#DOWN
決意 ―背神者たちの〈追走〉―(4)
「じゃあ、本題に入ろうか」
声が、酔いから醒める。仕事をする、男の声。
「でも、わかってんだろ、リル。オレは、ただ働きはしないんだぜ? 情報には、それなりの代償を払ってもらう」
「代償……?」
ルチルが、不安にかられたようにきき返した。
この店で料理を注文するために代金が必要ないように、仮想現実の多くの店は店主が好きでやっているので、代金は必要ない。異世界を舞台としたワールド内はともかく、それ以外の領域の大部分で、貨幣制度というものが失われていた。
貨幣のないこの世界での代償とは、一体何なのか。
未知への不安を募らせるルチルたちと違い、リルは、いつも通り平然としていた。
「まあ、そんなに身がまえることもねえよ。なあ、リル?」
「そうね。あなたには世話になっているし。あなたのおかげで、ようやく目的の人物にも会えたことだしね」
「へえ」
ジルは声を裏返らせる。
彼に合図するように、リルは目線で金髪の少年を示す。すると、情報屋はますます目を見開いた。
「そうか……ようやく見つかったか。いやあ、まさか、クレアトールがこんな綺麗なお嬢さんだったとはねえ」
誰もが、予想する通りの感想。
「わたしは男です! わたしのことは、シータと呼んでください」
他の客にも少女としか思われていないらしい少年は、言われ慣れている様子で、即座に訂正する。
その勢いに、ジルは少し怯んだ。相手は、殿堂入り十人のうちの一人にして、腕のいいハッカーである。
「そんなに嫌なら、顔を変えりゃあいいじゃねえか」
「自前の顔でないと落ち着きませんよ。それに、今の状態では、いたずらにプログラムをいじるのは賢明ではないと思います。まあ、多くのクラッカーが飛び回っているのでは、余り意味は無いでしょうけど」
「ふうん……まあ、オレも、その顔のほうがいいと思うけどな」
にやり、と笑顔を向けるジルに一瞬怯み、シータは顔をそむける。
全員が軽食を注文するのを待ってから、リルが不意に、懐から瓶を取り出し、テーブルの上に置いた。瓶のなかには、紫色の液体が並々と入っている。
ジルが、ヒュッと口笛を吹く。
「用意がいいな。確かに、オレの知らない銘柄だ」
目の前に置かれた瓶を手にとって確かめ、彼は満足そうにうなずいた。
「代償って、酒?」
ルチルは、拍子抜けしたような声を出した。今までの会話を聞いていると、悪魔と契約するかのごとく、もっと大きな代償を払わなければいけないように思えたのだ。
リルは、彼女にチラリと目をやると、軽く首を振り、
「ううん。魂」
あっさり言ってのける。
少女は、飲んでいたハーブティーを吹き出しかけた。
「ちょっ……魂って、まさかヒトの意識? ほんとなの !?」
「ん、ああぁ……ある意味では、本当だけどな」
ぽりぽりと頭を掻き、ジルが説明する。
「こいつには、ある一人の人間の感情と記憶の一部が詰まってるのさ。こいつを一杯やることで、オレは色々なことを体験できる。まあ、刺激的な情報交換の方法ってヤツさ」
「何だ、そういうこと……って、その感情と記憶って……」
ぎょっと目を向けるルチルに、リルは首を振る。
「大丈夫、あなたたちではないから。ちょっと通りかかった人に協力してもらっただけ」
ルチルとシータは、リルがどうやって記憶や感情を抜き出したのか、〈通りかかった人〉が一体どんな目にあったか気になったが、怖いので聞かないでおくことにした。
どんな形にしろ、代償は支払われた。
ジルが今までに仕入れた情報から、ゼーメルへのルートを割り出し、メモしていく。
「あんなしけたところ、普通は近づきたがらねえもんだけどな」
少しあきれたようにぼやき、情報屋はメモを差し出す。
「ま、最近かなり勢力を伸ばしてるようだから……あの周辺はかなりきな臭いかもな。顔を覚えられてるなら、気をつけたほうがいい」
「覚悟してるわ」
メモを受け取り、リルはほほ笑んだ。
滅多に見られない、銀の妖精の笑み。その瞬間を密かに待ちわびていたように、周囲のテーブルから歓声が上がる。
「ずるいぞ、ジルのヤロー」
「何だかわからないけど、頑張れよ」
「いやー、今日はついてるわ。飲もうぜ、飲もう!」
周囲の騒がしさをよそに、リルは黙々と、激辛リゾットを口に運び始めた。
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