一、〈疾風の源〉亭にて
「やあ。おはよー」
シリスがあくび混じりに言って階段を降りて来たころ、〈疾風の源〉亭の輸入物の柱時計は九時を示していた。セルフォンでも有名な店といえ、この時間帯はすいている。カウンターと、その近くのテーブルに数人が席を取っているくらいだ。
「珍しいわね、寝坊なんて。疲れているの?」
ハーブティーを飲みながら新聞を読んでいたリンファが、ようやく朝食をとろうとしている青年にきく。シリスは顔に苦笑を浮かべ、向かいの席についた。
この都市には様々な国の者、様々な種族が集い、旅立っていくが、そんな中でも、二人は非常に目立つ存在だった。ラベンダー色の長い髪に赤い瞳の中性的な美男子と深い海のように蒼い長い髪の絶世の美女とあっては、人の目を引くのは当然のことである。
だが、今ここにいるのは皆顔馴染みである。チラリと一瞥をくれるか、軽く声をかけるくらいで、物珍しそうに眺めることはない。
「いや、ちょっと妙な夢を見てね……例の事件の影響かな」
言って、少し暇そうにワイングラスを磨いているマスターに、朝食のメニューを注文する。元冒険者でもあるマスターは、常連であるシリスたちとは旧知の仲だ。この店は、冒険者とそれに見合う依頼が集まる、いわゆる冒険者ギルドのような役目を果たしていた。
「妙な夢ねえ……。霊感の強いきみの夢なら、何か事件と関係あるかもね」
カウンターが近いため、マスターが自ら料理を運んでテーブルに並べながら、冗談めかして言った。好物の特性チーズシチューを前にしながら、シリスは再び苦笑する。
「確かにね……正夢にならなければいいんだけど」
「正夢というか、もう、現実に起きたことかもね」
マスターは意味ありげに、リンファが見ているセルフォン新聞を目で示した。リンファも、無言で新聞の一面を指し示す。
「四ヶ所目だって?」
思わずココアを吹き出しそうになりながら、シリスはその記事に釘付けになった。
パンジーヒア大陸の中腹に位置するエーリャ公国の街が八人の襲撃者により壊滅される事件は、冒険者の間でも関心を集めている。それが、今回のクラリメンス襲撃により四ヶ所目となった、というのが、記事の大まかな内容だった。
「今回は、大きい事件が多いね。オカラシア大陸でガベラート王国の古代遺跡ロストキャッスルに、反ラスゲイン王国の拠点が旗揚げされたとか……ノースサイドで地下人体実験室が摘発されたとか……フェイヴァニカのスリピン湖で見つかった遺跡の調査経過とかね。これは例の八人も狙ってるって噂がある」
「遺跡?何でその遺跡を?」
フェイヴァニカは、大陸の南東に位置する、国土の多くを湖に覆われた国である。パンジーヒアなどと違い、遺跡は少ない。
「例の八人のうちの一人らしい、黒ずくめの男を見かけた者がいるんだそうだよ。まあ、噂話程度だがね」
「遺跡か……街の警備に当たっていてもラチがあかないしね。元を絶つには、連中の目的を探ってそこから叩いたほうがいいかも知れない」
シチューをかき混ぜながら考え込んでいる吟遊詩人の青年に、向かいのリンファが、その端麗な顔に滅多に見せない優しいほほ笑みを浮かべた。
「ええ、わたしも、フェイヴァニカの遺跡が気になるの」
「へぇ……珍しい。リンファが報酬も出ないのに何かしようなんて痛っ!」
シリスのラベンダー色の髪の先を引っ張りつつ、リンファは続ける。
「その遺跡の神殿、学者が言うところ、古代神メヌエのものらしいの」
静かな声で、彼女は告げた。
ユリア、ヌーサ、アートゥレーサ、メヌエ。その四人の女神が姉妹神であることは、少しでも歴史や魔法学を学んだ者はよく知っている。四人は血がつながっているわけではないが、一二〇〇年ほど前に起きた消魔大戦以前から存在する古代神として、様々な神話伝承に登場する。
その中で最も有名なエピソードが、消魔大戦の悲劇だろう。邪神セイリスに恋した末妹メヌエの裏切り、長女ユリアとの戦い。その末メヌエは死に、ユリアも行方不明となったと語り継がれている。
「気になるでしょう? それに、遺跡が発見されたのは一ヶ月前……最近の事件と、何か関係があると思うの。それに、遺跡はかつて物置にされていたってウワサもあるし……もしかしたら、財宝とか……」
キラリ。とリンファの目が光った。
彼女の動機は不純かもしれないが、遺跡が気になる存在であることには変わりない。遺跡発見の時期は、確かに襲撃事件が起き始めた時期と重なっているのだ。その他、魔法大国フィアリニアの司祭長が密かに大陸内の遺跡について調査している、南の遺跡都市カーマルクのいくつかの遺跡が荒らされているなど、シリスはそういった裏情報も得ていた。
「そうだな……確かに……」
言いかけて、食後のココアをひと口すすった刹那――
ドン!
突き上げるような衝撃が、不意に建物を揺らした。
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