宇宙船の紺の翼の下に備付けられた砲門が闇色の穴を向け、ヒルトに、以前ここに来たときの、ロボットの武器を思い出させた。光がその穴に収束していく光景までが、あのロボットから放たれる一撃に似ているように思える。
『動かないで』
その一言で、ヒルトは現実に引き戻された。ゼクロスの声が緊張している。それは凛々しくて、今まで聞いた声よりも感情豊かに聞こえた。
平然としているアルファと、立ち尽くす学生たちに向けて、光の帯が伸びた。
「やっ!?」
光が右肩のそばを通り抜けると、レミは尻餅をついた。恐怖さめやらぬ様子の彼女に、ゼンが駆け寄る。
「何するんだよ!」
彼は相手が何者か理解してはいなかったが、とりあえず声は目の前の機体からのものだと知り、声を荒げた。怒りの表情を作ってはいるが、その声の震えは、恐怖によるものも混じっているに違いない。
その背後に目をやったヒルトは、床に転がる、何かの部品のようなものに気づいた。友人たちの後ろから、その崩れた球体を拾い上げる。
「なに……?」
リンネがとなりからのぞき込む。ゼンとレミもそれに気づいた。
「サーチアイだ。つけられてたようだな」
アルファが振り返りもせず、淡々と答える。
『私を巻き込まないでください……アルファさん……』
ゼクロスもまた、アルファのことを知っているようだった。彼はまた、力のない、感情の薄い声に戻っていた。
「いつまでもこうしているつもりか? きみを求める者は、この宇宙に大勢いる……」
アルファの腕から、白い子猫が抜け出した。子猫は急いで宇宙船に駆け寄り、機体を固定している台に擦り寄る。
みゃー、という甘えた声を聞いて、ゼクロスは少し動揺したようだった。
『フーニャ……どうして……?』
ゼクロスが何かに強い関心を抱くのを、ヒルトは初めて耳にした。アルファは、こうなることがわかっていたのか。そう思って、彼は少女の白い横顔を見るが、何も読み取れなかった。
アルファは変わらず、静かな声で説明する。
「オリヴンの郊外をさまよっていた。もともと外にいたとは考えられないだろう。あの閉鎖空間も完璧ではないということだ」
『本当ですか?』
「本当に?」
驚きの声が重なった。ゼンやレミ、リンネにとっても、非常に関心のある話題である。ニュースで流れる映像だけとはいえ、リアルタイムで見ていた分、ヒルトよりも危機感が大きい。
アルファは、わずかに彼らを振り返る。
「どういう条件下かはわからない。しかし、去って行った宇宙船を見つけ出せば手がかりが得られるかも知れない」
「でも……いくら捜しても見つからないって……」
「星間ネットワークの外はまだ捜索されていないだろう。GPは性質上、そこまで捜索の網を広げるのは難しい。そればかりにかまっていられないし、リスクが大きいからな。それとも、ゼクロス、きみは、ロッティとランキムにそれを任せるか?」
再び、彼女はゼクロスに向き直った。
「彼らは迷っているようだが、いずれはやるだろう。彼らにその役目を押し付けて、きみは満足か?」
そんな言い方って……、と言いかけて、ヒルトは口を閉じる。今はことばを差し挟むべきではない。そんな空気が流れていた。
『私は……今の私には、それほどの力は……』
「キイを失ったからか?」
淡々とした問いに、ゼクロスは沈黙を返した。アルファは容赦なく、ことばを続ける。
「わかっているだろう、ゼクロス。すべては、きみの心の弱さが原因なんだ。きみにもっと強い意思があれば、〈リグニオン〉の者たちも助けられたかもしれない。だが、きみはキイがいないことを理由に、それをしなかった」
『そんなことは……!』
「きみは力がないと思うことで、自分を弱くして逃げる理由を作っている。ASが引き出すのは想いの力だ。今のきみは何も想わないよう、力を消すように努めている……。なぜ、キイを捜さない?」
『キイがその気になれば、決して誰にも捜せないでしょう……私が一番よく知っているんです……』
ゼクロスの声は苦しげだった。何か言ってやりたいと思うが、事情もわからない学生たちとしては、ここはアルファに任せるほかなかった。
「捜し続ける限りは、見つけ出せる可能性が存在する」
『わかっています……! 私は臆病で、卑怯者だと……! しかし、今の私は……こうして存在しているだけでつらい……』
ことばを告げるだけでもひどく疲れるのか、力尽きたように、声が小さくなる。
アルファは何を想うか。一度目を閉ざし、再び、強い意思の宿る目で紺の翼を見た。
「きみが逃げている間も、キイは戦っている……」
意外なことばに、ゼクロスだけでなく、ヒルトたちも驚き、目を丸くしてアルファを見る。
「彼女は、長年の決着をつけるために旅立ったのだ。そして、あの宇宙船もキイの近くにいるだろう」
『どういうことですか……?』
茫然としたように問い掛けるゼクロスに、アルファは背中を向けた。
「それが知りたければ、覚悟を決めるんだな……。それがキイの居場所の手がかりになる。それで、他の者たちの運命も決まる」
『一体何を……』
「きみに返さなくてはいけないものがある。だが、それはきみにとって毒になるものかもしれない。それに、きみだけではない、該当者は他にもいる。きみが選べ。全員にそれを返すべきか、誰にも返さないか」
『そんな……選べません! 他人の安全を左右することなんて……』
「では、このまま何もしないのか?」
問われて、ゼクロスは答につまる。
何もしないのが、彼の答のはずだった。しかし、キイに会えるかもしれない。そして、ベルメハンの人々を助けられるかもしれない。そんな可能性を考えさせられた今、すぐに答えることはできなかった。
だが、その可能性を実現するためには、〈毒〉を飲まなくてはいけない。自分だけでなく、他の誰かも。
『私が何もしなくても……キイが宇宙船を探って戻ってきてくれれば……』
「……キイが戻ってくる可能性は薄い。こちらの異変にも気づいていないかもしれない」
『フーニャが出れたということは、いずれ調査団が方法を見つけることも……』
「ああ、まどろっこしいな! 結局お前は何がしたいんだよ!?」
ついにこらえきれなくなったように声を上げたのは、ゼンだった。ヒルトたちだけでなく、アルファまでが不意を突かれたように、目を向ける。
「他人に被害が出るとか、放っておいても誰かが何とかしてくれるとか、そんなこと関係ねえじゃねーか! そのキイとかいうヤツに会いたくないのか? ベルメハンの人たちを助けたくないのか!? お前にはそれができるんだろうがよ!」
『そんなこと言ったって』
ゼクロスも黙っているばかりでなく、声を尖らせる。
『毒とやらを飲むことになるのは、あなたかもしれないし、あなたの大事な人かもしれないんですよ!? それでもあなたは、関係ないって言えるんですか!?』
「そんなもん、起こってから考えりゃいいんだ!」
『それじゃあ手遅れかもしれないんです! 私に殺人犯になれって言うんですか!』
興奮しているゼンの後ろで、ヒルトはリンネと顔を見合わせた。ゼンが熱くなるのも珍しいことだが、ゼクロスの声も、先ほどまでの淡々としたものではなくなっている。まるで、子供同士のケンカのようだった。
「実際に毒を飲むわけではないのだから、即死はないだろう」
なだめるように言ったアルファの声には、かすかに、呆れの色が含まれていた。
それにまったく気づかない様子で、ゼンが鬼の首でもとったように、得意げにことばを続ける。
「ほらみろ、毒だって大したことねえ!」
『で、でも……』
反論できず、ゼクロスは絶句する。
少し場が落ち着いたと見て、リンネがためらいがちに口を開いた。
「多くの人、それに、大切な人たちを助けるためでしょう? 誰も、あなたを責められない……すべての人たちに理解はしてもらえないかもしれないけど、それで、いいじゃないの」
『そうでしょうか……』
不安げな声を洩らし、ゼクロスは黙った。困惑したような雰囲気を感じ取ったのか、固定台のそばに座っていたフーニャが何度も鳴いた。まるで話し掛けているようだ、と、人間たちは思う。
話し掛けられたほうもそう感じたのか。やがて、黙っていることができなくなったように声を洩らす。
『私に……選べと言うのですか? 他人を傷つける選択肢を……』
「他人を助けるためでもある。きみもわかっているはずだ」
怯えたような声に、アルファが揺るがない声で告げる。
再び、長い沈黙が降りた。今は時間が必要なのだ。ゼンも口を挟まず、辛抱強く待っていた。
苦悩の時は、やがて終わりを迎える。
ゼクロスは、今までとは調子の違う声で言った。
『……わかりました。覚悟を決めます』
ヒルトは、ふっと力が抜けたのを感じた。知らず知らずのうちに、肩に力が入っていたらしい。見ると、友人たちも緊張が緩んだ様子だった。アルファも、どこか雰囲気が和らいでいる。
逆に、気力のなかったゼクロスの声には張りが出て、サーチアイを撃った時のように、凛としていた。
『私は、返してもらわなければいけないものを返してもらって、それを手がかりにキイとあの宇宙船を捜します。そして、宇宙船を調査してベルメハンの人々を助ける。アルファさん、始めましょうか』
「今すぐというわけにはいかないだろう」
やる気になった相手に、アルファはたしなめるように首を振ってみせる。
「他の該当者たちの都合もある。それに、私だけではできないことだ」
『そんな。決意が鈍ってしまいますよ。一刻も早く成し得なければ』
「両極端なやつだな……」
背後で、ゼンがあきれたようにつぶやく。ヒルトは内心、彼のことばに同意した。
アルファが肩をすくめて息を吐く。
「きみは疲れている。3日間だけ待つんだ」
『しかし……』
不意に、アルファは手を上げた。反射的にその手に注目した学生たちは、少女の手が淡い光に包まれるのを見る。まるで魔法のような技に、彼らはあっけに取られて凝視した。しかし、本当の魔法はそれからだった。
『う……う~ん……』
ゼクロスは気の抜けたような声を出すと、黙り込んだ。
「よし、いい子だ……」
言うと、アルファは手を降ろす。ほんの一瞬だけ、彼女は優しくほほ笑んだようだった。だが、すぐにその色白な顔は無表情に戻る。
学生たちは、まだ目を丸くしていた。
「一体……何をしたの?」
驚きがある程度薄れるとそれより疑問が大きくなって、レミがおずおずと尋ねる。
アルファは平然と答えた。
「眠らせただけだ。ずいぶん無理をさせてしまったからな。以前の状態に戻るにはある程度リハビリが必要だろう……きちんと制御してやらなければな。1か100か、しかないようだから」
疲れたようなことばに、リンネは思わず吹き出しそうになった。確かにアルファの言う通り、、ゼクロスの態度の変化は、ギャップが大きい。
とりあえず当面の目的を果たしたことで、皆ほっと胸をなでおろす。アルファはゼクロスから目をそらし、ヒルトたちに向き直った。彼女の表情も、出会ったときに比べてずいぶん穏やかになっている。
「きみたちには感謝するよ。私だけでは彼の心を変えられなかったかもしれない……ありがとう」
「どういたしまして」
礼を言われて、4人は照れたような笑みを見せた。ゼンは頭を掻きながら、目を横に向ける。
気が緩んでいたヒルトは、ふと、不思議に思ったことを思い出す。
「もし、ゼクロスが他の人たちに迷惑をかけたくないからって、返してもらうものをいらないと言ったら、どうしたの?」
それは、大いにありえる事態だった。実際、ゼクロスは他人を傷つける決断を拒否していた。
「……強攻策に出ていたかもしれないな。そうせざるを得ないのだから」
「それでも選択を迫ったのはどうして?」
リンネが続いて質問すると、アルファは少しだけ考える様子を見せて言った。
「決断を終えたとき、彼はそれまで押し殺していた、何かをしようという意思を取り戻す。場合によっては、一瞬のことだったかもしれないが……私は、彼を信じていたよ」
アルファの声には、確信があった。その容姿はヒルトらよりいくつも年下のようだが、揺ぎ無い意志は、それまでに経てきた長い年月を感じさせる。リンネやゼン、レミ、それにヒルトも〈シグナ・ステーションの守護者〉の正体は知らないが、皆、彼女が自分たちより年上であることと、違う人種であることは察知していた。
「すべては3日後だ。きみたちが何をするか、それとも何もしないのか。それも、それからだろう。今はただ、休息するといい」
「あの、あなたは……」
「私はしばらくここにいる。ゼクロスのリハビリの手伝いをするつもりだ。ヒルト。きみも、手を抜かないことだな」
真っ直ぐに見据えられて、ヒルトはドキリとした。
悲しみと期待、絶望と希望が輝く美しい瞳は、炎のように情熱的にも、血のように酷薄にも見えて――。
「また会おう……」
アルファは言うと、足元に戻って来たフーニャを抱え上げて、目を閉じた。すると、その姿が背景に溶け込み、消えていく。
「ほんとに……人間か?」
茫然と見ていたゼンがつぶやいたのは、アルファが消え去ってからだいぶ時間がたってからのことだった。
我に返って、ヒルトは周囲を見回す。ゼクロスは、アルファの魔法のようなもので眠らされたため、そう簡単には目を覚まさないだろう。そうでなくても、起こす気にはならない。
「さ、みんな、帰ろう。ここにいても仕方ないし」
「そうね」
学生たちはことばを交わしながら、ドアに向かう。ドアの外では、警備員が待っているはずだ。
ドアを出る前に、ヒルトは一度、振り返ってみた。
そこにたたずむ小型宇宙船の姿自体は以前と変わりないようだが、その周囲を包み込む雰囲気は、どこか変化したように見えた。
友人たちが帰った後、ヒルトはソファーに寝転がってぼうっとしていた。すでに、窓の外は夜闇に包まれている。
テーブルに目をやると、食器が重ねられ、カップやフォーク、ナイフなどが雑然と置かれていた。家に来る途中でリンネが材料を買い、手料理を振舞ってくれたのだ。ヒルトも1人暮らしが長いため、料理はするほうだが、やはり調理師を目指すリンネにはかなわない。それに、彼女の料理は退院直後のヒルトの体調を考えたものであったのに違いない。
気の知れた友人たちとの、ささやかな退院パーティー。楽しい時間は、あっと言う間に過ぎていった。
そうして1人になり、落ち着いてみると、色々なことが頭の中を巡る。
こういうことがあるとふと考えてしまうのは、家族のことだった。親がいれば、退院祝いも一緒に……。
そう考えてしまって、彼はすぐにそれを中断する。どうにもならないことだ。
考えをそらすように、セントラル・ステーションを思い出す。すべてを拒絶していたゼクロスは、苦悩の末に現実を、それに、毒になるかもしれないという何かを受け入れることを決意した。それを、できるだけ手伝いたい。以前は一種の近づき難さも感じていたが、今はそれもなかった。受け入れがたい現実に立ち向かおうとするのは、まるで、かつての自分を見ているようだ。
自分の世界を支えていた人物が消えたとき、すべてが崩れ去る。まるで世界が別のものになった。その崩壊を、ヒルトは経験している。
ゼクロスの世界観を構成するのに欠かせなかった人物。その名を思い出し、彼は身を起こした。
家から歩いて数分のところに、情報センターがある。あらゆるデータと接続できる公共施設には、シグナと対話できる端末も存在した。
思い立ってセンターにやって来たヒルトは、入ってすぐのところに並ぶドアを眺めた。入室を表わすランプの点灯していないブースを見つけると、速足になかに入る。
自動でドアが開閉し、少年を迎え入れる。なかは完全防音加工のため、人のいない郊外よりもずっと静かだ。
「シグナ?」
モニター表示でネットワークが機能しているのを確認すると、席について声をかける。
『やあ、ヒルト。きみたちには感謝しないとね……おかげで、少しは安心できた』
「ああ……ぼくは何もしてないけどね」
苦笑しながら、彼はほっとして応じた。
「それより……知りたいことがあるんだ」
彼は、シグナにある映像を再生するように指示する。それは、まだヒルトが眠り続けていた間にニュースなどで使用された映像だった。
映像が切り替わった瞬間、ヒルトは身を乗り出した。
エルソンの総統領、フレス・ホーゾルフと握手を交わす人物。ベレー帽にリボン付きのシャツ、ベージュの上下という格好からは、ヒルトと同年程度の学生、芸術家志望の美少年のようにも見える。ベレー帽にまとめられた髪も瞳も黒く、底知れない雰囲気を発していた。
その瞳を見て、ヒルトは、アルファに似ていると思う。色々なものを見てきた瞳だ。
キイ・マスター。何でも屋の女性。
彼女の、無表情な顔。カメラを前にした苦笑い。ホテルやステーションの優先権を受け取った時の、かすかな笑み。
それを記憶に刻み付けるように、ヒルトは凝視する。誰かの面影がその脳裏に浮かんではぼやけて消えていった。彼は、キイをどこかで見たことがあるような気がしてならなかった。
いつか、彼女と同じ場所に立ちたい。
映像の中の姿を目に焼き付けながら、ヒルトはその時を待ち焦がれた。