「同じ失敗を犯すほど、こちらも甘くないのでね」
研究と修正を繰り返してできた新型の傀儡に、裕一も相当自信を持っているのだろう。揶揄するような笑みを視界の隅に、桐紗は軽く傷めた右手首を振る。
――中身も強化するとは……片手じゃ無理か。
追いすがる傀儡の刃を避けながら、流突を脇に抱え、右手で左腕を撫でる。そこには、銃弾を浴びてできた小さな穴が空いていた。
その仕草に、裕一は何か不吉なものを感じたのか。
「何をしている……治癒の術など使えまい」
そう決め付ける裕一に、桐紗はこみ上げてくる笑いをこらえるような表情を向ける。
「世の中、広いんだよ……まあ、あたしは自分の傷は直せるだけだけどさ」
不敵に言い、両手で短刀の柄を握りなおす。
――とはいえ、全力で叩っ斬るとこっちの消耗も大きい。その隙を突かれると厄介だ。
面にはまったく表わさないが、桐紗は内心、裕一の用意の良さに舌を巻いていた。それにもともと傀儡の強化など、かなりの知識と術の腕前がなければできない。
――静見ちゃんに任せるか?
振り返ると、邪魔になるだけだとでも判断したのかいつの間にかスーツの男たちは別の部屋に消え、開け放たれたままの玄関までを見通すことができた。
――いや、そんなのは性に合わない!
ふたたび懐から石を取り出し、左手の中に転がす。
「何度やっても同じことでしょう」
嘲笑われながら、桐紗は石を投げる。一度ならず、二度、三度と。つぶては同じ場所をえぐり、先に埋まった石を奥に押し込める。
「何を……」
傀儡使いが眉をひそめる間に、桐紗は別の傀儡にもつぶてを投げる。
最初につぶてを受けた傀儡の傷は再生するが、少女は、それにもかまわない。次の標的の皮膚の下へ、石を投げ込むだけだ。
やがて、彼女は傀儡たちの攻撃を避け続けながら、ニヤリと笑う。
「織術って、べつに対象に触れる必要ないんだよね」
白い蒸気が舞った。
つぶてを受けた傀儡の内部から、爆発が起こる。想定していなかったその衝撃には、強化された身体も耐えられなかったらしい。
――ふう、地道な仕込が役に立ったな。
ぶつけた小石から引き出したのは熱ではなく爆発だった。その記憶を持つ石を集めるのは、ある程度当たりはつけられるものの、地道に歩き回る作業の末にできたことだ。
小さく息を吐き、前方に目を向ける。
残る傀儡は、裕一を守るようにたたずむ一体だ。その背後の青年の顔には、さすがに、わずかに焦りが見える。
石を手に、桐紗が駆け出す。
「くっ」
額に冷汗を浮かべ呪符を手にする男と、守るように待ち受ける傀儡。男がばら撒く呪符から何体もの傀儡が生まれるが、桐紗は見向きもせず、残り少ない石を投げる。
しかし、その石は熱を発することなく、傀儡の横を通り過ぎた。
狙いを外したのか、という驚きの表情で振り向く裕一の目に、金属のドアノブが砕ける光景が映る。
目的は、あくまで美佐子を助け出すことだ。桐紗は投げながら止まらず、奥のドアへと突進する。
術者の意思に従いそれを止めようと傀儡たちがざわめくものの、端から順に、見えない何かに両断されていく。
静見がゆったりとした足取りで、玄関から歩み入ってくる。
「あれを、倒したのか……?」
衝撃を受けている裕一を無造作に突き飛ばして、桐紗がドアを開けた。
やけに久々に思える顔が、薄暗い部屋から飛び出す。
「美佐子ちゃん!」
「桐紗ちゃん!」
少女二人が抱き合う頃には、すでに、傀儡たちは綺麗に掃除されていた。
ただひとり、部屋の隅で身を屈める青年が、暗い目で喜び合う少女たちを見る。
「賢いお前さんなら、引き際くらい、心得ているだろう。これ以上は無意味だ」
遠くから近づいて来るサイレンの音に耳を傾けながら、静見が淡々と告げる。
そのことばに、初めて相手の存在に気がついたように目を見開いて一瞥してから、裕一は美佐子をにらむ。
彼の目に宿る光の鋭さに、彼の姪は少し怯んだ。
「何故だ、美佐子……こんなおかしなヤツらといたら、キミは道を踏み外す! 不自由な暮らしを離れたくないのか」
「こいつ……」
桐紗があきれ半分、怒り半分の声を上げるのを遮って、美佐子が前に出る。
「裕一さん、本当にわたしの望みを叶えてくれるなら、わたしからお祖父ちゃんや今の生活を奪わないで。それに、二人を悪く言わないで」
怒りが恐怖を超えたのか、臆することなく、叔父にことばをぶつける。
「確かに、まったく別の生き方を選びたいと思ったこともある。両親もいない家は、悲しい、寂しいって……でもそれは、あそこでの生活が楽しくて、幸せだったからよ。だから失ったのがとても不幸に感じられたの。そして今、わたしは失いたくないものを過去に負けないくらい持ってる」
失って寂しいと思っていたものには、裕一の存在もあった。しかし。
――確かに、彼の手は、優しい声は、かつてわたしを慰めてくれたものだけれど。その手は、声は、今は大間先輩を操り、わたしをさらい、桐紗ちゃんたちを傷つけようとしたものでもあるんだ。
強い意志の輝く目が、相手の目には信じられないことのように映ったらしい。彼が知っている美佐子はたびたび泣いて帰ってくるような少し弱気な娘で、自分によく懐いていたはずだった。
「キミも裏切るのか。わたしを受け入れないのか。これほど大事に、これほど親切にしてやると言っているのに」
「あんたの親切なんて、ただの押し付けじゃないのさ」
桐紗のことばにも、裕一の目の奥にある危険な暗さは消えない。
もともと警戒は解いていないが、袖口に手をやる男の動きに、桐紗は美佐子を背後に庇い、さらにその前に静見が入る。
「今さら、こんな悪あがきを……」
あきれの声を上げる桐紗の前にも、傀儡の顔が並ぶ。ばら撒かれた呪符の数に従い、部屋に対して多過ぎるほどの姿がひしめく。
静見が一瞥すると、その一角が切り裂かれ、消滅した。
それでも、恐怖など感じる様子なく、大部分の傀儡は傀儡狩りめがけて殺到する。
ただ、ほんの一部、二体の傀儡は、別の動きを見せた。
感情のない目も、鋭い爪も、傀儡狩りや美佐子ではなく、それを操っているはずの裕一に向けられる。
「あ……」
――なぜ?
裕一本人と同様に、美佐子も身動きできぬまま、鋭い爪の先がのどへ近付いていくのを見ていた。
だが、予想された惨劇は、展開されない。飛び散った血も、わずかなものだった。
「もはや傀儡を制御するだけの精神力も尽きたか」
裕一を突き飛ばした静見の首筋から、わずかに赤いものが滴る。
「もともと、傀儡など人の手に負えるものではない。支配していたつもりが、喰われるのがオチだ。お前さんもすでに、少しずつ心を喰われておっただろう」
言いながら放つ念糸が、桐紗の刃が、傀儡たちを掃討する。
熟練した傀儡狩りの働きを、裕一は茫然と眺めていた。
パトカーが門の外を取り囲み、手錠をかけられたスーツの男たちが乗せられていく。警官の中には、はりきって指揮をとる三石真の姿もあった。
それを少し離れたところで一瞥して、美佐子は溜め息を吐いた。ここに来てようやく、解放された、という実感が湧く。
これから、やることはたくさんある。三石の計らいで早く解放されはしたものの、後日、警察に事情を聞かれることになるだろう。それを、傀儡のことを伏せながらどのように切り抜けるか。
そして、裕一のこともある。彼女個人としては、ただの誘拐犯だと言って切り捨てることはできない。少しずつでも、彼の心を理解したい――そう思う。
「それにしても……良く、ここだとわかったね、桐紗ちゃん」
ふと、頭に浮かんだ疑問そのままを口にする。
桐紗はとなりで、顔に苦笑いを浮かべた。
「ああ、町の中で隠れられるところは限られてるし、犯人の正体が身内だとわかったら、近くにいるだろうと思ったんだ」
どこか遠い目をして、今は普段からは考えられないほどひどく騒がしい、二階建ての建物を見る。
「それで、記憶にあったのがここだったから。ここなら、色々良くない感情が渦巻いてるし、人も近寄らないからね」
「そう……ここのこと、詳しいの?」
「そうだよ」
黒衣のまま、明りを避けて立つ桐紗の姿は、ほとんど、闇に溶け込むようだった。少し離れたところにいる静見もそうだが、目立たぬよう気配を殺した存在を見ると、美佐子は、相手がどこかに消えてしまいそうな錯覚を覚える。
「何せ、あたしは、この家で育ったんだ。八歳までだけどね」
突然の告白に驚くものの、それに口を挟むのははばかられる。黙って、親友の次のことばを待った。
「あたしって、もともと織術の才能豊かだったみたいでさ。でも、それがもとで余計なことを言って、両親は離婚した。それで、あたしは父さんとこの家に残されて……毎日、殴られて暮らしてたのさ」
拍子抜けするほど、淡々と続ける。
「それで、ある日の夜、いつも通り殴られてたら傀儡が来て、父さんを殺した。そして、あたしも殺された」
「……え?」
――でも、桐紗ちゃんは今ここにいるじゃない。
美佐子はそう言いかけて、何とか飲み込む。まずは桐紗が満足いくまで、最後まで口を挟まずに聞いていたかった。
「あたし――正確にはあたしじゃないんだ。矢内桐紗は殺された瞬間、どういうわけか、傀儡と同化したらしい。死に際って色んな能力が上昇するっていうし、あたしの場合やっぱり織術の作用だろうね……自分の形と記憶を傀儡に与えることになった、それがあたし」
桐紗は、少し寂しそうにほほ笑んでいた。
「つまり、矢内桐紗の記憶と姿を持った傀儡。それがいつだったか、『成長したい』と思って、色々な人の記憶を参考に成長するもうひとつの人格を作った……理解できた?」
美佐子は、自分がよほど愕然とした表情をしているに違いないと思った。
実際、桐紗の話に理解が追いつかない。それほど、衝撃的で凄絶だった。何かの物語でも聞いているならもっと冷静に理解できただろうが、これは現実だ。
「でも……桐紗ちゃんの、元の桐紗ちゃんの記憶は全部あるんでしょう?」
何を言っていいのかわからないまま、そう問いかける。
「ああ、全部覚えてるよ。あたしの存在は、記憶そのものみたいなものだから」
「そう……」
美佐子は、考えることをやめた。
――桐紗ちゃんが何者なのかなんて、関係ないじゃない。
「桐紗ちゃんは、わたしの親友の桐紗ちゃんよ。それは変わらない事実でしょう?」
自然と、ほほ笑みが浮かぶ。差し出した手を、桐紗は少し驚いたように見てから、あどけないような、嬉しそうな笑顔で握った。
それを、じっと立ち尽くしていた静見が振り返り、
「話は終わったか……帰るぞ」
と眠たげに声をかけると、いかにも早く帰って眠りたい風に、早足で歩き始めた。