双体道祖神紀行 (信州2) |
筑摩野/塩尻/茅野 /その他 |
修那羅峠の姉弟像 長野県青木村 丸で道祖神のようだ |
信州の道祖神と言えば、先ず松本や安曇野が 思い浮かぶだろう。しかし、実は、筑摩野や塩 尻、辰野や諏訪湖を中心としたエリア、更に東 信地区にも広く分布しているのである。魅力に 満ちた双体道祖神の数々を探訪したい。 そこには各地方ならではの、風土や自然に対 応した庶民の暮らしや素朴な信仰が見えてくる だろう。 巧みな技術と豊かな信仰に支えられた、美し くも愛らしい双体神像が見られ、幸せや豊かな 収穫を祈る庶民の素朴な願いが込められている ことに気付くのである。 |
|
唐沢道祖神 |
(山形村) |
大池から北上した竹田の里の近く、波田町と の境界ぎりぎりの場所に立つ、いとも秀麗な双 体道祖神だ。北アルプスの東端や、松本平を隔 てて美ヶ原までが望める景勝地である。 双神の形態は祝言握手像だが、通常とはかな り異なっている。 最大の特徴は、姫神が横向きに膝を折り、左 手で男神の右手と握手していることだろう。 同じ石工の作と思われる隣村の中波田の神像 か、後述の小室下村の神以外には、ほとんど類 例を見ない珍しい構図である。 優しくすっくと立った男神と、慎ましやかに 控える姫神との微妙な距離がとても優雅だ。 よく見ると双神とも地に足が着いておらず、 何やら宙に浮いているようにも見え、特に姫神 は天女のようにすら見える。 拝するこちらの心までを、すっかり浄化され た気分にさせてくれる、まことに純な美しさを 持つ神だった。 弘化三年 (1846) の作。 |
|
小坂道祖神 |
(山形村) |
写真集などに数多く紹介された有名な双体道 祖神であり、やはりとても繊細で美しい像だ。 山形村の中大池から入った、殿という愛らし い里の辻に青面金剛像などの石碑と一緒に立っ ている。 信州では祝言像か肩抱き握手像が多く、ワン パターンとも言うべき様式だけに頼ったような 像ばかりの中で、これほどまで完璧に図案化さ れたデッサンで彫られたものはざらに無い。 優美な雰囲気が流麗な線となってデフォルメ されており、きりっとした統一感に満ちた清雅 な像となっている。 豊穣や夫婦愛を願った、庶民の憧れのスタイ ルとして描かれたであろう姿が、御所人形のよ うな装束であるところに面白さがある。どんな 素性の石工がどんな心理で彫ったのだろうか。 20年前、筑摩野の道祖神を探訪する旅でこ の像と出会って以来、私は道祖神に深い興味を 抱き、その行脚は今日まで続いている。新しい 世界に目を向けさせてくれた、忘れ難い傑作な のである。 「ロマネスク的」という言い方が有るとすれ ばこれを道祖神に捧げたい。抽象の美しさと信 仰、これがキーワードである。 寛政八年 (1796) の作。 |
|
下大池道祖神 |
(山形村) |
小坂と同一の作者。寛政七年 (1795) |
|
上大池道祖神 |
(山形村) |
嘉永五年 (1852) |
|
中大池道祖神 |
(山形村) |
寛政七年 (1795) |
|
下古見道祖神 |
(朝日村) |
下古見 村尻 |
|
上古見道祖神 |
(朝日村古見) |
山形村との境界に近い集落で、前述の針尾か らは数キロの場所である。 民家を背景にして、台座も含め2m程もある 大きな石に彫られた双体道祖神が二基建てられ ていた。 全体に彩色が残っているから、どうやら化粧 神かと思われる。訪ねたのは夏だったが、かな り色褪せているのは、秋にお化粧を塗られてか らかなり時間が経っているからだろう。 男神の一部の黒色と、全体に残る朱色が印象 的だった。ここの神が化粧された写真をどこか で見た記憶があるが、姫神が似ても似つかぬ大 黒天みたいな顔をしていたように思う。 どうせなら綺麗にお化粧した姿も見たかった が、反面彫られた像の表情が良く見えるという 功徳もあるかと諦めた。 確かに、磨耗の進んだお顔の部分などは、色 の塗り方によってかなり印象が違ってしまうだ ろう。 左右とも素朴な直立不動の肩抱き握手像であ り、どちらも姫神の長い髪が印象的である。 |
|
芦之久保道祖神 |
(朝日村古見) |
神明山麓 |
|
御道開渡道祖神 |
(朝日村) |
寛政五年 (1793) |
|
大石原道祖神 |
(朝日村) |
明治二十六年 (1893) |
|
上針尾 (1) 道祖神 |
(朝日村) |
針尾北村 |
|
上針尾 (2) 道祖神 |
(朝日村) |
朝日村は、鉢盛山の山裾東側に広がる扇状地 が町の中心だが、谷間と山岳地帯が町の大半を 占めている。車で走っただけで、この地区の産 業の中心は林業と果実栽培なんだな、と判る。 針尾という集落は鎖川の谷の入口に位置し、 役場や鎮守社の在る、この村の中枢である。 針尾中村という集落から少し離れた路傍に、 写真の双体道祖神が二基の小さな道祖神と並ん で建っていた。 肩抱き握手という様式は珍しくないが、双神 のお顔がまるで聖観音菩薩像みたいであること にびっくりした。 道祖神のお顔はほとんどの場合、その地区に 暮らす庶民の顔がそのまま写されたかのような 容貌をしているものである。 しかしここでは、信仰の対象としての神々し さを求めた結果が、観音石仏のような風貌とな ってしまったのだろう。豊穣・多産をイメージ する男女神を祀ったはずが、清純なほど無垢な 双神が出来上がったというわけだ。 なんとも優しく穏やかな、天保四年(1833)の 道祖神である。 |
|
本郷道祖神 |
(朝日村) |
本郷中部辻 |
|
下針尾道祖神 |
(朝日村) |
熱田神社前。天保十四年 (1843) |
|
中組道祖神 |
(朝日村) |
西洗馬中組天王 |
|
本村道祖神 |
(塩尻市) |
松本空港に近い集落で偶然見つけた。 |
|
横沢道祖神 |
(塩尻市洗馬) |
宝珠型のくり抜き。 |
|
下花見道祖神 |
(塩尻市洗馬) |
小曽部川に沿った集落。 |
|
大日道祖神 |
(塩尻市洗馬) |
年号不明。宝珠型くり抜き。 |
|
沢乃渡道祖神 |
(塩尻市洗馬) |
嘉永三年 (1850) 肩抱き握手像の傑作。 |
|
芦ノ田道祖神 |
(塩尻市洗馬) |
上段に〆縄、 左右に盃調子、下に魚 |
|
長崎道祖神 |
(塩尻市洗馬) |
文久二年 (1862) |
|
入花見道祖神 |
(塩尻市洗馬) |
嘉永七年 (1854) |
|
中村道祖神 |
(塩尻市洗馬) |
「かけおち道祖神」 と呼ばれている。 |
|
中町道祖神 |
(塩尻市洗馬元町) |
嘉永四年 (1851) |
|
洗馬上町 (1) 道祖神 |
(塩尻市洗馬上組) |
明治二十年 (1887) 白兎の飛ぶ波上の双神。 |
|
洗馬上町 (2) 道祖神 |
(塩尻市洗馬上組) |
松本から木曾へと向かう旧街道が、ちょうど 塩尻市を通過する辺りが洗馬と呼ばれる地区で ある。本洗馬上町の旧家の脇に祀られた、二基 の双体道祖神の内の一基が写真の像である。 この双体道祖神も、いかにも信州らしい肩抱 き握手像である。被っている冠は貴族的で立派 だが、衣装は全く大衆的である。いささか不自 然だが、そんな矛盾を感じさせない程、二人の 顔の表情が道祖神とは思えぬ位楚々として美し い。肩抱きの手もいいし、着物の裾から少し見 える足がとても可愛く見える。 背面に、正徳五年芦ノ窪という銘が入ってい る。この年号は西暦1715年で、道祖神とし てはかなり古い方に属している。また、芦ノ窪 とは現在の朝日村に有る集落で、当時流行した 道祖神盗みでこの地に移されたようだ。この事 例は珍しいことではなく、各地に有る。 いずれにせよ、かくも穏やかで、優しい相愛 の情を品位を保ちながら、さりげなく表現した 双体道祖神は滅多に見ることが出来ない。 |
|
下平道祖神 |
(塩尻市洗馬上組) |
安政五年 (1858) |
|
堀ノ内道祖神 |
(塩尻市堀ノ内) |
元治元年 (1864) 幣帛相合傘。 |
|
下西条道祖神 |
(塩尻市下西条) |
天保三年 (1832) |
|
上町道祖神 |
(塩尻市塩尻) |
永福寺の見える路傍。大胆な表現。 |
|
上辰野 (1) 道祖神 |
(辰野町) |
羽根崎中 公民館北方 |
|
上辰野 (2) 道祖神 |
(辰野町) |
明治三年 (1870) 堂村中 上部日月 |
|
宮木道祖神 |
(辰野町) |
仲町下町 諏訪神社前 上部日月 |
|
下田上手道祖神 |
(辰野町) |
西樋口上手村中 巻物に「天与是」 |
|
万五郎道祖神 |
(辰野町) |
伊那谷の辰野周辺には、質量ともに最もレヴ ェルの高い道祖神が集中しており、またその像 容のユニークなことは特筆に値するだろう。 また、万五郎に在るとされる道祖神は、訪ね る前から、その珍しくも親しみの持てる里名と 同じように、きっと愛らしい素朴な像に違いな いと想像していた。 そこは辰野の中心から、天竜川沿いに少し下 った所で、川を挟んでJR伊那新町駅の対岸に 位置している静かな山里だった。 写真の双神は農協の脇の辻に祭られていて、 安山岩で黒褐色をしており、かなり苔むしてい た。 しかし、全体の意匠は珍しいもので、見事な 彫りの肩抱き祝言像である。双神の上部に鶴が 舞い降りており、双神は亀の甲の上に立ってい るという、なんともめでたい表現である。 姫神が瓢箪の徳利を捧げ、男神が盃を差し出 し、肩を抱き合うという図は珍しくはないが、 肩からみえる手がなんとも微笑ましい。 銘は「万延元庚申年(1860)万五郎村中」と書 かれている。 隣りの集落である下田には三体の双体道祖神 が在り、明治期のものらしいのだが、日月を伴 い巻物を持った双神像だった。 |
|
下田道祖神 |
(辰野町) |
下田中村中 両神が巻物を持つ |
|
山際道祖神 |
(辰野町) |
樋ノ沢橋際 |
|
沢底道祖神 |
(辰野町) |
永正二年(1505) 最古の年号だが後刻? |
|
鴻田道祖神 |
(辰野町) |
鴻田下組路傍 珍しい磨崖道祖神 |
|
上野道祖神 |
(辰野町) |
この集落を通る道は昔からかなり栄えていた そうで、辰野から諏訪上社へと抜けるには山道 だが最短の旧道だった。 道を辰野方面にとりしばらく行くと、路傍の 山裾にこの愛らしい双体道祖神が立っていた。 決して技術的には上等とは言い難いが、様式 化された石工の作品よりも、この稚拙だが新鮮 な表現が成された像の方に思い入れが出来て妙 に捨て難い。 肩を抱き合いながら姫神の手を取る男神、素 朴な恥じらいを見せる姫神。なんとも美しい像 で、別ページで後述した群馬県中之条町の中村 道祖神に匹敵する傑作だろう。 本来の道祖神としての役目を忘れたわけでも ないのだろうが、作者はいったい何を求め何を 祈ってこの像を刻んだのだろうか。 豊穣への祈願が多産をイメージし、さらに男 女の婚姻や愛の形の表現へと昇華していったの だろう。 写真では判らないが、像の上部に御幣が線彫 りで刻まれており、それはまるで相合傘のよう に見えてくる。 像の右側に文化元年(1804)の造立銘が彫られ ており、私達にも鮮明に読み取る事が出来た。 |
|
小田井道祖神 |
(岡谷市湊) |
天竜川が諏訪湖から流れ出す岡谷の釜口水門 からは、諏訪湖西岸の山裾を通って茅野へ通じ る道がある。ここに湊という名前の地区が在っ て、やや小高い場所に石舟神社という鎮守が祭 られている。 この双体道祖神は境内に繁る杉の巨木を背に し、もう一基の小さな双立合掌像と並んで立っ ている。 大きな安山岩を円形にくりぬき、彫が深いの で見事に像を浮き上がらせてある。 まことに落ち着いた品位を感じさせる酒器持 ち祝言像で、妙な色気は全く無く、まるで双立 像のようにも見えてしまうほど清らかな印象を 受ける。 あたかも細い紐のように見える帯と立派な長 袖の表現が、他所では滅多に見る事の無い特徴 である。 双神の背後に御幣の様なものが彫られている が、これはこの諏訪地方では幣帛(ぬさ)と呼ば れおり、諏訪明神に捧げる飾りのようなものだ が、これを相合傘のように描いて彫った双体道 祖神は、塩尻から旧中仙道方面にまで分布して いる。 道祖神と諏訪信仰とを結びつける説もあり、 そういう意味では大変興味深い像である。 最後に振り返ってもう一度眺めたのだが、並 んで立っておられる足元が何とも可愛らしく、 ほのぼのとした気分になってしまったものであ る。 |
|
花岡北組道祖神 |
(岡谷市湊) |
湊花岡 |
|
鮎沢薬師堂 (1) 道祖神 |
(岡谷市川岸) |
どちらが姫神だろうか? |
|
鮎沢薬師堂 (2) 道祖神 |
(岡谷市川岸) |
裾の表現がチャーミング |
|
駒沢道祖神 |
(岡谷市川岸西) |
瓢に盃 上部に幣帛相合傘 |
|
駒沢中村道祖神 |
(岡谷市川岸) |
さりげなく寄り添う姫神 |
|
上浜道祖神 |
(岡谷市) |
享保二十一年 (1736) |
|
西堀八幡宮道祖神 |
(岡谷市) |
僧形合掌並立像 |
|
東堀正八幡宮 (1) 道祖神 |
(岡谷市長地) |
柴宮神社境内 上部に幣帛相合傘 |
|
東堀正八幡宮 (2) 道祖神 |
(岡谷市長地) |
柴宮神社境内 上部に幣帛相合傘 |
|
東堀正八幡宮 (3) 道祖神 |
(岡谷市長地) |
柴宮神社境内 |
|
神宮寺道祖神 |
(諏訪市) |
中州神宮寺 |
|
片倉道祖神 |
(伊那市) |
旧高遠町藤沢片倉 |
|
片倉薬師堂道祖神 |
(伊那市) |
旧高遠町藤沢片倉 |
|
玉川穴山道祖神 |
(茅野市) |
可愛い肩抱き握手像 |
|
芹ケ沢道祖神 |
(茅野市) |
延享三年 (11745) 左側にのみ銘。 |
|
柏原 (1) 道祖神 |
(茅野市) |
路傍の双体道祖神 |
|
柏原 (2) 道祖神 |
(茅野市) |
歓喜院前 盗難に遭って現在は不明 (1978年撮影) |
|
中村道祖神 |
(茅野市) |
向かい合った双神像 |
|
福沢道祖神 |
(茅野市) |
肩抱き握手像 |
|
鬼場道祖神 |
(茅野市) |
瓢と盃を持つ祝言像 |
|
北大塩道祖神 |
(茅野市) |
インド・カジュラホのヒンドゥー寺院彫刻と まではいかないが、この時代の日本で、これほ どおおらかに少しの厭味も無く、からっとした 表現が成されたことに驚きは隠せなかった。 双体道祖神には多産をイメージした性神とい う性格もあることから、直裁的な性行為を表現 した像も多数在る。しかし、のぞき趣味的な像 は好きではないので敬遠しているが、ここの無 垢な表現には正直恐れ入った。 我が家の壁に掛けてある、ピカソの名作“接 吻“を思い出しながら、裾から出た足が絡み合 っている有様なのに、何故こうも愛らしいのだ ろうか、と考えた。 少しもいやらしくないのは、像全体がデフォ ルメされた双神像だからなんだろう。 この場所は石碑や灯篭などが寄せられた町の 辻であり、婦人や子供達も大勢通る。拝むわけ でもなし気にする気配も一向に無い。 男神の表情、姫神の肩にまわした両手、姫神 の帯や絡んだ裾などの表現が好きで、忘れられ ない道祖神の一つとなっている。 |
|
南大塩 (1) 道祖神 |
(茅野市) |
明治三十五年 (1902) |
|
南大塩 (2) 道祖神 |
(茅野市) |
神官姿の肩抱き握手像。 |
|
南大塩 (3) 道祖神 |
(茅野市) |
小さな肩抱き握手像 |
|
南大塩 (4) 道祖神 |
(茅野市) |
こけし状の並立する双神 |
|
上菅沢道祖神 |
(茅野市) |
接吻道祖神の在った北大塩の南に、八ヶ岳や 蓼科高原への入口となる上菅沢地区がある。山 寺はそこにある集落で、村外れの鎮守の入口付 近にこの道祖神が祭られていた。 だが、ここの双神は今までに見たことの無い ような、不思議な格好をしている。 いったい頭にかぶっているのは何なんだろう と思ったが、どうやらこの地方で使われた防寒 頭巾であるらしい。顎の下で結ばれた紐や腰紐 の描写がとても繊細だ。 だが、それに比して、頭でっかちな容姿や、 子供のようにあどけない双神の表情、不細工に 握られた手などは、むしろ稚拙にすら感じられ る彫りだ。 像はアーチ形の石をやはりアーチ形にくり抜 いた中に彫られており、台座の角石に道祖神と いう文字と、文化三年(1806)の銘とが刻まれて いた。 茅野周辺の道祖神を探訪した私達は、奥蓼科 温泉郷の明治温泉に泊まり、大いに神の御利益 を授かったのだった。 |
|
野倉道祖神 |
(上田市) |
観光ポスターに使われて以来、上田の塩田平 や別所温泉を訪ねた人が必ず立ち寄る、比較的 よく知られた道祖神である。 だからといって内容の丸で無い観光道祖神か というと、とんでもない、信州中探したってこ れだけの傑作はそう有るものではない。 だが不思議な事に、上田市の千曲川以南は道 祖神の分布地域ではなく、この野倉のものが塩 田平では唯一なのである。 別所温泉から2キロの集落で、環境の優れた 場所に立っている大変美しい双体道祖神で、典 型的な肩抱き握手像である。 例の通りの正装で、男神は衣冠束帯、姫神は 十二単で優雅な雰囲気で並んでいる。 どんな願いを込めて造立されたのかは判らな いけれど、ふくよかな顔の表情が真に幸福そう なので、きっと、豊かな村の平穏がずっと続く ようにという祈願だったのかもしれない。 |
|
中原道祖神 |
(上田市真田) |
私達夫婦が毎春に志賀高原へスキーに行って いた頃、帰りのルートは決まって須坂から菅平 を越え、真田から東部町に抜ける裏道だった。 当時は新道が有料道路で、途中の出口を降り てから程近い中原の里まで、わざわざこの道祖 神を見に行った時の写真である。ということは 約45年以上前の写真ということになる。 この双体道祖神は当時からよく知られた存在 で、写真集などにも数多く取り上げられていた ものだ。 双神がとても素朴で愛らしいことと、衣の襞 の縦線が繊細で美しかったからであった。 私が訪ねた時ですら、既にかなり磨耗が進ん でおり、光線の具合も悪かったので、襞の美し さを巧く撮影出来なかった。 それでも何とか現実に近い写真は撮れていた ようで、襞の線はかすかに見える。 直立する双神と衣の縦線とに交差する様に、 姫神の瓢箪と男神の盃、そして不思議に細い腕 とが示す斜線が、静かな中に微妙な躍動感を表 現している。 ほとんど摩滅してしまったお顔からは、まこ とに清楚で優しい表情が想像されたのだった。 もう一度お会いしたい像のひとつである。 |
|
横沢道祖神 |
(上田市真田) |
寛政九年 (1797) 真田町長 巨大な酒器 |
|
常田 (1) 道祖神 |
(東御市常田) |
常田(2)の横 高さ60cm弱 |
|
常田 (2) 道祖神 |
(東御市常田) |
安政四年 (1857) |
|
湯沢道祖神 |
(佐久市望月) |
交差する手は? |
|
茂田井 (1) 道祖神 |
(佐久市望月) |
手つなぎ酒器像 |
|
茂田井 (2) 道祖神 |
(佐久市望月) |
酒器以外に何を持っているのか? |
|
茂田井 (3) 道祖神 |
(佐久市望月) |
花瓶の意匠が珍しい |
|
茂田井 (4) 道祖神 |
(佐久市望月) |
姫神が御幣を持つ |
|
布施道祖神 |
(佐久市望月) |
三角頭巾で、片手拝みの双神。 |
|
百沢 (1) 道祖神 |
(佐久市望月) |
火の見櫓の下 |
|
百沢 (2) 道祖神 |
(佐久市望月) |
優雅な貴族の衣装 |
このページTOPへ |
信州の道祖神 (1) へ |
石造美術TOPへ |
総合TOPへ 掲示板へ |