風のない夜だった。
砂上列車〈スカーレットウィンド〉は、シティ・スリーとシティ・ワンの間に停車していた。普段は昼も夜もなく走り続けるが、今日は一ヶ月に一度の車輛点検日だった。
「とりあえず、お前らは列車組に決まったぜ」
車輛を降りたナユトが、姉妹に近づきながらおもしろくもなく言った。
夜闇に沈んだ砂漠の上で、少年たちはそれぞれのグループで焚火をともし、その周りを囲んでいた。配給された、味も素っ気もないクッキーのような栄養食の夕食を終え、一部は唯一の娯楽とも言える雑談を交わしている。だが、大部分はひたすら黙り込んでいた。
「……そっか」
おしゃべりなツキミも、ただ黙り込んでいた。一言だけ返して、となりに腰を下ろすナユトを見た。
発車に間に合わなかったあの少年の目が、彼女の脳裏に焼きついている。すがるようにして見上げた、あの茶色の目。その目が最後に映していたのは、絶望だった。
決められた仕事に、決められた時間、決められた結果。わずかでもミスをした者は、存在する必要がない者として、切り捨てられる。
まるで、出口のない迷宮だった。
「ねえ、何とかならないかな」
考えながら炎を注視していた少女の口から、小さな声が洩れた。周囲が静かでなければ、となりの人間でも聞き逃していただろう。
その声の小ささと内容のさりげなさに、ナユトは反応が遅れる。
「……何とかって、なにを?」
眉をひそめ、少年は問うた。
ぼうっとオレンジ色の揺らめきを見ていたツキミが顔を上げたとき、その瞳には、いつもの勝気な光が宿っていた。
「だって……こんなのおかしいよ。あたしたち、何か悪いことしたの? そりゃ、生きていくために、ちょっとは悪いことをしたかもしれないけど……だからって、こうやってただ好きなように使われて切り捨てられるほど、悪いことはしてないよ」
「そんなの、仕方がないよ」
背後から、静かな声が応じた。ツキミに集まっていた視線が、列車の壁を背中にしてうずくまっている、金髪の少年に向けられる。
「ぼくたちは最初から、呪われているんだ。これがある限り、逃れられない。どうしようもないよ」
右手に刻まれた、ボロボロの翼を広げたコウモリのシルエットのような紋章。少年たちは、憎しみやあきらめを込めて、右手の甲を見る。
「だからって、このままじゃあ、ずっとヤツらの言いなりだよ! みんな無気力で、抵抗の意志もないの? 何もしなけりゃ、あたしたちの次の代も、その次の子どもたちも……止める者がいなけりゃ永遠に続くんだよ」
「抵抗はしたさ」
ナユトが、努めて無感情に、少女のことばを遮った。少女は、驚いたように大きな目を向ける。彼が言いたいことばを口にしたのは、別の、青年の声だった。
「二年足らず前……大人たちが、管理システムを破壊しようと蜂起した。何とかセンサーを騙して列車を抜け出し、危険を冒して徒歩でメインベースに……それも、基地のカメラに見つかるなり、次々と死んでいった。やっとシステムに辿り着いた数人も、レーザーで焼かれて死んだ」
この星に、大人が少ない理由。それを、新米たちは初めて知った。
「あのとき、オレは列車に残った。だから生き残れた。でも、オレは……戦いに行くことができなかったことを、今も心残りに思っている」
静けさのなか、リーダーが独白のように語る。
全員が、この場にいる唯一の『大人』を見た。子どもたちが、時に父親とも、兄とも思う、ただ一人対等ではない相手を。
「いつかは……戦わなければいけないのかもしれない。その戦いまで、次の代、あるいはずっと先に持ち越すよりは……」
「戦って、勝てると思うの?」
再び、落ち着き払った少年の声が遮る。
「オーリス!」
「しょうがねえだろ、そいつ、臆病者なんだからよ。機械をいじってばっかで、物言わない機械だけが友だちなのさ」
ツキミが腹立たしげに声を荒げ、グレスがからかう。だが、オーリスは表情を変えることもなく、暗い目を向けていた。
「前回と同じことをしても、同じように負けるだけだよ。道具も手に入らないここで、一体どんな作戦を立てられるの?」
彼の問いかけに、皆は沈黙を返す。
その、ことば通りだった。会話は監視されていないものの、通常移動中は指令がなければ列車から出ることもできず、町に着けばタイムリミット内で与えられた仕事をこなすしかない。
「……方法は、あるはずだ。必ず」
まるで自分のことばに確信が持てないように、ぽつりと言った。
少年たちはうなだれ、考える。命を賭けて戦うことと、このままいつ命を落としてもおかしくない日々を続けていくことの意味を。
ただ理不尽な日々を続けていくことが、果たして生きているといえるのか。時には政府の気まぐれで命を落とすこともある、何もしなければ変わることのない日々の連続が。
それでも、忠実に仕事をこなしてさえいれば、長生きはできるかもしれない。いつか、アレツの政府が考えを変えるかもしれない。
夜空の下で、ぽつりぽつりと砂漠にともった焚火の周囲を、重い沈黙が包む。まるで時が止まったように。
その時を、静かな、澄んだ音色が動かした。
綺麗な、穏やかなメロディー。紋章を右手に持つ少年たちの中には、楽器が奏でる音というものを、今まで聞いたことがない者もいる。
音色の元を捜して視線を動かすと、皆の目に、オカリナを吹くホナミの姿が映る。
そのとなりで、ツキミが歌い始めた。
蒼く歪む月、遠い空の彼方
目を閉じると浮かんでくる、あなたの笑顔
風は運ぶ、このことば
水も陽のぬくもりも、花の香りも
大地の上を吹き抜けて、心を潤す
新しい風を身にまとって
子どもたちは走り出す、次の時代へ……
綺麗で、緩やかで、勇壮なメロディーだった。ほとんど初めて耳にする音楽という芸術に、ある者は目を見開き、ある者は名残を惜しむように目を閉じていた。
曲が終わると、ホナミが閉じていた目を開く。
「……放っておけば、誰かが何とかしてくれるのかもしれません。でも、他人が起こした風で、わたしたちは新たな場所へ飛んで行けるのでしょうか?」
アレツ政府が、地球政府が、あるいは他の権力を持つ人々が。他人が、何とかしてくれるかもしれない。
そして、いつまでも、それはないかもしれない。百年近い間、咎人たちはアレツ政府に今の扱いを受けている。
「誰かが何とかしてくれたとき、わたしたちは……わたしたちの後の世代は、生きていくだけの力を残しているでしょうか。命令通りに動くことだけが、身体に染み付いた咎人が」
まるで母親が子どもをさとすように、優しく語りかけ、穏やかに皆の顔を見渡す。
その、女神のように白く美しい顔を向けられた少年たちの胸に去来するものは何か。
答は出ないまま、その夜は更けていった。
シティ・ワンに停車した砂上列車から、いつもの通り、仕事を与えられた少年少女たちが飛び出していく。
「いいか、タイムリミットは四〇分だぞ!」
シェザースの声を背中で聞きながら、担当の荷物を手にそれぞれの届け先へ散る。今回ナユトが手にしたのは、一抱えほどの小さな箱だった。その箱に、彼は上着の袖から取り出した紙の切れ端を滑り込ませる。
「上手くやってくれよ」
小さくささやき、彼は目的のテントに駆け込む。
テントのなかでは、少年たちがマットに特殊繊維の布を貼り付ける作業をしていた。なかには、顔見知りもいた。
「よお、フレッセ。元気そうだな」
「なんとかな。お疲れさん。今回は余裕ありそうだし、茶でもどうだ? こっちもノルマはもう果たせそうだし」
荷物を受け取り、このテントのリーダー格である赤毛の少年が、座るように勧めた。
「ああ……荷物の中身は、ちゃんと後で確認してくれよ」
そう答え、少年たちは地面に敷かれたゴザの上に腰を下ろす。
「わかってるさ……どうだい、そっちのほうは? 美人の姉妹が入ってきたらしいけど」
「ああ……それが、とんだじゃじゃ馬でね。どうしても、一番足りないものが欲しいっていうのさ」
「一番足りないもの?」
苦笑交じりのことばに、フレッセは眉をひそめる。
「ああ。仕方がないから、オレたちも乗ってやることにしたんだ」
フレッセは一瞬、テントの他のメンバーたちと、鋭く目を見交わす。
彼らが自分のことばの真意を察したことを見て、久々に、ナユトは笑みを見せた。
「ま、そういうことなら、オレたちも一枚かませろよ。ここには、臆病者はいないからな」
フレッセのことばに、その仲間たちはうなずいた。
ナユトは町の友人たちと、雑談に作戦の情報を交えながら、かすかに甘酸っぱい味のする、手作りのハーブティーを楽しんだ。
今回はいつもより、少々タイムリミットまでが短い。十分もすると、ナユトはフレッセたちに目で挨拶をしてから、テントを出る。
街の中央にあるプラットフォームまで、片道十分足らず。余裕で列車に戻れるはずだ。
ときどき町の住人と声を交わしながら、彼は早足でテントの間の道を抜けていく。
プラットフォームが見えてきたとき、不意に、爆音が乾いた空気を震わせた。
周囲の少年たちが一斉に振り返るのに混じり、ナユトも爆音の元を捜す。遠くテントの群の向こうに、赤い炎が上がっていた。町の端の、工場がある辺りだ。
一体、何があったのか。たまに事故が起きることはあるが、今までにない動きを起こそうという時期だけに、ナユトはわずかの間、様子を見に行こうかどうか、迷った。
だが、ここから現場に行って戻ってくると、間に合わない可能性が高い。それに、事故については担当者が処理するはずだ。
そう結論付けると、彼は歩みを再開した。
砂上列車に戻っている姿は、まだ少ない。常に列車に残っているリーダーと、いつも一番に帰還しているオーリスが、一両目の出入口で彼を迎えた。
「早かったな。首尾はどうだ?」
「無事、完了しましたよ」
ドアの脇に立つシェザースに答え、壁際でうずくまっている金髪碧眼の少年に目を向ける。相手は、面倒臭そうに口を開いた。
「こんなことして何になるの? 本当に、この列車や町のシステムを騙せると思う?」
「昔は騙せたんだろ」
いつものように暗い目で見上げてくる相手に、ナユトは肩をすくめて見せる。
「その点は心配するな」
振り返らないまま、シェザースが低い声を出した。その声の調子と意外なことばとに、少年たちは不思議そうに目を向ける。大きな大人の背中に。
「オレは、昔政府の機関でプログラマーとして働いていたんだ……この、右手の紋章を隠してな。オレが二年前にこの列車のコンピュータに仕掛けをしたことも、バレていない。バレていたら、こうして生き残っていないだろう」
初めて聞く事実に、二人の少年は驚き――そして、少なくともナユトは、内心少しだけ、自由をつかむという希望を持った。
彼が列車に戻った時点で、すでにタイムリミットまで十分を切っている。間もなく、他の少年たちが次々と帰還し始めた。
戻ってくる少年たちの間で話題になっていたのは、やはり、工場の事故のことだ。彼らが人づてに聞いた話では、住人の咎人のミスで機械が故障して火事になり、何人かが巻き込まれたらしい。
しかし、現場を直接見た者はなく、彼らの話からは、確かなことはわからなかった。
やがてタイムリミットが迫り、シティ内に散っていた子どもたちが次々と戻る。残り五分を切ったところで、ホナミが顔を見せた。
「ツキミはまだ戻っていないようですね。工場で事故があったみたいですけど……あの近くに行ったはずなので、ちょっと心配です」
「ああ。……そういえば、レモもまだ帰ってきてないようだな」
心配そうな顔をする姉妹の姉に、ナユトもふと最年少の少年のことを思い出し、眉をひそめる。
「レモも、工場近くに届けに行ったはずだ。何か妙なことに巻き込まれた可能性もあるね」
うずくまったままのオーリスが淡々と推測を口にする。
「何があったのか、問い合わせてみるか。答が来るまで時間がかかるかもしれないが」
シェザースが苦い顔で機関車に向かう。
「残り六人。二分」
オーリスがカウントし、肩をすくめる。
一番プラットフォームの階段に近い車両に戻ってきた他の仲間たちは、すぐに別の車両に移動するが、ナユトとホナミはその場に残った。
「六〇……五九……五八」
ドアの前で立ったまま待ち続けるナユトとホナミの後ろで、オーリスがシェザースの代わりにカウントダウンを始める。
ナユトは、ふと横目でホナミの顔を一瞥した。少女は特に緊張も表さず、いつもの穏やかな表情で、ただ真っ直ぐ街並みに目を向けている。だが彼は、スカートの上で握りしめられた手に、爪が食い込むほどきつく力が込められていることに気づく。
「五〇……四九……」
待ち続ける少年と少女は、ことばを交わすこともしない。時折足音を聞きつけて出入口から顔を出すが、別の姿だとわかると、思わず胸の内で落胆する。
「あと三人。二〇……一九……」
カウントダウンが進むにつれて、絶望やあきらめより、ただ焦りばかりが募っていく。
仲間が死ぬのは、ナユトにとっては日常茶飯事だった。惑星ガロン全体では、三日に一人は命を落としているくらいだ。
仲のよい友人が亡くなったこともある。ツキミとの付き合いは短いとはいえ、ただされるがままに指令に従うだけだった咎人たちに勇気を呼び起こした、これから行われるはずの戦いのきっかけを作った人物だ。彼女には生きていて欲しかった。
そんな、普通ならささやかなはずの願いもむなしく、時間は無情に過ぎていく。
「一四……一三」
走って階段を駆け上がってくる音がした。顔を出して見ようともしないナユトとホナミの間に、黒くすすけた少年が駆け込んでくる。
「あと二人。九……八……」
視線を外から外したくなかったが、ナユトはわずかに、戻って来た少年に興味を引かれた。アルキという名のその少年は、服のあちこちを黒く焦がし、汚れた顔は半分泣き顔に見えた。
「……工場から戻ったのか?」
「七……六……」
ここに来て、ナユトの内心にはあきらめが芽生えていた。こうして人を待ち、帰ってこなかったのは一度や二度ではないから。
一方のホナミは、まだ、視線を動かさない。
「ああ、事故だ……工場に、レモが届け物をしに入って行った後、火が上がった。他の連中は脱出したけど、あいつだけ戻らなくて……メインベースは、延焼を食い止めるためにかまわず爆破しろって!」
「四……三……」
オーリスのカウントダウンが、終わりに近づく。
聞こえるのは少年たちの会話と、列車のかすかな動力音だけだ。
「それで、通りかかったツキミが助け出そうとして入ったって……」
彼のことばの最後に、汽笛が重なった。
ナユトがうなだれ、アルキが床を叩く。
ホナミはドアが完全に閉じてからもしばらくの間、妹を待つのをあきらめていない様子で、前方を凝視し続けていた。
揺れることもなく、列車はプログラムされた通りの一定のスピードで、敷かれたレールの上を滑っていく。シティ・ワンを出た列車が目ざすのは、シティ・ツーだ。
「事故の原因は、機械部品が磨耗していたため摩擦で発火したことだそうだ。それが油に引火し、炎が一気に広がった。延焼を防ぐためと機密保持のため、工場は爆破された」
壁際に座り込んでいたナユトとホナミに、シェザースが努めて平然とした調子で説明した。だが、それは、ホナミにとって、特に知りたい情報ではなかった。
「遺体は……あの子の遺体は見つかったんでしょうか? それに、レモも」
この質問も、覚悟していたのだろう。シェザースは肩をすくめる。
「ああ……二人とも、外傷は少なかったらしい。爆破時の衝撃で意識を失い、酸欠で死亡したそうだ。ツキミは、レモの上に覆いかぶさるような格好で発見された。二人の遺体は、メインベースのシャトルにより〈食人孔〉に運ばれたそうだ」
「……そうですか」
ホナミはつぶやくように言い、下を向いた。
食人孔は、管理システムの一部分だ。本来エネルギー変換システムという名のそれは、有機物をエネルギーに変換する機能を持つ。咎人の遺体は大抵、これにより処理された。そして、ミスを犯した咎人が生きながら放り込まれることも珍しくない。
アレツ政府の命令通りに過酷な仕事をこなし、その思惑通りに命を落とし、死してからもその身を捧げさせられる。
「……ナユト、話がある」
シェザースが、ドアに向かいながら呼びかけた。
車輛を出て行く少年の背後から、オカリナの寂しげな音色が流れていた。