第三章 聖魔の鼓動


  一、閉ざされた道


 ナーサラ大陸中央部に位置するのどかな国、エアンセ公国。草原が続く郊外から町や村に入ると、簡易な柵の内側に、広大な農耕地帯が広がっている。この辺りは、洞窟や遺跡などが少ないことに比例して、比較的魔物も少ないらしい。
 まるで、暗黒都市などというものが近くに存在しているのが信じられない平和な町に、一台の馬車が辿り着く。
「グランセ=ラフォーゼか。名前負けした町だな」
 巨漢の剣士ザンベルが、ふん、と鼻を鳴らす。馬車を降りた彼らの目の前に広がるのは、通りに人の姿も少ない、田舎の街並みに見えた。
「今は、丁度畑仕事の時間なんじゃないの? もう少ししたら、人が戻ってくるよ」
 少年魔術師ロイエが、面倒臭そうな口調でありながらも、剣士の独り言に律儀に応じる。
 通りには、この国の国教、大地と農耕の神イリアスを祭るイリアス教の神殿や、何軒かの飲食店が看板を掲げていた。イリアスは祭りの神でもあり、この町は、祭りが多い町として知られている。
「今日は、何も行事はなさそうね」
「少し中心部から離れたところでやっていることもありますよ」
 女魔術師リンファのことばに、この辺りの土地勘があるらしい少年騎士ナシェルが説明した。
「祭りを眺めている余裕があればいいんだけどね……すぐに源竜魂の行方を突き止めて、追いかけたいところだけど」
 吟遊詩人、シリスのほうは、祭りに関心を示している余裕がないらしい。こうしている間にも魔族が暗躍し、その目的のために着々と何かの準備を進めているのだ。それを阻止する者からすれば、できるだけ早く、源竜魂の行方を突き止めたかった。
「でも、わたしたちがグラスタにいる間にも、情勢が変わっているかもしれないと思うの。正確な状況をつかむには、情報収集が必要よ」
 そう言ってリンファが目で示した方向には、〈祭典の栞〉亭という看板がかかった、木造の素朴な印象の酒場が店をかまえていた。

 店の主人は、旅人たちを歓迎した。シリスが店内で歌いたいと申し出ると、それも快諾する。大抵の酒場などでは収入に応じた場所代を請求するものだが、客が少ないせいか、自由に解放しているらしい。
 朝食を求めて飲食店の前を歩く者が、歌に誘われて店内に顔を出す。いつにない賑わいに、店主は笑顔で、忙しく動き回る。
「これが狙いとは……なかなか賢いな」
 カウンターに近いテーブルで軽食を注文したザンベルが、テーブルがほぼすべて埋まりつつある店内を見回した。彼のとなりでは、二人の少年が注文した飲み物を口にしている。
「あなたたちは楽でいいわね」
 盆を手に現われたエプロン姿が、ザンベルが注文した肉団子の盛り合わせをテーブルに置いた。
「リンファ……姿が見えないと思ったら」
「このほうがお客さんに話を聞きやすいでしょう? 忙しいから、すぐにバイトとして雇ってくれたし」
 絶対バイト代が目当てだなと思いながら、ロイエはうなずいておいた。
 事実、類まれな容貌を持つウェイトレスに、客は次々と声をかける。リンファも普段は見せたことのない、営業用の笑顔で愛想よく応対した。
 情報収集役を彼女に任せ、リクエストを受けて歌っていたシリスが戻ってくる。
「どうも、状況は良くないようだね」
 彼が戻ってくるのを予想してリンファが置いていったココアを手に、彼は他の客から聞いた情報をザンベルたちに説明する。
「昨日からエーリャ公国とマラフ=シーネラ連邦の国境付近に、巨大な結界が現われたらしい。貿易商が足止めを喰らって、引き返して来ていたよ」
「結界……?」
 香りつきの氷に果汁を注いだカップを回し、余り期待していない様子で話を聞いていたロイエが、顔色を変えた。即座に、目を閉じて杖を握り、精神を集中する。
 かすかな魔力の気配が、東の方角に感じられた。距離があるせいか反応は小さく感じるものの、その範囲の巨大さだけでも、並みの魔術師の仕業ではないとわかる。よほど巨大な魔力を持つ魔術師か、複数の魔術師が力を注ぐ儀式によるものだろう。
「その貿易商の話では、この町からの道中で、何か高価そうな物を、黒いローブ姿数人がエーリャ公国に向けて運んでいるのを見たそうだよ。源竜魂かも知れない」
「そいつらは、結界とやらを自由に出入できるってわけか」
 胡散臭そうに言ってザンベルが渋めのハーブティーを飲み干すのを、我に返った少年魔術師は驚いたように見上げた。
「へえ……ザンベルにしては、いい推理じゃない」
「おいおい……オレだってなあ、それくらいの知識は……
 声を張り上げかけた剣士の視界に、うなだれた少年騎士の姿が入る。いつもうるさいくらいに賑やかな少年の様子とは、不気味なくらいに違っていた。
「どうした、ナイトさま」
「そうか、ナシェルはエーリャ公国の出身だから……故郷には家族もいるんだろうね」
 シリスがことばを続けると、ナシェルは顔を上げた。
「はい……バックナントに父上と母上、妹のリクアがいるんです。三人とも心配です」
「大丈夫、きっとみんな無事だよ。それを確かめに行かないとね」
「そうですよね……師匠! 師匠の言う通り、心配するより自分で何とかするために動くべきですよね!」
 突然立ち上がって大声を出すナシェルに、店内の視線が集まった。慌てて座らせようとするシリスをよそに、他のテーブルからはなぜか、
「よっ、いい心がけだねえ坊ちゃん」
「いいぞいいぞ、もっと言ってやれー」
「そうだ、それでこそ騎士ってもんだ」
 などと、拍手と歓声が飛んでくる。
 調子に乗ったナシェルがテーブルが並ぶ中心で演説を始めたのと入れ替わりに、リンファが食器を盆に載せて近づいてくる。
「とにかく、一度行ってみないことにはわからないわね。わたしたちで壊せる結界かもしれないし、上空から飛び越せるものかもしれないし。あんな調子だけど、ナシェルもできるだけ近づきたいと、深刻に考えていると思うの」
「あんな調子でねえ……
 ザンベルが肩をすくめて首をめぐらせた先では、少年騎士が握り拳を作り、熱い口調で騎士の心得について力説していた。

 国境を越えたとしても、急に何かが変わるわけではない。ナーサラ大陸中央四国は比較的平和で、数百年前まではひとつの国だった歴史もあり、各国の関係も良好だった。基本的に、国境に検問があるわけでもない。
「ま~た、退屈な旅だぜ」
 馬車の小窓から外の草原を眺めていたザンベルが、狭そうに頭の後ろで手を組む。
「じゃあ、一人で歩いたら?」
 と、憎まれ口を叩くのは、当然ロイエだ。彼は、ここ一時間余りの旅を、魔道書の解析に費やしている。
「もうすぐ、国境の町が見えてくるはずだけどね……退屈なら、何か歌おうか?」
 南方四国の国土は狭い。すでに、馬車はマラフ=シーネラ連邦に入っている。その東のエーリャ公国までの道のりも、遠くない。
 竪琴の弦の音を合わせていたシリスが、ザンベルにほほ笑みを向けた。その笑顔の横から、リンファが顔と手を出す。
「聞くなら、ちゃんと代金を払わないと駄目。商売道具なんだから」
「ええっ、オレたちからも取るのかよ」
 抗議の声を上げるザンベルを無視して、一見聖女にも見える女魔術師は、今度は吟遊詩人に目をやる。
「いい? シリス、安売りしちゃ駄目よ。あなたの歌には、それだけの価値があると思うの」
 言われたほうのシリスは、彼女を見ていない。うつむいて、長い溜め息を吐く。
「そんなに歌いたいの?」
 意外な反応に驚いたような声で、ようやく注目されていることに気づいたのか、シリスは慌てて首を振った。
「いや、そういうわけじゃないよ」
「じゃあ、疲れてるの?」
「少し、考え事をしていただけさ。何でもない」
 皆の視線を振り払おうとするように首を振るシリスの様子に、とりあえず表面上は気にしないことにしたザンベルたちは、目を別の方向にやる。
 再び魔道書に視線を落としたロイエのとなりで、目のやり場に困って視線を泳がせていたザンベルは、ふと窓をのぞいて、そこから見える風景に声を上げる。
「おお、あれが国境の町なのか?」
 マラフ=シーネラ連邦の、最東端。グランセ=ラフォーゼよりさらに小さな町、ミルドラントが、エーリャ公国との間の玄関のひとつだ。
 ザンベルを押しのけ、リンファ、ロイエ、ナシェルが窓にしがみついた。近づいてくる木の柵に囲まれた街と、大きな二頭立ての馬車が二台見えた。
「ずいぶん立派な馬車がありますねえ。紋章が入ってるみたいですけど」
「あの紋章は……
 ナシェルに、ロイエの珍しく驚きの響きを帯びた声が続いた。
「フィアリニアだ」
 魔法大国、神聖フィアリニア王国。
 二台の馬車の白い幌に描かれた紋章は、確かに、その国の国章だった。