忠臣蔵五・六段目 洗練された勘平 2006.10.11 W165

7日と10日、歌舞伎座夜の部を見てきました。

主な配役
勘平 仁左衛門
おかる 菊之助
定九郎 海老蔵
おかや 家橘
判人源六 松之助
千崎弥五郎 権十郎
不破数右衛門 弥十郎

一文字屋お才

魁春

「仮名手本忠臣蔵」のあらすじはこちらをご覧下さい。

今年の1月、大阪松竹座で20年ぶりに演じられた仁左衛門の「五段目・六段目」の勘平が、歌舞伎座で上演され、洗練された舞台を堪能させてくれました。

まず五段目、浅葱幕が振り落とされて仁左衛門の勘平が顔を隠していた笠を取る所では、すっきりと初々しく二枚目らしい面立ちがいかにも勘平そのもの。

台詞廻しの美しさも申し分なくやや甲高くきわだった感じが、仁左衛門に一番合った声域なので気持ちよく聞いていられます。前回松の木に突き当たった拍子に、火を消してしまうところがちょっとぎこちなく感じましたが、今回は全く気になりません。

前回の大阪では愛之助の定九郎は花道を出てきましたが、海老蔵は最初から稲村に潜んでいました。

海老蔵の定九郎は、目の下から眉じりにむかってに描いた吊り上った黒い線で凄みを強調し、なんとも言えない凶悪さをたたえている血走った目がぞっとするような冷酷さを感じさせました。それでいながら髪についた雨水を払うしぐさはほれぼれするくらい美しく、ただ一言の「五十両」の台詞も低音がずっしりと響き、花道七三でのうなり声をともなった破れ傘を担いだ見得は写楽の大首絵から抜け出したような迫力がありました。

反面、猪を異常に怖がる定九郎で、勘平に撃たれる寸前ぬかるみに足をすべらせるという演出ではなく、中腰でこわごわ逃げようとするのは、だれの型なのでしょうか。勘平が定九郎が首からかけた財布を取ろうとひっぱると、定九郎の上半身がそれにつられて持ち上がるというやり方もしていませんでした。

仁左衛門の勘平は大阪の時と同じように花道では鉄砲を撃たず、猪もぐるっと一周したりせずにまっすぐ通り抜けていきます。勘平の着物の裾で刀のさやを拭くきまりや、縄を腕に巻きつけてのきまりには爽やかな色気が感じられました。

六段目、おかるの菊之助は父親が帰ってこない不安でうつ向いた顔に憂いジワが目だっていましたが(7日)、まず第一に勘平を愛するおかるでいてほしいと思いました。美しく凛としたおかるでしたが、勘平への愛情という点で、少し物足りなく感じました。

この後与市兵衛の死骸が運び込まれ、おかやにお前が殺したのだろうと散々に責められる勘平。苦悩にあえぎつつも「いかなればこそ勘平は・・・」と千崎・不破の両人に申し開きをするところまで決してだれることなく力で押すこともなく持っていく手腕。仁左衛門の勘平はこの辺が本当に見事でした。

まばたきするのも忘れて見入るほど、気持ちの入ったしかも無駄のない演技は、これまで仁左衛門の培ってきた芸が身を結んだものだと思いました。腹を切ってからもこの緊張感は途切れることなく、与市兵衛を殺したのが自分でなかったことがわかったときの、心から安堵した嬉しそうな顔はこの悲劇の結末に救いをもたらしていました。

仁左衛門の勘平は、義太夫狂言としての様式や美しさを充分に生かし、しかも現代に通じる勘平の気持ちをあますことなく表現し、洗練されたお芝居を見せてくれたと思います。

仁左衛門のやり方では家に戻って浅葱の紋服には着替えますが、そこでは大小を持ってこさせません。後で不破と千崎がやってきた時、仏壇の下の押入れから布で包んだ大小をあわてて取りだし、布でほこりを払うわけです。その際、手がすべって刀が鞘走り、その刀身を鏡のかわりに髪の乱れを直すというやり方で、流れがとても自然に見えました。

ところで勘平が腹を切ったあと死相を表すために塗られることもある青黛ですが、仁左衛門の場合は二人侍が花道を出てくる間後ろ向きにうつぶせで倒れているとき、まぶた、鼻の脇、唇などに自分で薄く塗っているように見えました。義理の父親を殺してしまったというショックで、顔色が青ざめてくるということではないかと思います。

それから10日にはちょっとしたハプニングがあったようです。幕切れ近くに勘平が懐から出した血のついた縞の財布に五十両を二包み載せて、「仇討に役立てて欲しい」とおかやが千崎に渡すところで、本来なら千崎が「これで供養をしてください」と五十両だけおかやに返すところを、なぜか10日には縞の財布も一緒に返されていました。

この縞の財布は死んだ勘平の替りにと由良之助が仇討に携えていき、仇討成就のあかつきに判官の墓前に供えられるはずなので、これはたぶん手違いではないかと思います。^^;

今月の夜の部はこの後「梅雨小袖昔八丈」と、二演目だけの変則的な公演でした。幸四郎の新三は、出てきた時から、すでに性根が悪党だということを暴露しているような、ダミ声。そのために「永代橋の場」で、普通だと今まで親切だとばかり思っていた新三が、突然手のひらを返すように悪党の素顔をあらわすというところに全く意外性が感じられません。

大家の弥十郎と身代金の額を掛け合う時も、「おれもよっぽどふてえきだが」と時代にはり、がくっと「大家さんにはかなわねぇ」と世話にくだけるという型をとらず、ずっと時代でいって最後に大家に言い負かされて、勝奴と二人でゴロンと横転してオチ。段四郎の源七が、台詞を黙阿弥調に美しく張るのに対し、幸四郎の新三は低くこもってぼそぼそした調子。黙阿弥調の美しい台詞廻しを味わいたいと思っていると、肩透かしをくいます。

忠七はベテランが演じることの多い重要な役ですが、今回は門之助が抜擢され、新三とのからみでは良い感じの台詞廻しでしたが、橋の上の独白は台詞の美しさが十分にはでていなかったように思います。新三に「べったり印をつけてやらぁ」と額を割られるところでは、忠七の身のこなしが軽やかなので、ここでよくある台詞の待ち合わせがなく、スムーズでした。

大家を演じた弥十郎、勝奴の十蔵が新三うちの場ではつっこんだ芝居で大活躍でした。注目の肴売りは錦弥が演じましたが、「か〜っつぉ、かっつぉぃ!」の掛け声はまだ身体になじんでいないように思えましたが、鰹をさばく手つきはなかなか見事でした。

この日の大向こう

7日は会の方は3人で、どちらのお芝居にもたくさん声が掛かっていました。

「六段目」の幕切れに、突然一階中央やや上手から年配の男性が声を掛けられ、次の「髪結新三」では主に「高麗屋」に6〜7回ほど大きく声を掛けておられました。

勝奴市蔵さんの「大家さんがさっきから鰹は半分貰ったといっているのは、金も半分もらうということじゃないか」というところで、すかさず「片市!」と掛けられたり、いかにも年季の入った通の方でしたが、なおのこと一階ではなく三階から掛けていただきたかったなぁと思いました。

11日は「これ、よっく聞けよ」の新三の長台詞の前にたくさんの「高麗屋」にまじって「まってました」という声が聞こえていました。肴売りの錦弥さんの引っ込みに「錦弥」と女の方の声が掛かっていました。この日は会の方は4人いらしていて、一般の方も良い感じで声を掛けていらっしゃいました。

この日、海老蔵さんの定九郎には出からたくさん声がかかっていましたが、本釣がなるたびに、ほとんど全てのきまりでかかるのはちょっと多すぎじゃないかなと思いました。傘の見得だけは下座音楽がやまず、連続して次の動作に移るためか、声はかかりませんでした。

歌舞伎座10月夜の部の演目メモ

●「仮名手本忠臣蔵」 山崎街道の場・勘平腹切の場
 仁左衛門、海老蔵、菊之助、家橘、弥十郎、権十郎、魁春
●「梅雨小袖昔八丈」 幸四郎、高麗蔵、門之助、弥十郎、吉之丞、市蔵、段四郎


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