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久遠の空 −1枚の写真に寄せて−
「昭和」という響きがもう既に懐かしい過去のものであるかのようになってしまった今、「昭和」というのはすべてがレトロであり、レトロというのは「昭和」であるかのように語られることが多くなりました。しかし、「昭和」というのは64年もの長い年月をさすもので、とても昭和レトロの一言でくくられるものではありません。特に私たち昭和生まれの人間にとっては、昭和の各年代はそれぞれ全く別の時代であったはずです。
そこで、そういった昭和のある一コマを切り取った写真をご紹介するコーナーを作ってみました。
新横浜駅のあの時代(1979年)
撮影:新横浜(1979.9.15)
東海道新幹線新横浜駅をアンダークロスして八王子方面に向かう横浜線電車の写真です。
小学校の時に図書館で見た「電車のアルバム」という本に載っていた写真を真似て撮影したものです。“新しい”新幹線と“古い”ゲタ電との出会い・・・というのがテーマです。もっとも、これを撮影し終わった私は、下を走る横浜線電車の先頭車が全金属化改造車なので、「両方とも新しい電車だったな」などと思った記憶があります。
ところが今になってみれば、新幹線0系電車と国鉄72系電車といえば、どちらも古い電車にしか見えません。
そして更に、もっと多くの人が多分感じるであろう感想、それはここが新横浜駅なのかいう点ではないかと思います。今や横浜の新都心と言えるようになった新横浜。四半世紀前はこんな感じでした。東海道新幹線の新横浜駅は、横浜線しかアクセス手段のない野っぱらに作られた駅でした。東海道新幹線の駅の中では、岐阜羽島駅に次いで下から数えたほうが早い駅の一つでした。もちろん「ひかり」号は止まらず、「こだま」号だけしか止まらない駅でした。
「のぞみ」や「ひかり」が次々に止まり、大量の乗客が乗り降りする現在の風景を、この当時想像できるわけはありませんでした。
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