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アンチロマン  日付のない街    

 


《日付のない街》という小説が、つい最近ワード・プロセッサー版(感熱紙使用。二つ折り。約200ページ)で出版された。作者自ら製本と装丁をするという地下出版さながらの個人製作。今日は、知る人ぞ知る、知らない人は知らない無名の作者に、創作の裏話などを聞いてみた。

 

知識以前に態度が…        

特派員―この小説が個人製作になった理由は?

K―ある出版社に送ったが、黙殺されて、仕方なく。私的に本を作れるようになった時代だから、まあ、公にしないよりはいいんじゃないかな。[; 大館で芸術文化活動の中心になるためには絵描きより作家を前面に出した方がいい、と考えていた。それまで長編小説を出版社に送ったことはない。]

特派員―黙殺とは、何だか物騒な連想をさせる言い回しですね。

K―日本のいわゆる知識階層の知的水準を考えれば、自然な結果だろうね。知的と言ったけれど、それの基盤である態度の問題にちがいない。失望はないよ。

特派員―新しい創造の宿命というわけですか?しかし、ぼくが読んだ限りでは、難解な小説ではありませんね。あなたが20代の初めに書いた最初の長編《円形彷徨》は、夢と現実が複雑に錯綜して眩暈を起こすようなシュールレアリスム風の作品だったが、数年後のこれは、現実のありふれた出来事を簡潔に描いている。

K―それは、第1部と第2部の〈日付のない日記〉が高校生の書いたものだからさ。難しい用語や文学的な新しい表現が使えないので、テクニックの冒険に関心を持っていたぼくは、普段誰もが使っている単純な言葉で複雑な観念や現象を具体的に、しかも正確に、表現することにかなり苦労したよ。

                              

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人称の問題…なぜ日記か?

特派員―3人称で書けば、別にそんな制約はないでしょう?

K―そうだね。しかし、テーマが1人称を、おまけに日記を要求するんだ。

特派員―主人公の高校生は、ガールフレンドが突然行方不明になって、《うわさ》に悩まされるけれど、噂という曖昧な現象を個人の主観を通して描くのは、常識とは逆の方法ですね。第3者の客観的な記述こそが、主人公を含めた登場人物および読者にとっても、出来事の理解のために必要なはずです。

K―実際、主人公や他の数人の登場人物そして直接触れられない人々も、何が本当に起きたのか、現に起きているのか、これから起きようとしているのか、分からないために不安や恐れを感じたりして苦しむ。今、真実を知ることができればできれば、そういう状況は起こらない。だが、それこそ非現実的なことだろう。社会のさまざまな事件や自分の人間関係などの些細な出来事を振り返ってみても、想像的な部分が非常に多い。読者も例外ではありえない。

特派員―ぼくなんか、それでいつも苦労してる。自分の判断が正しいのかどうか迷ったりして…         

K―そう。日記で描くと、状況はよりいっそう主観的になる。主人公が何を書かないか、ということも当然疑っていい。

ダレナニ―主人公の友だちがこう言いますね。〈主人公の登場が幕を下ろした。〉彼は、普通の小説と違って、〈自分の物語〉の外にいて、その中に入ることも物語の内容を知ることも、ほとんどと言っていいほどできない。

K―そればかりか、噂の主人公であるのかどうかさえ、疑わしい。物語は必ずしも一つじゃないんだ。 

特派員―日記を書いている主人公は、その辺の状況を自覚してませんね…が、これは無理もないことだな。

 

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夢と現実の類似

K―主人公と関係なく、出来事が変化・発展してゆくからね。そして、主人公は、次第に他の物語を想像する危険に陥ってゆくけれど、懐疑的で意志が強いので、無責任な物語の語り手たちと同じ過ちを犯さずに済んだ。

特派員―それは、彼がガールフレンドの父のすでに忘れられた事件を知って、大して関心のなかった歴史に目覚めたせいでもあるでしょうね。主人公は無関心だった自分に罪悪感を抱くが、同時に、ガールフレンドの父が陥ったのと類似した状祝に取り巻かれている事実が明らかになる。それがぼくには面白かったですね、過去と環在のオーヴァー・ラップが。事件が正しく解決されていたら、反復は避けられたかもしれませんね。

K―その通りだ。歪められた歴史は真実を求めるんだ。正しい解釈を、ね。さもなければ、どこかに矛盾が生き続けて、ちょうど夢のようにそれとなくさまざまな表現を取る。なぜ直接表現されないかと言うと、何んらかの抑圧があるせいで、他のことに隠れて現われなければ、決して表面に出られないからだよ。               

特派員―すると、《うわさ》は一種のメタフォール(隠喩)的表現なんですね!なるほど…ぼくは《円形彷徨》とのあまりの相違に驚いたけれど、夢という共通性があったんだ。    

K―醒めながら見ている夢だけれどもね。直接触れていないが、出来事の記述には夢のメカニズムを参考にしてる。

 

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メビウスの環          

K―ところで、君がさっき言ったように〈自分の物語〉から疎外されている主人公では、噂という仮象を自然に描くことが非常に難しい。舞台はどこにもあるようでどこにもない。噂をしている他人たちを登場させても、内面まで知ることは不可能だ。…しかし、主人公もある物語を想像(あるいは創造)している一人だと考えれば、彼が書き綴る日記の中に噂という仮象の本質を描くことができるはずだ。つまり、なぜ言葉による表現が人間存在に必要なのか、言語表現とは何なのか、ということさ。

特派員―それは、柔弱な主人公が次第に自覚して大人になってゆく展開と関係があるようですね。ぼくも、書くことがどんなに大事か、改めて考えさせられました。喋るだけじゃいけない。特に〈被害者〉と〈加害者〉、主観と客観という対立するものが、表と裏が一つに繋がるメビウスの環のように移り変わることを認識する必要がある。ところで、第3部の〈消えた消しゴム〉は誰が書いたか分からないノートですが、〈発行者の後書き〉にこれは小説だとある…出来事からモチーフを得た虚構なんですが、読んでる時は、楽しい喜劇仕立ての解決編のように思いました。どうして小説でなければならないんでしょうか?

 

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噂から物語、小説へ

K―もし名誉などに囚われないで内的な必然性にしたがって小説を書いたことがあれば、そんな疑問は湧かないだろうね。小説という形式がなぜ発生したのか…神話や伝説などを人々が互いに語り合うだけでは、十分じゃなかった。文字で記録しなければならなかった。それは、カッシーラーの《国家の神話》によると、現実の客観的な認識のために必要だったんだ。しかし、現実が曖昧で流動的な危機的状況の場合、自分が生きている今この時が問題になる。出来事の内側にいて、それを認識するためには、とらえがたい全体を反映する何かが必要だ。象徴や隠喩といったイマージュには、そういう機能があるね。小説という虚構形式も同じなんだ。 

特派員―作者は、それで出来事の因果開係をまことしやかに説明しようとしていますね。           

K―日記の登場人物たちや市民は発行者が言うように〈物語の完成〉に失敗するが、彼の解釈には説得力があると思うね。

特派員―そして、主人公が作者に変様する、と言うか、移行する場面がある。ロブ・グリエ(Alain Robbe-Grillet)の小説を思わせる例のない前衛的な描写だけれど、新聞記者である〈ぼく〉がやがて別れた女と出来事全体を支配しようという虚無的な意志を持つところは、〈黒幕としての作者〉ヘの変貌を予感させる。その描写は凄味がある。まあ、学生時代からファンがいた人なので、ぼくは驚きません驚きませんが…。ただ彼は黒幕にはなりませんね。出来事の外側に出ない。

K―そう。この出来事には黒幕はないんだ。…〈消えた消しゴム〉は実際ロブ・グリエとアラン・レネ(Alain Resnais)の映画《去年マリエンバートで》からシチュエーションを借りてる。ぼくは書きながら、とても楽しかったよ。

特派員―題名からして、ユーモラスだな。ぼくはあまり笑わない方だけれど、何度も笑ってしまいました。しかし、再会したとき男と女が昔作った〈消えた消しゴム〉という名曲がついにピアノの鍵盤から流れないのは、とても残念だった。女が忘れたのかどうか、ストーリーのほとんど最初から最後まで他の〈知らない曲〉ばかりで。

K―あの小説のシックなムードが〈消えた消しゴム〉のリズムとメロディの再現だと思ってほしいな。

 《日付のない街》は、大館と思われる地方都市が舞台である。題名もODATEの駄洒落で、〈零の日付〉に深い意味を秘めているようだ。あまり新奇さのない正統派の書き方だが、読み柊わると、やはりアンチ・ロマンだと思わずにはいられない。時々描かれる窓ガラスのイメージがこの小説の全体を象徴している感じだ。窓ガラスの向こうを見る、ガラスを見る、ガラスに映っている内部と自分を見る…

 

批評もまた新たな噂かな、と思わないでもない

      長木川上流社会特派員 ダレナニ

 

HHJ vol.10  1992.9.20

 

注記 ; 要点を明快にしたり表記をひらがなに変えたりした箇所がある。

 

1  metaphbore:一つの観念を表現するために、それと共通の性質を持つ他の観念を表わす単語を用いること.

 

 

 

□ 円形彷徨               [東京 1972~1973]

 

□ 日付のない

日付のない日記     

T 他人の墓の中で  U バス・ターミナル

                [東京 1974~1975]

消えた消しゴム         [東京 1976]   

発行者の後書き         [大舘 1985]

 

 1992823日 発行 

アトリエ ハーフ アンド ハーフ

 

説明と沈黙 / 沈黙と虚構 / 沈黙の過程

 en passant --- 1997.6  vol :56

 

 

 

 

 

 

 

                                                                           

 

 

 

Atelier Half and Half