Bacchus(バッカス)というと,ギリシャ神話のお酒の神様ですよね。 私もお酒は好きなんですが,すぐに顔は真っ赤になりますし,そんなに飲めるほうじゃありません。 昔から仲間に酒飲みが多いこと,なぜか旅先で酒蔵を見つけて来る(外れの蔵はまだありません),などなどからこう呼 ばれてきました。 年に一度お酒の買出しを主目的に石川県まで行っているんですから,好きなんですね。
最近なかなか手に入らないと言われている日本酒の一つに「夢醸」という酒があります。
石川県の辰口町というところにある宮本酒造店という小さな蔵が醸し出す酒です。
この蔵との出会いはもう10年以上前になります。石川県の鶴来町に旅に出かけ,この町が好きになり,毎年通うようになりました。
最初は北陸道の金沢西ICでおりて鶴来に向かっていたのですが,小松ICからの方が近いといわれ,コースを変えて出かけるよう
になりました。
道中,電柱に「福の宮」の看板がありずっと気になって翌年蔵を尋ねてみました。
そのときに応対してくださったのが先代の蔵元さんで,何本か買って帰るときには,若い方が積み込みから車の誘導までしてくださ
いました。
その酒を口にしたとき「あの蔵がこれだけの酒を造るんだ」と驚いたことを覚えています。蔵元をはじめとする蔵人さんたちの人柄
が酒に出ているようでした。
毎年通うようになり,2000年の夏に尋ねたときに,最初車の誘導をしてくれたのが,新蔵元であることを知り驚きました。
いろいろと話をする中で,蔵元の熱意がひしひしと感じられ,大切にお付き合いしていきたい蔵です。
デントリペアってご存知ですか?
私も以前に,車の隙間に棒状の工具を突っ込んで,車のボディーを簡単に直す技術があるということは聞いたことがあり,興味を
持っていたんですが,友人のご主人がその修行を終えて仕事を始めると聞いて,正直半信半疑でうちの車の修理を頼んでみまし た。
我が家の駐車場には自転車3台が車と同居していて,子供が自転車の出し入れをするときによく側面をへこませてくれていました。
大きな蛍光灯でボディーを照らしながら,金属の棒を隙間に差込みボディーの裏からゴソゴソとやっていると見ている間に凹みがな
くなってくるんです。
ホント「エ!ウソ」といった感じです。短時間でここまでできるとは思ってもいませんでした。
当然塗装がはがれているときは塗装が必要です。
40代前後の方なら覚えている方があるかもしれません。1970年代後半に『新譜ジャーナル』・『ヤングギター』・『ヤングフォーク』な
どの雑誌の広告に掲載されていた不思議なギターのことを…。
「これまでのギターの常識を打ち破り,音の抜け,音量ともに最高とプロも絶賛!」等と書かれていたのに,私の周りに持っている
人もなく,何人かに聞いてみてもそんなのがあったことを覚えている人も少なく,いつの間にか消えてしまったギター。
ここまでで思い出した方はありますか?
そのギターとは,通常のサウンドホールとブリッジの間にもう一つ小さなサウンドホールを持つ二つ穴のギター。記憶の片隅に甦っ
てきた方もあるのでは(持っていたという方や,今も持っているという方があればごめんなさい)。
私自身二十余年の間,数多くの楽器店に足を運び,何十本かのギターを触ってきましたが,現物を見たことは一度もありませんで
した。私の記憶からも消えかけていたギターが突然目の前に現れました。
それは1996年の今にも空が泣き出しそうな師走の朝でした。いつものように仕事で外回りに出ようとして,公団の粗大ゴミ置き場を
覗くと,1本のギターが捨ててありました。パッと見たところ壊れていないように思い,駐車場の奥にしまいこんでおきました。
仕事を終えて隠しておいたギターを手に取った瞬間思わず「ワァ!」と声を上げてしまいました。
そうです,ついに見つけたんです。その昔プロも絶賛したはずの二つ穴のギターを。
やったと思ったのも束の間,ヘッドを見ると付け根のところでネックがものの見事に折れ,ヘッドベニアとペグで何とか付いている状
態でした。捨ててあった理由も解り,もう一度粗大ゴミ置き場に返してこようかと思いましたが,修理すれば使えるかもと思い家に持 って帰りました。
家に帰りゆっくり見てみると,『GRAND GUITAR by KISO SUZUKI』となっていますし,ネックは綺麗な折れ方でしたのでエポキシで
張り合わせ,補強もかねてロトマティックのペグを取り付けました。
プロが絶賛した音ってどんな音なのか楽しみに弾いてみました。音のほうは私の修理が下手だったのか,これまでの使われ方が
悪かったのか…。
まあ珍しいものだし,酒のつまみにぐらいはなるかと思っていましたが,うちのバンドの木曽スズキのファンが,「クレェ〜」と叫ぶ声
に負けて渡してしまいました。
もし今も二つ穴のギターをお持ちの方があれば,そのギターの感想や画像をメールで送ってください。
毎年夏に嫁さんの実家(秋田県男鹿市)に里帰りしますが,その時の楽しみが,「ババヘラ」です。
秋田県内の街道沿いで車が数台止められるスペースには,ビーチパラソルが立ち,地元では「ババヘラ」と呼ばれる少しシャリシャ
リとした懐かしい味のアイスクリームが売られています。
「ババヘラ」という名前の訳を嫁さんに聞くと,「婆(ババ)がヘラでアイスを盛るから」といとも簡単に答えが返ってきました。正式な呼
び名はあるのでしょうが,私の周りの誰に聞いても「ババヘラ」としか返って来ません。
確かに高校生のアルバイトのなどは見られず,ほとんどが名前の由来に頷いてしまう年齢の方々です。
会社は3〜4社あるようですが,アイスクリームをコーンに花の形に盛り上げてくれて(盛り方に上手い下手はありますが…),1つ15
0円は充分納得ものです。特に県外ナンバーはビーチパラソルが気になるのか,車から降りて食べていると,何台かが止まって買っ ていきますし,興味深そうに覗いて次の「ババヘラ」に止まっていく車も多いようです。
うちの子供は1日一つの「ババヘラ」を食べたさに,京都から14〜5時間の里帰りを楽しみにしています。
この「ババヘラ」,盛夏だけのものだと思っていましたが,6月の始めに結婚式で男鹿へ行ったときにはもう出ていましたし,運動会や
色々な行事にも出ているそうです。また,最近は地方発送までしてくれるところもあります。
里帰りには国道7号線を北上していくのですが,秋田県の最南端あたりから見かけます。以前店の人に聞いたところ,朝は6時過ぎ
から,夕方は日没近くまで炎天下で店を出しているということで,かなり大変な仕事のようです。
ちなみに,店の数は男鹿半島周辺が多いようです。
京都の街中に住んでいると,なかなか天然のカブトムシやクワガタムシに出会うことはできません。
子供の頃もカブトは2〜3回縁日で買ってもらったことがありますが,クワガタは1度ノコギリクワガタを買ってもらったことを覚えてい
る程度です。それが数十年後に近所からはクワガタ屋敷と呼ばれることになるとは・・・
1999年7月のある日,嫁さんが玄関で歩いていたと言って一匹の虫を捕まえて来ました。そのゴキブリに似た虫を図鑑で調べてみ
たところコクワガタのメスでした。その夏,海に泳ぎに行った帰りに寄った日帰り温泉で,地元で採れた色々なクワガタを売っていてコ クワガタのオスを買って帰り一緒にケースに入れました。詳しい人に見てもらうとオスは小型のヒラタクワガタでしたが…。
翌春,ケースに入れてあった朽木を割ってみると1匹の幼虫がいたので,インスタントコーヒーの空き瓶にマットを入れ幼虫飼育に
挑戦することにしてみました。
夏にはクワガタに詳しい知人に滋賀県の里山に採取に連れて行ってもらい,コクワガタ,スジクワガタ,ノコギリクワガタを採取する
ことが出来ました。
この頃から徐々にクワガタにはまりだし,秋田へ里帰りしたときにも山へ入り,コクワガタとミヤマクワガタを採取することが出来まし
た。秋田の帰りに福井県の勝山で開催されていた「恐竜エキスポ」で子供がオオクワガタをほしいと言うもので,買ってきたのです が,帰りの車の中でオスが行方不明になり,1週間後に発見しましたが,数日後には死んでしまいました。
やはりメスだけでは寂しいので専門店でオスを買い一緒にケースで飼育していたらその年に20数匹の幼虫が生まれ,マットのビン
と菌糸のビンが玄関やガレージの奥を占拠してしまい,幼虫も翌夏に羽化した成虫も友人のところへ配ったのですが,翌年もまた同 じような状態が続きました。
採取に出かけるのはもっぱら近場ですが,会社の近くでもミヤマクワガタを採取できるところを見つけ,ミヤマのブリーディングに挑
戦しましたがうまくいきません。
2002年の夏には,2度の冬を越した幼虫が羽化をはじめ,最大で73ミリの成虫が出てきました。
秋には初代のペアは死んでしまいましたが2世代目がまた次の子供を産んでいますので,この状態がいつまで続くのでしょうか。
第83回天皇杯3回戦敗退で,サンガの1年が終わった。
今年の元旦,秋田で見た第82回天皇杯優勝のシーン。
今シーズンの戦いを見ると決定力不足というよりも,こぼれ玉に飛び込む選手がいない,フォワードのフォローに入る選手がいない
という前線から中盤にかけての攻撃性の薄さ,無意味なバックパスの多用から守備を固められ攻め込めないばかりか,そのパスを カットされ失点に結びつくという前回のJ2陥落のときと同じようなシーンが目に付いた。
今日(2003年12月14日)の試合,来期のJ2降格という現実はあるにしても昨年の覇者の意地を見せて欲しかった。
来年1年でJ1に復帰するつもりがあるなら,それにふさわしいプレーと気迫を見せて欲しかった。
今日もまた,いつもと同じパターンの繰り返しだった。
たとえ負けるにしても,がむしゃらにボールに喰らいつきゴールを狙うというプレーが見られなかった。
「1年で上がってくるつもりやったら,そんなプレーをやれ!」「ホンマニ上がってくる気があるんか!」というスタンドの声が選手に届
いているのだろうか?
移籍等でチームの形は変わるだろうが,新たなスタートを切ってくれ。
俺たちは信じて待っている。
Get up!! Dont' give up!! Oh! SANGA
甦れ紫の勇者たち。
三度(みたび)のJ1昇格を目指し
売ったらあかん 友達を 売ったらあかん 2008年4月29日に亡くなった、随筆家岡部伊都子先生が1972年講談社現代新書『二十七度線 沖縄に照らされて』の中 |