最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

高校の渡り廊下

11/8/2015/SUN

むかし〈都立高校〉があった、奥武則、平凡社、2004

むかし〈都立高校〉があった

1967年から1981年まで東京都で実施されていた高校入試制度、「学校群制度」を徹底的に批判する本。

経済格差の観点から本書の内容をまとめると、いわゆる新中間層の子どもが進学校合格者の大部分を占めている状態は、戦後一貫して変わらない。ただし、学校群制度の前は、大部分は都立有名校(旧制中学時代からあるナンバースクール)に進学していたが、学校群制度により、進学する学校群は選べても学校そのものを選ぶことができなくなったので、多くが私立一貫校に流れた。そのため都立高校に入学した生徒の学力水準が下がり、難関大学への合格者は激減した。

その反動から、現在は難関大学への進学に注力する進学重点校と呼ばれる都立高校がいくつか設定されている。現在は、200年代後半の不景気を受けて都立高校への志望者は増えている。


学校群制度は、各高校が旧制中学時代からもっていた伝統と「学校文化」、いわゆる校風まで破壊した、と著者は非難する。確かに志望者の個性も希望も見ず、試験の点数で自動的に合格者を振り分けていたら、入学してくる生徒の傾向も毎年違うものになる。「学校群制度」の狙いの一つはそこにあった。学力でも個性でも、学校間で均等に分ける。

著者が通った新宿高校や進学率の高い日比谷高校に集まっていた個性豊かな生徒たちは、他の学校にばらけて、結果として、都立高校全体が個性的で進学率も高くなる、という目論見をもっていた。その結果は、優秀な生徒が私立に流れただけという惨憺たる失敗に終わった。


疑問が一つ。「校風」は完全に消滅したのか。

先日、作家の朝井リョウが日経新聞夕刊のコラム「プロムナード」で都立国立高校の文化祭を絶賛していた。自作が演劇になり、観劇に行ったところ、その完成度の高さと生徒たちの熱意に驚き、感激したと書いていた。

都立国立高校の文化祭は都内ではよく知られている。三年生は全クラス演劇を行い、演出、大道具、外看板などを夏休みからたっぷりと時間をかけて準備するという。三年生は、夏休みに受験勉強ととるか、文化祭をとるかの選択を迫られる。多くの生徒が高校三年生の夏を演劇にかけると聞いたことがある。


三年生の演劇がいつ始まったのかは知らない。それでも、この「学校文化」は国立高校にしかないことは確か。学校群制度が廃止されたのは1981年。進学重点校制度が始まったのは2001年。「三年生の演劇」が進学重点校制度開始のあとに始まっていたとしても、10年以上も続いていれば、新しい「学校文化」が伝統化していると言えるのではないか。

いわゆる進学重点校は、国立の演劇のように、それぞれに特色をもっている。中学三年生は、文化祭や学校公開で各校の雰囲気を見て志望校を決める。三年生の演劇に憧れて国立を選ぶ生徒も少なくないだろう。

進学重点校の一つ、都立西高校で三年生が自主的に、次の新入生向けに非公式の学校案内『飛翔』を作っている。1975年から続いているという。始まったのは学校群制度の真っ只中ということになる。

最初は手書きで、いまはフォントで、独特な字体を使い、「西高生かくあるべし」が面白おかしく書かれている。30年以上続いていれば、十分に「学校文化」と言えるだろう。学校群制度を乗り越えてよく続いてきた。

その理由の一つとして、地域性があげられるかもしれない。日比谷高校は都立トップ高として都内全域、さらには周辺県からも受験生が集まる一方、西高校は杉並区と隣接する世田谷区、練馬区、武蔵野市、三鷹市からの志願者が多い。

志願者の地域的な均一性が学校文化の維持に寄与しているということは、この地域で、ある程度の文化資本をもった同質性の高い生徒が集まっているということを意味する


推測するに、学校群制度により、前からあった「学校文化」が一時的に衰退したものの、進学重点校制度により、徐々に復活してきたのではないだろうか。その理由は、入学してきた生徒の文化資本が高かったからにほかならない。

進学重点校に通っている高校生に聞くと、著者が1960年代の新宿高校で見たような、秀才はもちろん、多芸、才気煥発、など多様な人物が集まっているという。学力が高いことはもちろん、それ以外にも強い個性や技能をもつ生徒が多いらしい。

都立高校の「学校文化」は廃れてはいない。ただし、それは、かつてのナンバースクールから、一時、国立私立の一貫校に流れ、進学重点校に戻ってきたに過ぎない。社会階層と世帯収入の格差により作られた教育格差は変わっていない。

大学受験でも言えることだが、私立の中高一貫校に通わせたり、費用の高い塾へ行かせたりできる家庭の子の方が授業料の安い国公立大や都立高校に入りやすい。これはおかしい。例えば、授業料を傾斜配分にしたらどうか。世帯の年収により、富裕層からは多く、そうでない家庭からは安い授業料で入れるようにしたら、授業料の不公平感は減らせる。

傾斜料金は公団(UR)の家賃で使われている。


現在の入試制度は、学区がなくなったという点でかりやすくなっただけで、内申書の比率や進学重点校での自校作成問題の有無など、わかりにくい点が多い。入学試験の比率が中学校の成績である内申書よりもずっと高い。1割程度は、まったく内申書をみない枠もあるので、不登校で学校に通っていなくても自宅で学習していた生徒には門戸が開かれてはいる。もちろん、一般入試よりも合格点は高いので、この枠で入学するのは、かなり特別な生徒に限られる。確かに、進学重点校に指定された高校から難関大学へ進学する生徒は増えている。そうした生徒は、かつては私立一貫校へ進んでいた人たちで、教育格差の問題は解決していない。

いまの入試制度は、ほぼ入試一発勝負となっている。これは、15歳の中学三年生にとってはプレッシャーが強すぎるように思う。学校群制度の前、そしてその廃止直後では、第一志望校に落ちても、学区内の第二志望校の合格点をとっていれば、そちらへ進学できた。いまはそうした救済制度がない。

現在、国公立大学では、前後期の二回チャンスがあり、また同じ大学内で第一志望の学部に落ちても、第二志望の学部に入ることができる大学は少なくない。東京では、高校入試のほうが緊張度が高い。この状況はおかしい。

総じて言えば、現在の都立高校の入試制度は、大学入試よりも受験者に緊張を強いる制度になっている。

どういう制度が望ましいだろう。高校まではほぼ全入なのだから、生徒の学力と希望に合った公立高校へ行けるような制度がいい。少なくとも第二、第三志望までの救済制度はあるべきではないか。


中学校は後で責任を問われたくないものだから、進路指導はあいまいにしかしない。志望校を決めるのは家庭の「自己責任」になっている。結局、多くの生徒は学習塾がもっている過去のデータをもとに志望校を決めている。

進学重点校の合格者のほとんどは学習塾に通っている。入学してみたら、塾の同級生ばかりだったという話も聞く。塾に行かない、もしくは通信添削だけで進学重点校に合格したという話は聞いたことがない。

学習塾の費用は小さくない。文科省の調べでは、公立中学三年生をもつ家庭の学習塾費は26万円に上る(平成24年度調査)。

日本は諸外国に比べて公教育に対する予算が少ないことは、よく報道されている。

過剰な平等志向で無理やり学力差をないことにする学校群制度から経済格差が学力格差に直結する現行制度へ。都立高校の入試制度は極端に行き過ぎる。

その中間はできないものか。


写真は、ある都立高校の渡り廊下。