佐々木円香は窓の外を見ていた。それは目の前で繰り広げられる狂宴があまりに醜いから。
 佐々木円香は思案していた。それは自分の身に起きた出来事があまりに不可解だったから。
 佐々木円香は泣いていた。それは自分は失敗してしまったのだと悟ってしまったから。
 
「……わか、った……誓う、から……家に、帰して……」
 真央がそう呟いた瞬間、円香の興奮は最高潮に達した。あの紺崎真央が、自分に屈した――それは円香にとっての勝利に違いなかった。
 無論、円香には真央との約束を守る気など最初から無かった。ここに呼び出したのだって、たんなる気まぐれだ。男達に襲われ、怯える真央の顔を見ているうちにもよおしてしまっただけのことだ。
(飲ませてやりたい)
 そう感じた。この生意気な泥棒猫に制裁を加えてやらねばと。その為につく嘘にいちいち罪悪感など感じていられなかった。
「私は円香様専用の便器になります――ほら、言って?」
「わ、私は――」
 真央がそこまで口にした時だった。不意にガコン、と鈍い音が響いた。同時に、浴室の換気扇の羽が円香の頬を掠めるように飛び、壁に跳ね返ってごとんと床に落ちた。
「なっ……」
 壊れた換気扇の穴から、黒いものが浴室に入ってくるのが見えた。人ではない。何かの獣のように見えた。ハッキリと確認できなかったのは、すぐにその獣が消え失せてしまったからだ。そう、円香の目にはまるで真央の体の中に獣が吸い込まれてしまったように見えた。
「あっ……」
 と、声を出して真央がびくんと身体を揺らす。そして脱力する。不審そうに円香が見ている前で、真央がゆっくりと立ち上がる。
「あーあ。ったくもー……気になって引き返してみたら案の定……」
 こき、こきと首の骨を鳴らしながら剣呑そうに言うその声は、真央の声には聞こえなかった。
「な、何……どうなって……」
「それはこっちの台詞。悪いけどちょっと調べさせてもらうわよ」
 きらり、と真央の目が一瞬光る。途端、円香の身体に弱電流のようなものが走り、硬直したまま一切の身動きがとれなくなる。
「ひっ……」
 動けない円香の額に、真央の手が伸びる。まるで、熱を測るような仕草。しかし、円香には解った。真央の手からさらに伸びた不可視の手が、直に円香の脳に触れ、愛撫するのが。
「ふんふん、なるほどねぇ。そーいうコトだったの」
 真央は頷き、そしてくっ、と口元をゆがめる。およそ、真央には似つかわしくない笑みだった。
「事情は分かったわ、佐々木円香ちゃん。………………よくもうちの娘を泣かせてくれたわね」
 ぎんっ、とまるで獣の目のように黒目が縦細くなる。人のものとは明らかに違う目に睨まれ、円香は金縛りに遭ったままがちがちと歯を鳴らしてしまう。
「強姦、輪姦、大いに結構。若いんだし、寝取り寝取られで揉めるのも自由。でも――」
 真央の目が、また怪しい光を帯びる。
「運が悪かったわね、あたしは身内贔屓なの」
 きらきらと、真央の瞳に満ちた光が七色に変化する。その光を見ているうちに焦点がぼやけ、見えざるものまで目に映り始める。
(あれは……尻尾……?)
 真央の後ろに、まるでキツネの尾のようなものが見える。それが左右にふわさっ、ふわさと振られ、桃色の輝く粒子のようなものが室内に満ちていく。
(何が……)
 起きているのだろうか。現実からいきなり夢の世界に連れ込まれたような感覚。じん……と、頭が痺れてくる。
「貴方の名前は?」
 不意に、真央がそんなコトを問うてくる。
「わ、私の名前、は……」
 ささきまどか、と縺れる舌で答える。違うでしょう、と否定される。
「貴方は、紺崎真央」
「私は、紺崎真央」
 痺れる頭で、復唱してしまう。
「佐々木円香はあたし、真央は貴方」
「紺崎真央は私、円香は貴方」
 一体自分が何を言わされているのか、何をされているのかが円香には理解できなかった。やがてぼやけていた焦点が徐々に合ってくる。そして、円香は驚愕した。眼前に立っているのは、紛れもない――自分自身だったからだ。
「良かったわねぇ、今日から貴方が紺崎真央よ?」
 言って、真央は――否、円香の姿をしてそこに立っている女は、浴室の鏡を指さしてくる。円香は恐る恐る鏡を覗き込んだ。そこに映っているのは、紛れもない紺崎真央の顔だった。
「ひいっ……」
「ああ、今日からっていうのは正しくないわね。今日だけ――ううん、違う。“今だけ”」
 目の前に居る女が言っている意味は、円香にも理解できた。今、この場に真央の姿で居るということは、即ち。
「やめて、許して!」
 訳も分からず、円香は女に懇願していた。しかし、同時に許してもらえる筈もないことも悟っていた。自分は、手を出してはならないものに手を出してしまったのだ、と。
「ほら、みんなの所に戻るわよ。……ちゃんと下着も履きなさい」
 くすくすと悪戯っぽい笑みで促され、円香は自分の意志とは無関係に下着を履く。それを確認してから女が仕切戸を開け、どんと円香を突き飛ばす。台所には、男共五人が勢揃いしていた。皆が皆、どこかの雑貨屋で買ってきた安物のパーティグッズの被り物を被っているが、その奥にある目が異様だった。
(正気じゃない)
 と感じた。五人が五人とも、まるで夢遊病者のような目つきをしていた。それでも、円香は助けを呼ばずにはいられなかった。
「た、助けて……あいつは、あの女は、化け物なのよ!」
 女に肩を蹴られ、男達のほうへと追いやられる。円香はそのまま男の一人に縋り、叫ぶがまるで反応はない。
「真央だ……」
「真央……」
「紺崎真央だ……」
 ただ、一様に常軌を逸した目で円香を見下ろし、そして三人がかりで四肢を掴まれ、引きずるようにして和室に連れて行かれる。
「止めて! 私は真央じゃないわ!」
 喉が枯れんばかりに叫んでも、男達の耳には届かないようだった。否、それどころか――
「何が父さま、だ……ファザコンかよ」
「今から俺たちが父さまの代わりにたっぷり可愛がってやるからな」
「散々俺たちを誘惑しやがって……いい気味だぜ」
 男達とはまるで会話がかみ合わなかった。一体何が起きているのか、円香には理解ができなかった。
 それでも必死に助けを求め、叫び続けていたらやがて口に詰め物をされた。そして四肢を押さえつけられ、制服を破り捨てられた。
(どうして――)
 私がまた、こんな奴らに。そう思うと、涙が溢れてきた。
 淺野。脂ぎった手で胸を触り、裸を撮らせろと執拗に迫ってくるキモデブ。
 大石。円香の下の毛を剃った変態野郎。ニキビの塊。
 堀部。執拗にアナルセックスを迫られ、挙げ句排泄するところを見せろと脅された。
 原。こいつには何度も尻を叩かれた。スパンキングが好きな、自称Sのクズ野郎
 そして吉良。学校でばかり迫り、挿れられたまま親に電話までかけさせられた。
 五人の陵辱によって円香の尊厳は徹底的に奪われた。今日で、それも終わりだと思った。
(なのに――)
 今また、こうして犯されている。最初は淺野。次は大石。堀部、原、吉良――。
 皆が皆、紺崎真央の身体は最高だと喝采を上げ、褒めちぎりながら群がってくる。
 そう、五人はあくまで紺崎真央を輪姦しているつもりなのだ。他の女の名を――否、円香が最も憎む女の名を呼ばれながら、その女は最高だと叫ばれながら犯されるのは、それまでの陵辱の比ではなかった。
 皆が皆、円香と真央を比べた。五人の女性経験は総じて円香のみ。よって真央との比較対象は円香しかあり得なかった。皆、円香を犯しながら、口々に言った。円香とは比べものにならない、真央は最高だ――と。
 そしてその様を、他ならぬ紺崎真央自身にカメラで撮られているのだ。女として、これほどの屈辱があるだろうか。口に詰め物をされていなければ、きっと舌をかみ切っていた。
(どうして、こんな……)
 一体何がいけなかったのだろう。どこから自分は間違えてしまったのだろう。ただ、純粋に、由梨子が好きで、一緒に居たかっただけの筈なのに。
 四巡、五巡と交互に最低の男達に円香は抱かれ続けた。やがて男達はそれぞれが個々に楽しむことに飽き、二人同時に円香を陵辱し始めた。後ろと、前。同時に犯された。噛まれることを警戒しているのか、口の詰め物だけはそのままだった。
(殺して、やる……)
 紺崎真央も、この男達も。そして、自分も由梨子と共に心中しよう。限りなく続く陵辱の夜に、円香はただその事だけを想って正気をつなぎ止め続けた。


 

 男達による陵辱は、唐突に終わった。円香は外界からの刺激と己の思考とを完全に切り離していた為、十分ほどの間そのことに全く気が付かなかった。
「おーおー……これはグロいわ。目の保養にもならないわね」
 その声に応じて、円香ははたと、開かれた眼から入ってくる視覚情報を“理解”した。そして眉を顰め、すぐに口の詰め物もろとも吐いた。
 眼前では、五人の男達が組んずほぐれつ、裸で絡み合っていたのだ。本人達は今なお紺崎真央を相手にしているつもりなのか、口々にうわごとのように真央、真央と呟いている。
 淺野のたるんだ腹を熱心に揉みながら、あへあへと涎を零しているのは吉良。その細長く尖った男根は淺野の尻に突き刺さり、血にまみれている。淺野はといえば、痛みなど露ほども感じていないのか、眼前にある大石の尻にむしゃぶりつき、嘗め回していた。
 大石は相変わらず剃毛プレイに執心しているのか、尻を嘗め回されながら熱心に堀部の下の毛を剃っている。その堀部はといえば、先ほど原に殴られてぐったりと仰向けに寝そべっていた。自称サディスト原はその腹部に跨り、奇声を上げながら意識のない堀部を殴り、その髪の毛を毟ったりしている。
 ――正視に耐えない、凄まじい地獄絵図だった。
「何が……」
 起きているのだろう。傍らに立つ女は、質問には答えなかった。代わりに、ムービーカメラを円香に放ってよこした。
「見てみる? 良くとれてるわよ。音は入ってないけど」
 円香は無意識的に録画から再生へと切り替え、液晶部分に移された映像に目をやった。そこには、紛れもない自分が男達によって陵辱されている様が映し出されていた。
「どうして」
 と呟いても、答えが返ってこないことは理解していた。足りない情報をかき集めてなんとか自分なりに推論を出すしかなかった。この何もかもが狂った空間の中で唯一、この機械だけが真実を捉え続けていたのだろう、と。
「貴方は今日、男達にこの部屋に連れ込まれて強姦を受けたのよ」
「え……」
 それはまるで、“事実”はそうであると決めつけるような口調だった。それだけの圧倒的な説得力を持った言葉だった。
「あたしがこの部屋を出たら、貴方もこの男達も紺崎真央の事は忘れる。そういう事になる」
「……やめて」
 円香はそう言わざるを得なかった。そうやって否定しなければ、本当にそうなってしまう。女の言うとおりになってしまう。そんな気がしたからだ。
「いや、やめて……」
「忘れるのよ、真央に関する事は全部」
 そう言う女の姿は、いつの間にか真央そのものに戻っていた。肩の辺りからは、俄に赤い光が立ち上っているように見える。
「そうね、警察でも呼ぶといいわ。その格好じゃあ帰れないでしょう」
「やめて、私に指図しないで!」
 円香は叫んだ。目尻からは涙が溢れていた。何なのだろう。この女の言葉は恐ろしいまでの強制力がある。喋りかけられるだけで、まるで目映い光でも浴びせられているかのようだった。
 くすり、と笑みを漏らして、女はゆっくりと玄関の方へと歩んでいく。ああ、だめだ。女が部屋から去ったら、本当に何もかも忘れてしまう――円香は無意識のうちに、女の方に手を伸ばしていた。届くはずもないのに。


 女が出て行き、ばたん、とドアが閉められる。その音が、じぃん……と頭に響く。まるでそれがスイッチだったかのように、円香の全身から力が抜ける。
 糸の切れた操り人形。まさにその様な体だった。しばし呆然として、そして円香は再び自我を取り戻す。手に握られたムービーカメラ、そして眼前で興じられている狂った宴。
 ああ、私は強姦されたんだ――と“思い出す”。
 夢の途中で突然起こされたような気分だった。夢の内容は微かに覚えているが、それが意識の覚醒と共に急速に失われていく――そんな喪失感。
 円香は己が唯一身につけているスカートのポケットを探った。中から取りだしたのは携帯電話、1,1,0,と数字を入力する。まるで何度も練習を重ねたような、澱みのない仕草だった。
「……もしもし、警察ですか。私、男の子達に拉致されてレイプされました。場所は赤穂ハイツ407です。すぐ来てください」
 早口にそれだけ言って、すぐに電話を切る。折り返しかけてこられると説明が面倒という理由だけで、円香は携帯電話の電源を切った。
(……どうして)
 自分は、こんな所に居るのだろう。こんな男達に襲われたのだろう。そんな事を考えるも、円香の頭の中に一切の答えは無かった。
(何も……思い出せない……)
 狐に摘まれた、とはまさにこのことだろう。男達に陵辱を受けた、という実感はある。が、その前後が恐ろしくあやふやだった。
 何か、とても大切なものを失ってしまった気がした。それは自分にとってかけがえのないものだった筈だ。それを守る為ならば、どんな代償さえ厭わない――それほど大事なもの。
 しかし、思い出せない。まるで頭の中に霧がかかっているかの様。止めどなく涙が溢れてくる。何を失ってしまったのかすら解らないというのに、それがとても大切なものだったという実感だけが確固としてある。
(私は、誰のために――)
 “誰か”の為に、“何か”をやろうとした筈だった。しかし、そのどちらも思い出せなかった。
 佐々木円香は泣いていた。それは最愛の人を永遠に失ってしまったからだった。


 


 月彦は夜の街を走り回っていた。まず学校へ行き、昇降口を見て真央が間違いなく下校している事を確かめた。その後で、心当たりがある場所を探し回った。由梨子が入院している病院も尋ねたが、面会時間が終了しているとかで由梨子本人には会わせてもらえなかった。代わりに看護婦に尋ねて、確かに真央は来ていないと言質をとった。
(真央、何処だ……)
 走り回る月彦の耳に、不意にサイレンの音が飛び込んでくる。まさか、事故かと思ってパトカーを追いかけたりもしたが、人の足で追いつける筈もない。
(真央……!)
 後で悔いると書いて後悔。まさにその通りだ。あれほど、真狐が警告をしていたというのに。後で悔いても遅い――と。
 既に何度も捜した公園へと入り、力尽きるようにブランコに腰を下ろす。
「真央、頼む……無事で居てくれ……」
 呟き、一休みの後再び真央を捜す。最寄りの神社にも足を運び、賽銭箱になけなしの千円札を放り込んで真央の無事を祈る。人に会えば必ず真央の人相を説明し、見なかったかと尋ね歩いた。
 どれほど探し回ったか、足が棒のようになって歩くのも難しくなって漸く、月彦は家に帰った。ひょっとしたら、家に帰ってるのではないかと、淡い期待を胸に抱きながら。
「あら、真央ちゃんならとっくに帰ってるわよ?」
 だから、葛葉からこともなげにそう言われたときは、怒りすらこみ上げた。棒のようになっていた足に力が戻り、月彦は快哉を上げながら階段を駆け上がり、部屋に駆け込んだ。
「真央っ、無事だったか!」
「しーっ、静かに」
 と、月彦が部屋に入るや、真狐が人差し指を立てて出迎える。見れば、真央は制服姿のままベッドに横になり、すうすうと寝息を立てていた。月彦はベッドの側に駆け寄り、膝をついてその寝顔を覗き込み、ホッと安堵する。安堵したあとで、くるりと真狐の方に向き直った。
「なんだ、お前も居たのか。しばらく顔出せないんじゃなかったのか?」
 歓びに緩んでいた顔を一気に引き締め、むすーっとした顔を作る。真狐は取り合わず、いつものように机の上に足を組んで座っていた。手には、月彦が放り投げたイツマデの骨が握られている。
「これ、そこに落ちていたわ」
「ああ、俺が投げた」
「真央に持たせなかったの?」
「忘れてたんだよ。ベッドの下に落としたまんま」
「そう」
 素っ気なく言って、真狐はとんっ、と机から下りる。そしてすたすたと月彦に歩み寄り、いきなりごちんっ、と頭の上にげんこつを振り下ろしてくる。
「っっ痛ぇええ! いきなり何すんだよ!!」
 涙が出るほど痛い拳骨だった。月彦は打たれた場所を片手で押さえながら怒りを露わにするが、真狐はぷいと背を向けるとそのまま部屋の窓から去ってしまう。
「ッてぇぇ…………マジかよ、あいつ……俺が何したってんだ」
 頭をさすりながら、再びベッドの側に膝を突く。突いて、真央の寝顔に見入る。あぁ、なんと安らぐ寝顔なのだろう。天使のような寝顔を見ているだけで、拳骨の痛みも緩和されるような気さえする。
「んんぅ…………とう、さま?」
「おっ、起きたか。今日はどうしたんだ、真央……心配したんだぞ?」
 月彦が言うや、真央は身を起こし、ぎゅうっ、と月彦にしがみついてくる。
「おわっ……!? ま、真央……?」
「……すっごく、恐かった」
 泣きそうな声で呟いて、真央はすりすりと甘えるように鼻先を擦りつけてくる。
「こ、恐かったって……なにがだ?」
 真央は月彦の問いには答えなかった。ただただ、その胸板に甘え続けた。


 

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