突然娘は男となって物取りの本性をあらわし百両を奪っておとせを川に蹴落とす。

その百両を横取りしようと切りかかってきた男から奪ったのが名刀「庚申丸」。

するとそこへ打ち捨てられていた駕籠から男が出てきて、「その百両を貸せ」という。互いに名乗りあって判った名前は「お坊吉三」に「お嬢吉三」といううわさに聞いた盗賊同士。斬り合いになった二人の間に割って入ったのは所化くずれの「和尚吉三」と名乗る、名うての盗賊。

和尚吉三の鮮やかな仲裁で、その気っ風に惚れたお坊とお嬢は、三人で義兄弟の契りを結ぶ。そして百両の金は和尚が預かる。

割下水伝吉内の場
和尚吉三の父親、土左衛門伝吉は夜鷹宿(売春宿)を営んでいる。伝吉は、客が落とした百両を返そうと出かけていった娘のおとせがまだ帰ってこないので心配している。

じつは金を落とした客、十三郎は身投げしようとしたのを伝吉に助けられて今伝吉のうちにいるのだ。そこへ八百屋久兵衛に川から助け上げられたおとせが久兵衛に伴われて帰ってくる。

ところが久兵衛の話を聞くうちに伝吉は十三郎は昔自分が捨てた、おとせの双子の兄弟だと気がつく。久兵衛が帰ったあと和尚吉三が百両の金(実は十三郎が落とした金)を父親にやろうと持ってくる。しかし、伝吉は「どうせよからぬ金だろう」と受け取らない。

帰った振りをして、和尚吉三は「おとせと十三郎が実は双子で、知らぬ事とはいえ畜生道(近親相姦)に落ちてしまった」という恐ろしい秘密を盗み聞きしてしまう。百両の金をそっと仏壇の前において帰る和尚。だが伝吉は丁度来合わせた釜屋武兵衛を和尚と間違えその金を投げつけてしまう。

お竹蔵の場
金を持って逃げた武兵衛を追っかけてお竹蔵へやってきた伝吉は、武兵衛からその金を奪ったばかりのお坊吉三に殺される。その時お坊の小柄が死体のそばに落ち、それを十三郎たちが見つける。

巣鴨吉祥院の場
ここは和尚の住む吉祥院。追っ手を逃れて和尚を訪ねてきたお坊から、身の上話を聞いて和尚は「自分の父親こそ、お坊の親の敵だ」と気づく。そこへ十三郎とおとせがやってきたので、お坊は隠れるが話しを聞くうちに「和尚の父親を殺したのは自分だ」と言う事を知る。

和尚がおとせと十三郎を裏の墓場に連れて行った間に、お坊は死のうと決心する。その時本堂の欄間のところに隠れていたお譲も「自分が金を奪った相手は和尚の妹のおとせだった」と言う事を知り、二人で一緒に死のうと遺言を書く。

お坊とお譲が自害しようとするところへ、和尚が二つの切り首を抱えて飛び込んできて二人を止める。和尚が抱えたその首は、おとせと十三郎の首だった。

おとせと十三郎には「二人は兄妹だから夫婦にはなれない」ということを知らせないまま、和尚は「義兄弟の為に身替りになってくれ」と頼んだのだ。犬のようになって苦しみながら死んでいった二人。(それは二人の親伝吉がその昔「庚申丸」を盗んだ時に、殺した孕み犬の崇りだった)

その話しを聞いて、お坊とお譲は仰天するが、和尚はそもそもの因果関係を二人に話して聞かせる。お坊が殺した伝吉はお坊にとっては親の敵。又おとせを救ってくれた十三郎の養父、八百屋久兵衛はお譲の実の親。

お譲がおとせから奪った金は和尚から伝吉に返したのに、それを受け取らなかった伝吉が悪いのだと和尚は二人に説く。

はからずも畜生道に落ちた自分の弟妹は、それと知らない間に死なせてやる方が良かったのだから、二人の首を役人に身替りとして差しだすその間に、逃げられるだけ逃げてくれと和尚は二人に頼む。

本郷火の見櫓の場
あちらこちらから追っ手がかかって
行き場のなくなった三人吉三。とうとう「町の木戸は三人吉三がつかまったという合図の、火の見櫓の太鼓が鳴らない限り開けてはならない」というお触れが出る。

追い詰められたお坊とお譲はある雪の降る日、閉められた木戸をはさんで再会する。和尚が捕まったと言う話しを聞き、お譲は火の見櫓に登って太鼓を打つと、木戸が開かれて和尚が落ちのびてくる。

そこへやってきた八百屋久兵衛(実はお譲の父親)に、お坊は安森家を再興するためにと「庚申丸」を、お譲は十三郎のなくした百両を託す。三人揃った吉三たちは大勢の取り方に囲まれて最後の時を迎えるのだった。

金丸座(旧金毘羅大芝居)は江戸時代末期(1835年)に建てられた現存する最古の芝居小屋です。明治以降、政談演説会や映画館として使用されていましたが、建物の老朽化により閉館になりました。 1970年に国の重要文化財に指定され、ぼろぼろになっていたのを、今ある場所に解体修理して移築され、もとの姿を取り戻しました。

1985年、吉右衛門、藤十郎らが「この小屋で芝居をして見たい」と思い立ったのが、現在の「こんぴら歌舞伎」の始まりで、今年で19回目になります。

昨年に続いて、私にとっては二回目のこんぴら歌舞伎でしたが、あの昔ながらのほの暗い照明の中でみる芝居の不思議な魅力は他では味わえないものです。この芝居小屋は廻り舞台、すっぽん、天窓からの明かりの調節などを全て人力で行っているのだそうで、ボランティアが大活躍しています。(お茶子さんという座席の案内係も)

この日の「三人吉三」では自然光を使うことはなく、天井にずらっとつけられた提灯と紙燭だけの、ずっとほの暗いままの状態でした。この明かりで見ると役者の白い顔が青白く凄味を帯びて見えます。

それと廻り舞台も舞台が狭いためでしょうか、「居所代わり」(幕を開けたままの舞台転換)をすることはなく、そのつど幕をしめていたので、人力による廻り舞台がどんなものか見ることができなかったのは残念でした。

時蔵のお譲吉三は「月も朧に白魚の、かがりも霞む春の空〜」を「かがりに霞む」と言ってしまったり、初日のせいか最初の内は、なんとなく役に合っていないなぁと思いましたが、吉祥院の場からはだんだん良くなってきて中性的な魅力を感じさせました。

三津五郎のお坊吉三は、大川端の場で駕籠から出てきたところが良く、セリフも冴えていて御家人崩れのお坊にぴったりでした。

團十郎は交通事故にあったばかりと聞いていたので心配していたのですが、ちょっと顔が腫れていたような気がしましたが、危なげなところは全くなく立派な和尚吉三でした。

この小屋には仮花道が常設されていて、それが幕間にはお客のための通路になるのですが、今回「火の見櫓の場」の出で、お坊が本花道を、お譲が仮花道を使っての割りゼリフが大変効果的だったと思います。

火の見櫓の場でお譲が「吉の字菱」の帯を締めて、お坊と相思相愛だということを表していたのが面白く、いつもは気がつきにくいおとせと十三郎の犬の模様の襦袢や、犬手やだんだん犬になっていく様子がハッキリ見えて興味深かったです。

伝吉内で三人の夜鷹が三人吉三の真似をする面白いところ、初日のせいかセリフが入っていなくてガタガタになってしまい、ちょっと残念でした。しかし金丸座の平場の枡席はとても狭いので、一度座ってしまうと身動きできなくなり忍耐を強いられます。昔の人はよほど小柄だったのだと思われます。

この日の大向う

最初の内は全く声が掛かりませんでした。ですが和尚吉三の團十郎の出で沢山の「成田屋!」という声が聞こえたので、今日は大丈夫と一安心。

ところがまた掛からなくなってしまい、和尚が真ん中に立ち、お坊とお譲が両脇に座る見得では結局だれも掛けずに拍手だけ。そのうち黙って見ていられなくなった女性たちがボツボツと掛け始めました。

皆さん、かなり積極的にかけていらっしゃって感心しましたが、少しタイミングが早すぎたようでツケ入りの見得の時、ツケが全部打ち終える前に掛け終えてしまわれるのがちょっと残念でした。

それで和尚吉三がおとせと十三郎の首を両腕に抱え込んで花道に走り出てきて七三で見得をする時、ツケが打ち終わるのを待って、私も「成田屋!」と掛けてみました。

この日は座っていたのが前から三列目だったので、声を掛けるのを躊躇していましたが、歌舞伎座などと違って掛けやすい雰囲気が金丸座にはあります。しかし最初お掛けになった男性の方達は、どうして途中でやめてしまわれたんでしょうか。

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