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・2008年02月28日:第25話 旅立ちの準備(上)
・2008年02月28日:第25話 旅立ちの準備(下)
第25話 旅立ちの準備(上)
少しずつ、研究所の雰囲気は元に戻っていた。
わたしは街の宿に残っていたキューリル先生の幻術関係の本をもらい、我ながら熱心に勉強していた。あとを継ぐみたいな気持ちで、というわけじゃあないけど、何となく、今は打ち込むものが欲しかった。
今日も魔導書を入れた鞄を持ち歩きながら授業を受ける。
最後の授業の終わりに、リビート先生が思い出したように言った。
「そう言えば、まだ聞いてないですよね? そろそろ、皆さんにはネタンに短期留学してもらいます。二週間くらい後かな。何人かごとに別れてネタンへ行くまでもひとつのテストだし、準備があるなら今のうちにしといてください」
そんな何気ない発表で、教室が湧く。
わたしは、もっと情報が欲しかった。放課後になると、とりあえず医務室へ。
わたしが入ると、すでにテルミ先生がビストリカと一緒にお茶を飲んでいた。
「あら、お疲れさま。そう言えば、聞いたみたいね、例のこと」
早速、先生からネタを振ってくる。
「アイちゃん、わたくし、アイちゃんと一緒に旅できるの、嬉しいです」
「へえ、わたし、ビストリカと一緒なんだ」
それなら、何も心配はない。と、ちょっとほっとするわたしにシェシュ茶入りのカップを差し出しながら、テルミ先生は意味ありげに笑った。
「ついでに、あなたはヴィーランドと道化師、四楼儀、ジョーディとも一緒よ」
――な、何故にそんな豪華メンバー?
というわたしの表情を、先生は予想していたらしい。
「実は、あなたの班には、ほかにはない役目があるの。だからネタンへのルートも少し違う。そういうわけで、面子に慣れてるあなたやヴィーランドがその班に選ばれたのよ」
ってことは、一番危険な道を辿るとか、そういうことなんじゃあ……。
でも、ビストリカに道化師さん、四楼儀さんも一緒なら心強い。わたしは、みんなの実力もよく知ってるし。だからこそ、わたしが選ばれたんだろうけど。
わたしが鞄から地図を出すと、ビストリカにテルミ先生、居合わせたマリーエちゃんとアンジェラさんも一緒になってのぞき込む。
ネタンは、エレオーシュから北東の位置にある。最短で徒歩一週間程度、馬車なら三日ほど、とは、テルミ先生の談。
「あなたたちは、ほかよりちょっと長い距離を行くことになるからね。馬車が貸し出されるでしょう」
最短なら、川沿いにエンガ方向へ向かうか、北のコートリーから東へ行くらしい。
でも、わたしの班は西のナジという村を通過し、ルルークの町を経由してから東に向かうという。さらに、エレオーシュの東への道中も、湖周辺の町に寄るようだ。
「もっとゆっくりできるなら、観光名所のひとつも案内できるんですが……。まあ、ネタンも綺麗なところですよ。色んな人や物が集まってくるんです」
「悪いものも、だけどね」
テルミ先生がさらりと付け加える。
「都会って、そういうものだよ。あたしはそれより、ネタンで買い物できるかどうか気になるね」
とは、アンジェラさんの談。
旅立つとき、お小遣いももらえるらしい。わたしには、まだ手持ちのお金があるけれど。
それにしても、わたしたちの班は西に行って何をするんだろ。
何となくきけないまま放課後のお茶会を終えて、わたしは物見台に向かった。
珍しく身を起こしている浴衣姿は、あくびをひとつしてから、振り返らずに言う。
「ネタンへ行くと聞いたかい。どうせ、我々が何をやるか聞きに来たのだろう」
こちらの要望はお見通しらしい。
「じゃあ、教えてくれるんでしょ?」
まだ、屋外は少し寒いくらいのはずだけれど、結界が張ってあるらしく暖かい。
「ルルークで、アクセル・スレイヴァの使者と待ち合わせている。おそらく、水陰柱の補正に力を貸せとでも言うのだろう」
湖畔の町サビキは水位の上昇で沈みかけている。そういう話は聞いていた。そこにも、わたしたちは寄る予定になっているらしい。
「それで、四楼儀さんに道化師さんか。まあ、せいぜい足を引っ張らないようにするから、お願いしますよ」
「ま、無事、ネタンへ行くまでは安全だろうよ。それが仕事からね」
うわ、この人の口から「仕事」とかいうことばが出ると何か意外。
そんなわたしの驚きを知ってか知らずか、彼は今果たすべき役目は終えた、という様子で横になる。
――まあ、わたしもこれ以上質問することもないし……。
そう思って腰を浮かしかけたとき、不意に、彼は低い声で、独り言のように言った。
「あの封魔石のことは忘れるといい。おそらく、お
言って、まるで返事を拒絶するかのように寝てしまう。何か言いたくないことをつかんでいるのか。
こうなったら無駄だ。知りたいことは自分で調べるしかない。わたしはさっさとハシゴを伝って、物見台を降りる。
すると、丁度控え室から出てきた緑の姿とはち合わせする。
「あ、ジョーディさん。例の旅のときはよろしくお願いしますね」
「おお、ネタンに行くときか」
彼は思い出したように言って、担いだ斧の柄の先で床を叩く。
「ま、ほとんど用があるのは魔術師連中で、オレは力仕事要員だけんどよ。オレもネタンには行ったことねえから、楽しみだな」
そう言えば、ネタンってどんなところなんだろう。
大都市だというのは知っている。アクセル・スレイヴァの本部があって、優秀な魔術師も集まる。魔術師になるには、まずネタンに留学する必要があるとか。
でも、詳しいことは知らない。旅先じゃあ何が起こるかわからないし、知らないよりは知っておいたほうがいいだろう。
わたしはジョーディさんに簡単な別れの挨拶を告げて、本城の階段を一気に織り始めた。
――途中、廊下に珍しい姿を見つける。
長い赤毛に、白い肌。眉目秀麗な美青年。わたしたちがこの世界に来た日に姿を見せたきりだった、コーラル・ラスタシスさん。
どうやら、学長室から出てきたところらしい。ドアを開けて、学長さんが顔を出している。
「では、ネタンでお待ちしている。あとのことはよろしく」
「ああ、了解した。地球人の皆を、どうぞよろしくお願いします」
妙に堅い声ではあるものの、そんな何の変哲もない会話がなぜか、コラールさんにはとても似合わないように思える。
わたしは彼の視界に入りたくなくて、足早に階段を駆け下りた。
そのまま、本城を出て図書館へ。色んな町のことを調べるなら、ここをおいてはないだろう。
でも、わたしより先に、同じことを考えた人がいたようで。求める本がないのに気がつき周囲を見ると、似たような分類の本がいくつかなくなっている。
それは、どこへ行ったのか。
読書ブースで、それが判明した。
そこで席について本を開いていたのは、予想通りの、飾り玉付き帽子に妙な形のマントにローブ姿。
第25話 旅立ちの準備(下)
彼は気配に気がつくと、こちらを見上げる。
「きみも旅の前の予習か。熱心だな」
「そういう道化師さんも」
そう言って近づくと、机の上に広げられた本の記事が目に入る。
そこにあるのは、水没した小さな町の話。ダリアという町は二年前に水没し、数百人の死者を出した。対岸の町サビキも水位が上昇しつつあり、人々は恐々としている。
数年前にアクセル・スレイヴァの主導で魔法の装置を構成し、注がれる水の量を少し減らしたものの、それも付け焼き刃に過ぎず、徐々に効果は薄くなっているらしい。
「水陰柱をどうにかする仕事がある、って四楼儀さんが言ってましたけど……」
「ああ、わたしたちは、サビキの水陰柱を直すことになっているようだな。詳しいことは、ルルークで待ち合わせをしているアクセル・スレイヴァの使者に聞くことになっているが」
別のある本の一ページには、小さく地図が描かれている。
「ルルークって、この北西の町ですよね。リダっていう村の近くの」
「……ああ、少し辺境だが、大きな町だ」
少しためらったように答えたのが気になったが、わたしは気がつかなかったことにすることにした。
「何か名物とかあります?」
「色々あるぞ。食べ物も、それ以外も。名物とは違うが、最近は怪盗や、外から流れ込んできた妙な商人たちが幅を利かせているらしいのが気になるな」
それも、アンジェラさんが言ってた、都会には悪いものも入ってきて当然ってやつなんだろうか。
「わたしが勉強するより、何でも道化師さんに訊いたほうが早いでしょうね。頼りにしてますよ」
「まあ、この周辺やネタンへの道は慣れているからな。あの面子なら、夢魔が出ようが心配はない」
確かに、今回の旅は何が起きようと心配がなさそうだ。何かあったらあったで動揺するだろうけど。
多少は観光気分も手伝って、わたしはネタンへの旅が待ちどおしくなった。今から思えば、少しはふとした瞬間に振り返ると脳裏に浮かぶ、悲しい記憶から目を逸らすためでもあったのかもしれない。
せめて、旅立つ前にエレオーシュの墓地のお墓に手を合わせて行けるといいな。
わたしはしばらく道化師さんと一緒に、旅の道のりについて勉強したあと、夕食前に図書館を出て、食堂に向かう。道化師さんはもう少し調べものをしているというので残してきた。
夕食時の中では、やや早めの時間帯。いつものように外でスポーツをしていたヴィーランドさんとレンくんが、先に座っていたテーブルにわたしを呼ぶ。わたしは盆を抱えてそちらの席に向かった。
今日の主食は、麺の太いパスタと焼き飯のニ択。
わたしは焼き飯に芋とキノコの炒めもの、ヨーグルトに似た果汁をかけた茹でた鶏肉に豆の甘露煮、シェシュ茶とデザートの果物餡入り饅頭を選んだ。見た目が和食に似た料理を選んだが、甘露煮はもっとフルーティーな、デザートに近いような感じに見える。
「アイちゃん、最近観戦に来てくれないなー。今日なんて面白かったんだぜ? 二チームでハンドボールやってたんだけど、逆転に次ぐ逆転でさ」
と、ヴィーランドさん。
スポーツ組は、かなり人数も多くなっていて、学生さんも興味津々らしい。観戦してる人たちも多いし。最近は、イラージさんや女学生さんもよく見かける。
「見たいのは見たいんですけどね、今は勉強に励むのに興味津々でして。それに、ちょっと寒いし」
「暖房の魔法、覚えるといいよ。授業じゃやらないみたいだから、自分で勉強しないといけないけど、アイちゃんならすぐ使えるようになるよ。何なら、教えてあげようか?」
笑顔でそう申し出るレンくんにわたしが答えようと口を開きかけると同時に、少年の頭に大きな手が乗る。
「そうかそうか。オレにもアイちゃんと一緒に教えてくれよ、レン」
「ヴィーランドさんは、そんなのなくても平気じゃないですか。観戦する側じゃないんだし」
「確かに、オレの心と身体は常に燃えてるけどな!」
わたしは、身体が燃えてたらまずいんじゃないか、とちょっと思ったものの、言わないでおいた。
とりあえず、食事のあと、レンくんに暖房の魔法を教わることにする。せいぜい一時間程度で終わるはず、と彼は言う。旅の役にも立つかもしれないし。
「それにしても、残念だったなあ。アイちゃんと違う班になって」
暖房の魔法、〈マピュアリア〉をわたしとヴィーランドさんに教えてくれたあとで、レンくんが肩をすくめてそう言った。
「そうだな、残念だったな、レンは。オレはアイちゃんと一緒だぜ」
横から自慢げに口を挟むヴィーランドさんに、レンくんはちょっと口をとがらせて見せてから、
「でも、ネタンで再会できるんでしょ?みんな、元気で会えるといいね。けっこう、長旅になるみたいだし」
「何せ、エレオーシュを出るのは初めてだしな」
そうか。わたしはエンガまで行ったことがあるけれど、ほかの地球人の皆さんは、この町を出るのは初めてなんだっけ。
これは、わたしが色々リードしなきゃ。
何ていう自覚が芽生えたのは一瞬だった。同じ班の地球人はヴィーランドさんだけだし、ほかの班だって、エルトリア人の誰かがついてるだろうし。
「まあ、みんな無事に着けますよ。班にひとりは、教授か備え役の人が入るみたいだし」
研究所はかなり寂しくなる――とはいえ、学生さんたちは残るみたいだし、主に学生さんを受け持つ教授や一部の備え役の人たちも研究所で留守番。ロインさんたちも残る。備え役の欠員は、エレオーシュ警備隊で埋めるらしい。
そういえば、リフランさんたちにはしばらく会えなくなる。ちょっと寂しいかも。
「しばらく、この研究所ともお別れになるんだよな」
不意に、ヴィーランドさんが、わたしたちが魔法を教わるのに使っていた空き教室を見回した。
「今のうちに、充分ここの生活を満喫しておこうぜ」
「そうですね」
今日のところは、研究所内探検、とはいかないけれど。
わたしはふたりと別れると、すでに暗い外へと出た。そして、閉館寸前の図書館に滑り込み、二冊の本を選び出して借り、部屋に戻った。
借りたのは、エレオーシュ考古学研究所著の『周辺の町村の歴史』と、ちょっと前から目をつけていた、『地下迷宮に住まう魔術師たち』という古ぼけた本。
まだじっくりとは読んでいないけれど、周辺地域の本の中でリダの村、という村に関わるページを拾い読むと、意外に歴史が古く、隠居した魔術師が何人も住んでいたこともあるという。農業に適した豊かな土地で、のんびり暮らすにはいい場所だけれど、昔、孤児院を全焼する悲惨な火事があったと書かれている。
ほかのページで目に留まった記事によると、サビキの町が沈む前にも、何か事故があったらしい。かなり昔の話で、水陰柱を安定させるための作業中の事故、としか書かれていなかったから、詳しいことはわからないが。
もう一方の迷宮に関する本は、ここの地下通路についての情報を期待したのだけれど……それらしい記述はなかった。ただ、古い魔術師には世俗の事象を嫌い、山奥や地下に隠れ住む者や自分の研究だけに打ち込む者、夢魔や財宝を狙う盗賊対策の脱出通路や罠をはった地下迷宮を造った者は多い、と書かれてはいたが。
そういうところに、財宝として封魔石が隠されていることもあった、とも。
あの地下への道のことは、今もわたしと四楼儀さんしか知らない。それと、彼女だけ。
彼女が一体何者なのか。それも、何ひとつ手がかりはない。ただ、わたしには、彼女が湖に身を投げて死んだという、変幻自在の魔術師アイに思えてならない。身を投げたように見せかけることくらい、優秀な幻術使いには簡単なことのはず。死んだと見せかけて、地下に身をひそめていたのでは……?
でも、そうするとあの封魔石を置いたのが彼女という可能性も出てくる。
話しているのを聞いた感じじゃ、悪人には思えなかったけど……彼女が状況を見ていたなら、助けられるのに助けてくれなかったとも言えるし。
それも事情があったのかもしれない、と思い込もうとしているのは……きっと、同じ名前だからのひいき目なのかもしれない。
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