長野電鉄の保存車
長野電鉄は、屋代〜木島間の河東線と、長野〜須坂間の長野線、信州中野〜湯田中間の山ノ内線から成り、長野周辺は渋滞、安全対策のため1981年に地下化されたことで知られます。本線と支線の関係は時代とともに変化し、現在残るのはかつて支線であった部分を中心とする長野〜湯田中間です。
車両面では、過去に先進的な新車も導入しており、また小布施駅に「ながでん電車の広場」を併設して車両保存を行うなど、積極的な姿勢を見せていました。もっとも車両保存に関しては、近年相次いで解体、譲渡するなど、安泰ではありません。
保存車(トモエ学園)
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撮影:松川村(2018.7.18)
長野電鉄 デハニ200形(201号)
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撮影:松川村(2018.7.18)
1926年に汽車会社で製造された半鋼製車で、角張った車体は初期の鋼製車の特徴を今に残します。
最終的にはモハニ131に改称されていましたが、廃車後に保存されるに当たり、登場時の形式に戻されました。
2016年にオープンした安曇野ちひろ美術館に隣接するトットちゃん広場で、物語に登場するトモエ学園をモチーフに保存されることになり、移管されました。車内は、学校の教室を模した演出がなされ、荷物室から入って見学することも出来ます。
保存車(トモエ学園)
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撮影:松川村(2018.7.18)
長野電鉄 モハ600形(604号)
昭和初期の1927(昭和2)年に川崎造船所で作られた初期の全鋼製車。丸い屋根にお椀型のベンチレーターが特徴。
1981年に上田交通に譲渡され、その後保存のために長野電鉄に返却され、復元保存されていました。
2016年にオープンした安曇野ちひろ美術館に隣接するトットちゃん広場で、物語に登場するトモエ学園をモチーフに保存されることになり、移管されました。
保存車 長野電鉄 モハ2000形(2008号)+サハ2050形(2054号)+モハ2000形(2007号)
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撮影:小布施駅(2018.7.18)
2000系では最終増備車で、他の3編成よりかなり遅く、1964年に増備されたD編成。姿かたちは変わりません。
最終的に登場時の“りんごカラー”と通称されるデザインに戻され、その姿で小布施駅にある「ながでん電車の広場」に保存されました。
保存車
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撮影:長野市(2018.7.18)
長野電鉄 ED500形(502号)
昭和初期の国産電気機関車。1970年に越後交通に譲渡されましたが、1979年に保存のために返却され、小布施の「ながでん電車の広場」に保存されました。
その後、一旦、信濃川田駅に移されましたが、地元の企業に引き取られ、解体を免れました。
現在、やはり小布施にあった松川橋梁(明治時代の英国製のワーレントラス。国鉄で使用された後、長野電鉄北須坂〜小布施間に架設されていた)とともに、保存されています。
車両以外のもの
保存物件 車輪・転てつ器・発条転てつ器など
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撮影:須坂駅(2018.7.18)
須坂駅のホームの上に並べられたもの。意図的に置かれたようですが、今ではそのホームには入れず、説明板もよく読み取れません。
左端は車輪で、古い説明板によると、電化時に導入されたモハ101号(1626年製)の車輪。それが乗っているレールは、河東鉄道開業時の輸入レールだそうです。
中央部には転てつ器が3体、右側には発条転てつ器が3体並びますが、特に説明等はありません。
なお、写真の背景になっている8000系は、東急から譲受後の状態で置いてあります。中間車2両で、部品取り用でしょうか。
保存物件
「ながでん電車の広場」のある小布施駅ホームに置かれた大きな翼と鉄管。説明書きによると、長野電鉄の創設者により1926(大正15)年に建設された樽川第二水力発電所の水車と水圧鉄管であるとのこと。これを引き継いだ中部電力から、1993年に寄贈されたそうです。
樽川第二水力発電所の水車と水圧鉄管
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撮影:小布施駅(2018.7.18)
小林一茶句碑
おもて面には、一茶の句が書かれています。
いかこてら 都へ
出たり 丹波栗
一茶
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撮影:小布施駅(2018.7.18)
過去の保存車
保存車
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撮影:信濃川田駅(2018.7.18)
長野電鉄 モハ1000形(1003号)
終戦後の1949年に日本車輌で製造された運輸省規格型電車。窓の大きい17m2扉車。
特に大きく姿を変えることのないまま使用されてきましたが、地下線化などの関係で廃車となり、小布施駅に保存されましたが、現在、信濃川田駅跡に移されています。
(2019年3月に解体され、パンタグラフ側のカットボディが千葉県のポッポの丘に保存されています)
保存車 長野電鉄 モハ2500形(2510号)+クハ2550形(2560号)
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撮影:須坂市(2018.7.18)
長野周辺の地下線化に伴い、東京急行電鉄から長野電鉄に譲渡された東急5000系のうち、2両が須坂市の「トレインギャラリー」で保存されています。
10本あった2両編成のうち1980年に増備された最終編成で、正面のC10は編成番号。
最終的に、おでこの赤色、側面の「NAGADEN」ロゴなど、デザイン変更が行われた後の姿。
(2022年5月に、モハは保存のため総合車両製作所に移送、クハは現地解体されました)
保存車 長野電鉄 モハ2000形(2001号)+サハ2050形(2051号)+モハ2000形(2002号)
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撮影:信濃川田駅(2018.7.18)
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撮影:信濃川田駅(2018.7.18)
長野電鉄が1957年に導入したロマンスカーで、日本車輌で製造したWNカルダンの高性能車。転換クロスシートの2扉車で、廃車になるまで一貫して有料の特急電車として使用されました。
冷房装置が取り付けられた後、最後は登場時のカラーに復刻され、その姿で信濃川田駅跡に保管されています。
(2019年3月に解体されました)
留置車 長野電鉄 モハ3520形(3526号)+モハ3530形(3536号)
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撮影:須坂駅(2018.7.18)
3500系は元営団地下鉄日比谷線の3000系で、1993年から長野電鉄の主力車両として最大37両が活躍していました。
その中で、長野電鉄転入時に入れられた赤帯を消して“復刻カラー”とした2両編成が、須坂駅で保管されています。
(2019年3月に解体されました)
参考文献
- 朝日新聞社(1975)「世界の鉄道'76」
- 佐藤清(1998)「長野電鉄」(鉄道ピクトリアル98-4増)168-173