七、大空の慟哭
聖なる色とされる青と白をまとった集団が、整然と列を成して草原を北上していた。戦いへと赴いたときに比べ、その人数はわずかに減り、疲労を顔に表す者も少なくないが、鍛え抜かれた神官戦士たちは、それで進軍を緩めることはない。
戦いによる被害は、数名の死者だった。負傷者はすぐに治療されるために存在しない。死者を出したものの、異界から召喚された魔霊を相手にした割には犠牲は少なかった。
「あんなものを召喚してくるのが相手となると、なかなか厳しくなるわね」
行きと同じ馬車の中で、持ち歩いているティーセットを使って茶を入れながら、リンファは溜め息を吐いた。
「どうした、怖気づいたか?」
唯一会話相手になる傭兵が、少しからかうような調子で言う。
白馬に乗ったナシェルは神官戦士たちに混じり、ロイエもどこかへ姿を消していた。馬車の中にいるのは、リンファとザンベル、未だ目覚めないシリスだけだ。
「ほらよ。シリスが寝てる今のうちに、あとのことは全部フィアリニアの連中に任せて、どこか遠いところにでもとんずらこいちまえばラクだろうなー、とか」
「あら、あなたはそう思うの?」
カップを持ち上げ、ハーブティー香りを楽しみながら、美女は淡々と訊き返す。
「馬鹿言え、オレは傭兵だぜ。危険あるところにこそ面白い仕事がある、強いヤツほど燃えるんだ。まあ、ああいうヤツへの攻撃も考えないといけないけどな」
ザドムに、その剣撃はほとんど通用しなかった。そのことを少しは気にしているのか、苦笑しながら、鞘入りの愛剣を叩いてみせる。
「わたしも似たようなものよ。大きな財宝を得るには大きな苦労が必要なものだもの。それに、今さら降りられるわけもない。寝てる間にどこかに逃げようと、ひとりでも戻ってくるでしょう」
毛布をかけられた姿に目をやり、仕方がなさそうに言った。
その表情を目にしたザンベルは、豪快に笑う。
「ま、最後まで見届けたいしな」
源竜魂をめぐる、魔族との戦い。それも、いよいよ佳境に近づいていると見えた。だが、ひとつの戦いを終えた者たちの心は、今は次の戦いへの情報よりも、休息とあたたかな迎えを求める。
「さあ、いつもの我が家だ」
アステッドが司祭長のとなりの馬上で声を上げると、周囲の神官戦士たちの表情も和らぐ。
白い石造りの門も、清潔そうな家々も、そこに住まない者には硬そうな印象を与えるが、トロイゼンを故郷とする者には、あたたかい家族や友人たちとともに思い起こされるものに違いない。
フィアリニア軍が門をくぐると、待ちくたびれたような様子の人々が並び、歓声を上げた。
「皆さん、ご安心ください。魔物は排除されました。トロイゼンは安全です!」
レスターが一旦全軍を停止させ、声を上げると、歓声が爆発する。
「フィアリニア王国軍万歳!」
「神聖フィアリニア王国万歳!」
誇り高きフィアリニア軍の凱旋を、誰もが祝う。
その陰にあるわずかな犠牲者の存在とその家族の涙を知りながら、それでもなお、レスターはフィアリニア軍の働きを栄光あるものと知らしめなければならない。軍を強力なものと印象付けなければない。
フィアリニアを守り、トロイゼンの人々を安心させるために。
敵は、ただのゾンビの群だったと知らされ、どう戦いどう倒したのかについても、表向きの記録は書き換えられる。
「大変だな、軍隊とか元帥ってのも」
馬車から顔を出していたザンベルが、早く外へ出たそうに肩を回しながらつぶやく。
「でも、あれが人の上に立つ人、命を預かる人の責任ですから」
いつの間にか馬車のそばに白馬を勧めていたナシェルが、妙に抑揚のない口調で言う。
「……そういうものね」
リンファが同意して、視線を通りの奥へ向ける。
馬のいななきに、人垣が割れた。フィアリニアの紋章を刻んだ鎧をまとった男が、司祭長を目にして手綱を引き、馬上から飛び降りて急いで駆け寄る。
伝令が何かを伝えると、レスターはわずかに表情を変えて手を上げる。周囲の注目が集まったころには、彼は笑顔に戻っていた。
「皆さん、歓談はまたの機会としましょう。全軍帰還」
ふたたび、フィアリニア軍は進み始める。左右に並ぶ人々に見送られ、大聖堂へ。
大聖堂前に停止すると、待ちかねたようにザンベルが馬車から飛び出す。
「何かあったのか?」
解散する神官戦士たちと、駆け寄って来る馬の世話役や道具役の者たちの向こう側に、忙しく大聖堂内に出入する文官たちの姿があった。
そこへ、レスターとアステッド――そしてロイエも入っていく。
「あいつ、抜け駆けかっ」
ザンベルが駆け出し、数歩進んだところで、馬車を振り返る。
「……来ないのか?」
「代わりに聞いてきて」
馬車を出ようとしないリンファに問いかけると、即座に答が返った。ザンベルは馬車の中を想像して納得すると、そのまま一人、大聖堂に入る。
皆が行く先は、会議室である。場違いな姿に驚き、それどころか怯えるような顔をする文官もいるが、レスターが手招きすると、とりあえず、不平を言うことはしない。
「来たの? 聞いても、理解できないくせに」
いつものロイエのことばに、ザンベルは苦笑した。
「聞いて来いって頼まれたしな」
「それで、本当ですか?」
予定されていた会議ではないためか、それとも、重々しい前置きを嫌う性質なのか、席に着いたレスターは単刀直入に問うた。
「エーリャ公国とマラフ=シーネラ連邦の国境の結界が、解けたというのは」
その発言が意味するものに、ザンベルもさすがに驚く。
ミルドラントで見た結界が消えたというのである。フィアリニアの魔法学者たちが研究しても、すぐには解けそうもなかった結界だ。
文官たちの中で、責任者らしい、長い黒髭の男が口を開く。
「え、ええ……我々はミルドラントで感知し計測した結界の魔力をもとに、解除に必要な魔力量や道具を考案していたところだったのですが……」
「それが何の予兆もなく、突然消えた、と?」
話が冗長になるのを嫌ったアステッドが問うと、文官はうなずいた。
「フィアリニア軍が出発して間もなく、ミルドラントから報せがありまして、急に消えたとか……今のところ、エーリャ公国から出る者もなく、入る者のないように警戒しているところだそうで……正直、我々も驚きました」
まだ驚きも冷めやらぬ風に言う。
「結界が役目を終えたから、解除されたのでしょうね。余り喜ばしい話ではありません」
溜め息交じりに言い、レスターは別の文官に目を向ける。研究者という雰囲気ではない、文官にしても無骨な、退役軍人と思われる壮年の姿に。
自分の役目を良く理解している男は、視線を向けられるなり、きびきびと応じた。
「先ほど、マドレーア王国より伝令がありました。わが国で起きている異変について直に説明が欲しい、可能ならば協力したいとのことです。ついては、七星騎士団〈ミーティア・ナイツ〉の魔法兵団長クワイトどのを使者として派遣するそうです」
マドレーアはフィアリニア南部の隣国であり、フィアリニアとは非常に友好的な状態にある。フィアリニアに何かが起きればマドレーアも危機に陥る可能性が高く、今回も、トロイゼン南方の襲撃に気がついての使者だろう。
「了解しました。それで、南を除くフィアリニア軍全体の被害は……」
レスターがさらに別の方向に目を向けたとき、その声に、別の声が重なった。
「最大の異変が抜けているよ」
この場にはいないはずの、若い女の声。
その正体に最初に気がついたのは、ロイエだった。
「リーン……」
会議室の隅に、影から浮き出すようにして現われる、黒尽くめの女。白き聖王都には相応しくないようなその姿は、ぞっとするような、死神めいた美しさを放つ。
「……何の話さ、最大の異変って」
いつもの嫌味を飲み込んでの少年魔術師の質問に、リーンは少しだけ、いたずらっぽく笑う。だが、その笑みは少しだけ、『笑いきれていない』という印象を与える。
「あいつらが、ついに手に入れたのさ。誰にも邪魔されない王国を」
馬車の中に残ったリンファは、外で馬を引いていく世話役や、ほかの馬車を倉庫に移動させる者たちを眺めながら、ただ時が流れるのを待っていた。
すると、唐突に、風がざわめきを運んできた。
周囲の者たちがそれを聞きつけて見回し、彼らもまた、声を上げる。
「何だ……あれは?」
動揺した声がいくつも重なる。
リンファは、そばに置いていたレイピアを手に、馬車から飛び降りた。誰もが目を向けている相手を見る前に、周囲が、闇に染まる。急に夜が来たかのようだが、地平線に目をやると、すべてが闇の中というわけではないらしい。
ぽかんと口を開けたままの見上げる世話役を見て、視線を上に向ける。
空を背景に、大きな島が浮いていた。
どれほど高い塔も届かないと思われる高い位置を、大きな影を引き連れながら、悠然と行き過ぎていく。
「ああ……」
思わず、リンファの口から声が洩れる。
彼女には、上空を行き過ぎるそれが何なのか、一目で予想がついたのだ。
――浮遊都市、スプリルルガ。
魔族たちが手中にしたのは、遠くフェイヴァニカのスリピン湖の底に眠っていたはずの、古代遺跡だった。
TOP > DRAGON BLEST > 第七話 >>