九、闇の胎内へ
ピーニは抜かりなく、ザンベルから代金を摂取して、闇市から黒いフード付コートを仕入れてきていた。シリスたちの類まれな容姿では、グラスタで行動するにも目立ち過ぎる。だが、この街でピーニ一人だけが調査するのも危険が大きかった。そのため、彼女は何とか依頼人たち本人が動けるように手を尽くしていたのだ。
コートを着込みフードを深く被ると、顔も口もと辺りまでしか見えなくなる。一見して顔を覚えられることはなさそうだった。
「悪いけど、余分に買ってたっていっても、レナスとナシェルの分はないよ。まあ、レナスはそのままでもいいだろうけど……」
ピーニは、いかにも育ちがよさそうな少年騎士に目を向けた。
「あんた、その格好はねえ……」
「駄目ですか?」
ナシェルは、心外だ、というような声を出す。
「うーん……ナシェル、ここで、フィリオーネさんを守っていてくれないかな」
考え込んでいたシリスが、何かを思いついたように、少年に期待の目を向けた。
「ほら、助けを必要としているレディを守るのも騎士の務めのはずだよ。これは、別の目的を持って行動しているオレたちにはできない、きみにしかできないことなんだ」
「ぼくにしかできないこと、ですか……」
かすかに不安がさしていた少年の顔が、今まで通りに明るくなる。
「そうですね、騎士が女性を置き去りに出ていくことはできません! さすがは師匠、騎士道精神をわかってらっしゃいますね!」
「え……オレは……」
苦笑しながら冷汗を流す吟遊詩人の肩を、レナスが「あきらめろ」という調子で叩いた。
こうして、シリスとリンファにロイエとザンベル、教会まで案内するというセヴァリーにグラスタ全体の案内役のピーニ、ロイエに借りがあるというレナスの七人が、源竜魂を求めて小屋を出ることになった。
「姉さん、行って来るよ」
ドアノブに手をかけてピーニが振り返ると、ベッドの上の姉は、色の白い顔に『慈愛に満ちた』と形容できるような、優しげなほほ笑みを浮かべた。
「ピーニ、気をつけるんですよ」
「ああ、大丈夫」
明るくことばを返して、少女はわずかに開いたドアの隙間から周囲を確認し、一行を先導して慎重に外に出る。少女に続き、黒い布にすっぽり包まれた大小それぞれの姿が五つ、そしてマント姿の剣士が墓場の隙間に歩み出る。雨は降り続き、空はいつもに増して暗い。もしこの光景を見ている者がいたら、ひどく不気味に感じただろう。
「じゃ、早速教会に行こうか。急がないとね」
魔法で雨に濡れるのをよけながら、シリスが全員そろっているのを確認し、教会の場所を知るセヴァリーに先頭を預ける。
元雷魔王と呼ばれた魔術師を先頭に、慎重に周囲をうかがう少女をしんがりに、彼らは墓場から人知れず抜け出した。
雨のためか、幸い、建物の外に出ている者に見られることもなく、七人はセヴァリーが黒ずくめを見た、邪神アモーラの教会に辿り着く。
雨のために薄められてさえ、周囲に奇妙な、酔いそうな匂いが充満していた。何か神経に作用する香草を燃やしているのだろう、とセヴァリーは説明した。その匂いと外に洩れてくる低い祝詞の合唱が、不気味な雰囲気を作り出している。
「まだ儀式は終わっていないのかしら?」
リンファが疑問を口にした。彼女同様、シリスもフードの奥で、怪訝そうな表情を見せる。
「それにしては声が少ないようだし、気配も少ない」
「まあ、とにかく、行ってみるっきゃないだろ」
単純に言い切るザンベルを、軽く咳き込んでいたロイエがにらんだ。
「待ち伏せがあるかもしれないのに、無用心だね。まったく、何も考えない人は楽でいいね」
「なんだとぉ~?」
ムッとする巨漢の剣士に、少年は呪文を唱えることで答える。まさか魔法で攻撃されるのか、と一瞬ザンベルは身を硬くするが、シリスたちは呪文の内容で少年魔術師の目的に気づいた。魔法の使い手たちの様子から、ザンベルも危険はないと判断する。
「〈プロテクション〉」
対象の周囲に空気の層を創り出し、衝撃や熱などを弱める下位の防御魔法である。
「じゃ、ザンベルを盾にして行こうか。ピーニはここで退路の確保、お願いね」
「……お前もけっこう人でなしだなあ」
平然と言うシリスに非難の目を向けながらも、ザンベルは先頭に立って教会への入口をくぐる。
「あんたも行くの?」
後に続くセヴァリーに、ロイエが意外そうな声をかける。〈千年の魔術師〉は、意味ありげに、アメジストの目で見返した。
「そうですね……本来は行く必要はないかもしれませんが。わたしも、源竜魂の行方は知りたい。ここで魔族の陰謀が止められれば良いですが」
すでに源竜魂が運び去られた可能性が高いことは彼もロイエも知っていたが、誰もそれを口にしなかった。
闇に染まった教会の入口に、黒いコートのなかで武器をかまえながら、一行は潜入する。しばらくは暗い通路が続くが、やがて、燭台に掲げられたかがり火の明かりが、行く手に見える広い空間への出口から洩れてくる。
周囲が明るくなるにつれ、むっとするような匂いも強くなり、不気味な声も大きくなる。
ザンベルが足を止め、壁際からそっとのぞき込んだ。彼の目に、二つの燭台が左右に立てられた小さな祭壇の前で輪になって座り込んでいる、十の黒ずくめの背中が映る。
「みんな、耳を塞いでいてくれるかい」
竪琴をかまえ、シリスが声を抑えてささやいた。歌により魔法的効果を得るという〈呪歌〉により、相手を一網打尽にしようというのだ。
皆が耳を塞ぐと、彼は竪琴の弦を弾き、歌い始める。
暗闇のベールが人々の目を覆う
心地よいぬくもりがすべてを包む
夢の精霊が手を引くのに任せて
ともに行こう あの楽園に
星に生まれし子たちよ、眠りなさい
安らかな大地の息吹と生くるため
悩むことなど何もないまどろみのなかへ
遠い昔の母のぬくもりを夢に見ながら
穏やかな、〈子守り歌〉のメロディーと優しい歌声が朗々と響き、シリスの指が最後の音の弦を弾こうとした刹那。
彼の顔めがけて、銀色の光が飛んだ。後ろにいたレナスに突き飛ばされ、吟遊詩人はなんとか通路の向こうの壁際に転がってよける。
「見抜かれてたみたいね」
レイピアを抜いて不利な体勢のシリスの前に出ながら、リンファが平然と言う。その間にも、ザンベルは待ち伏せされていたことをむしろ喜んでいる風情で、大剣を抜き放って突進していく。
「気をつけろ、罠があるかもしれん」
注意を促しながら、レナスも愛刀を抜いて続いた。黒ずくめの邪教信徒たちは散開し、あるものは剣士たちを迎え討つかまえを見せ、ある者は後退して呪文を唱え始める。
セヴァリーは、黒ずくめの中にいた体格のいい者たちと剣士と手を合わせようとしている者たちが同一だろうと見当をつける。源竜魂という宝を扱うのだから、彼らもかなり警戒していたのだろう。
「〈ライトニング〉!」
〈千年の魔術師〉の人さし指が、相手のうちの一人を指さす。足元を狙った青白い電撃を、黒ずくめは素早く飛び退いてかわした。
その横から、レナスが素早く左手でナイフを放った。彼が右手にかまえた剣に気を取られていた男は、右肩に突き立ったナイフを抜きながら小さくうめく。
「〈ヘイルストーム〉!」
レナスがよろめく相手を蹴倒す横に、ロイエの攻撃魔法による支援が飛んだ。一見して屈強そうなザンベルに、一気に四人の男がつや消しナイフを手に襲い掛かっていたが、ザンベルの大振りの一撃に吹き飛ばされる。いくら体格がいいとはいえ、さすがに腕力が違い過ぎた。
「毒塗りナイフも当たらなければ意味がないか」
レナスが感心というより、呆れを含む声でつぶやく。
本来なら、ザンベルもかすり傷程度は負っていたかもしれないが、ロイエの防御魔法のためか、無傷で暴れまわっている。
シリスもすぐに戦線に復帰し、相手方の魔術師が放った氷の矢をマントで打ち払い、呪文を唱えながら槍の石突きで相手のみぞおちをとらえ、気絶させる。
「源竜魂はどこへやったの?」
両手足を床に氷付けにされた黒ずくめに、リンファが指先に発生させた炎を近づける。黒装束にはある程度の防火加工が施されているのだろうが、直接魔法の炎を移されては、どうしようもない。
ほとんどの邪神教徒の戦闘要員たちは、戦闘開始から間もなく気絶させられ、あるいは身体の自由を奪われ、転がっていた。
「さすが、ベテラン冒険者たちだな」
「見直したろ?」
レナスの素直な感心に、ザンベルが気をよくした様子で応じる。
もう戦うべき相手はいなくなったと見て、警戒は解かないまま武器を収め、全員、尋問を開始したリンファの周囲に集まってくる。
「話さないなら、生きていることを後悔させてあげる」
リンファの淡々とした声と平然とした表情は、その本心を読み取らせず、相手に不気味で底知れない印象を与える。しかも、彼女は類まれな美貌を持っていた。美の女神のような彼女が淡々と恐ろしげな言葉を口にするのはどこか現実離れした光景で、相手に一種の威圧感を与える。
ある意味、リンファは尋問に最適なのかもしれない、と、シリスは恐々としながら思っていた。
幸い、と言うべきか。どうやら黒ずくめは、死んでも秘密を守るように訓練を受けたプロの暗殺者、というわけでもないらしい。
「し、知らない、オレたちはここに源竜魂があるように見せかけろって言われただけだ。今日中に外に、南西の町に運ぶって話は聞いたが、いつ誰が何のためにまでは知らねえ」
「嘘じゃないでしょうね?」
「う、嘘じゃない、アモーラに誓って!」
リンファの切りつけるような冷たい目にのぞき込まれ、男は叫んだ。
嘘を美徳とするアモーラに誓ったところで信用の根拠にはならないが、男の怯えきった目を見て、シリスたちは、とりあえず嘘はついていないらしい、と判断した。
「ありがとよ。じゃ、お休み」
用は済んだと見て、ザンベルが相手の後頭部を剣の柄で叩き、眠らせる。
「とりあえず、目的は果たせたようだな」
「もう、グラスタに用はないようね」
ザンベルに、リンファが同意する。
その様子を見て、このままの状態でグラスタを出ていいのか、今本当のことを言わなくては取り返しがつかないことにならないか、という思いを目に映し、セヴァリーとレナスは少年魔術師を見る。
まさに、その時だった。
「ロイエ?」
咳き込む少年の様子に、シリスが心配そうな視線を向ける。
やがて、ロイエの咳は収まった。と、同時に、彼は崩れ落ちるように、床に膝をつく。
セヴァリーが床に倒れかけたその上体を支えた時には、すでに、彼は意識を失っていた。
「おい! どうした、しっかりしろ!」
シリスにザンベル、レナスも、少年のもとに駆け寄る。
「セヴァリー?」
リンファはセヴァリーとレナスの奇妙な様子に気づいていたのか、短いことばで説明を求めた。セヴァリーはロイエを楽な体勢に横たえながら、溜め息交じりに、彼がロイエと再会したときのことを簡単に説明する。
その説明に、どう返したらいいか。リンファとザンベルが沈黙する一方、シリスはすぐに顔を上げた。
「闇市を管理するカレト・ドーナントなら、高価な薬も持ってるはずだよね」
そのことばを耳にして、皆、驚いたように彼を見る。
シリスは、この期に及んでは躊躇しなかった。
「リンファ、ザンベル、ロイエをピーニの家に運んでくれるかい? セヴァリーも、ロイエについてて欲しいんだ」
「い、いいけどよ、お前はどうすんだ?」
テキパキした指示を下し、取っていたフードを被りなおして出て行こうとする背中に、ザンベルは慌てて声をかける。
「まあ、気にせず待っててよ」
「待っててって……」
茫然とする巨漢の剣士の横から、シリスの考えを読んだレナスが、吟遊詩人を追った。暗い通路の中ほどで、グラスタの住人である若者は、相手に追いつく。
「あんた、カレトのアジトを知らないだろ。仕方がない、案内してやる」
肩をすくめる彼を振り向き、フードの奥で、吟遊詩人はほほ笑んだようだった。
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