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1日目 荒船山 に戻る 
 

赤城山 地蔵岳 一等三角点百名山

14年11月22日 
7時前に宿を出発。膝・足の筋肉に痛み多々。本日の山登りは無理と判断してリハビリのため軽い散策を選択。

道を西に進めば製糸場の正門。正規開門は9:30だが、15名ぐらいの団体さんは入門し、東繭倉庫前にて係員の説明を受けている。地図にあった南方の鏑川が眺められないかと南下するが、途中で立入禁止区域に。
製糸場の壁沿いに北上し、かたわらの工場全盛時代の写真を眺める。
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写真左:製糸場正門から東繭倉庫前の団体さんと説明員     写真中&右:工場全盛時代の写真

最北端から西に進む・・・やっぱり壁沿いに。そうするとミニバイクで通りかかった叔母さんが、「もう少し進むと西繭倉庫が見えるよ」教えてくれる。
その通り進むと、現物遭遇。最西端を倉庫沿いに南下し、甍を眺め、結局製糸場を3/4周。
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写真左:製糸場北西端から見た西繭倉庫   写真中:窓?                写真右:甍の波

南西端から西方向に進むと鏑川沿いに進むと、昨日の山が見え、その先の高見:桐渕橋から振り返れば製糸場も。

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写真左:橋上から見る製糸場跡 煙突から鏑川寄りは製糸工場棟? 写真中:川底のジオパーク?   写真右:鳥

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写真左:上流側の眺め、平べったい山は昨日の荒船山、赤矢印は艫岩。 写真中:荒船の艫岩拡大   
写真右:上信電鉄線踏切そばから撮影の妙義山(左:金洞山、右:相馬山)

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近くの西富岡駅から再び下仁田へねぎサミットを見物に。8:20頃着
開催は9時からなのでその準備状況を見つつ、下仁田ならぬ秋田の豚軟骨焼きで朝食を楽しみつつ。本当は下仁田ねぎの焼いたのを食べたかったが、販売店の仲間内で食しているぐらいで販売はまだ先の雰囲気。

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写真:左から右へ順に;深谷市の深谷ねぎ、郡山の阿久津曲がりねぎ、酒田市の平田赤ねぎ、兵庫県朝来市の岩津ねぎ、石焼き芋、きりたんぽ、能代町の白神ねぎ、豚なんこつ焼き、のテント 
     写真最右:今年5年目のねぎサミットIN下仁田。町長挨拶中。後ろはねぎ生産市町村代表?

このほか、愛知の越津ねぎ、青森県南部町の南部太ねぎ、新潟市のやわ肌ねぎ、茨木城里町のレッドポアロー(ねぎの品名)、岐阜県岐南町の徳田ねぎ、当然地元の下仁田ねぎ。、茨城県境町の境のねぎなどを確認。
茨木県板東市の板東ねぎ、京都市の九条ねぎ、安中市の上州ねぎ、富岡市のやわらかねぎ、越谷市の越谷ねぎ、松戸市のあじさいねぎ・矢切ねぎは気がつかず。
高崎に移動する時間が来たので小走りに駅へ。9:24発に滑り込む。

車内と車窓を眺めているうち高崎着10:21。膝もだいぶ回復。
ということで、観光センターで赤城山への行き方を聞くと前橋からバス。前橋の地図と観光案内をもらい、JRの案内所でバス時間を調べ、前橋11:40発、赤城山16:40発。山中は十分余裕。次の前橋行きは5分後。あわてて切符を買いこれまた滑り込む。
着いた前橋:まずはバス乗り場確認。腹ごしらえでそば屋を探すが、駅構内はあいにくと耐震強化工事中で1ヶ月お休み。駅南口にはなにもなし。
バス停横のビル前にポン栗売りをしていたからこれを代用食にとゆくと、ビル壁に「食の駅」とある。早速入ってエレベータ内の案内に3Fにラーメン店の名を見つけて進む。ところが食べ物屋がいっさい無い。空き店舗もいくつか。4F以上は立入禁。3Fにあった案内をみると2Fにはあるらしい。
はたしてそこにはあった。時すでに11:10。少々焦ったが、5分で出てきたので余裕で食し、11:35にはバス停に。

今日は土曜なので急行のバス。ただ乗客は独り。紅葉で眺めの良いのは中腹まで。そこから先は葉っぱのない樹木の世界。
12:40頃終点のビジターセンターに着く。料金1800円成りを投入すると運転手から1500円と告げられる。
しばし考えた運転手、「帰りもバスに乗ります?」「16時40分のバスなら私が運転しますからその時には1200円払って下さい」との提案。
即座に合意。さて、この4時間どう使おうか? 

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写真左:上越線車窓からの赤城山    写真中:ただいま登坂中          写真右:登坂はもうすぐ終わり

まずはビジターセンターで地図入手・・・・肝心の職員がいない。不在の時はxxxxと書いてあるが、一回り回って窓口に地図の山。寄付金10円也と書いてあったりして。表が色刷り+時間表示、裏には「赤城山 私の足あと」とモノクロ地図=いわば塗り絵に利用可。

大洞駐車場脇から登り開始。13:12。灌木と笹の間のごろごろ石のあるぬかるみ道だが、葉っぱが落ちているので明るい道。膝を痛めないよう慎重に登る。
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写真左:大洞駐車場登山口         写真中:大洞駐車場からの黒檜山    写真右:登山道

先を行く人とはどんどん離されるがやむなし。20分ほどで樹木が切れ、別の登山口と合流。黒檜山が灌木の上に顔を出し始めた。
10分ほどで眼下に覚満淵・ビジターセンター・大沼の一部が見えてきた。
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写真左:合流点からの黒檜山      写真中右:少し登ったところからの眺め

山頂はまだ先だが、樹間には谷川岳、開けた西には榛名山の向こうに浅間・浅間隠。その南には妙義・荒船とその遠くには蓼科〜北八つが霞む。
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写真左:山頂方向 写真中:荒船(赤矢印)妙義(黄矢印)遠くは蓼科(緑) 写真右:浅間(赤)・浅間隠(緑)・榛名山(黄)


更に進むと降雪跡も。そうこうしている内、前方にパラボラアンテナ。TV放送塔かな。
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写真左:降雪跡                写真中:前方にパラボラ        写真右:山頂はもうすぐ

灌木帯を抜けると約6分でアンテナが林立する山頂着14:07。18cm角の三角点に出迎えてもらう。
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写真左:地蔵の列              写真中:山頂の証              写真右:18cm角の御影石

ここは1等三角点百名山の第93番目に当たる。冠山・十種ヶ峰・普賢・天山・英彦山に続き今年6座目。やや風は冷たいが天気も良く、北から東〜南に遮る物無し。ただし北西〜西〜南は灌木がじゃまをするのが惜しい。
山頂を移動すると樹間越しに西方向を眺められる所もぽつぽつあるが、いかんせんお日様が西よりの時間帯:もやってはっきりしないのが残念。
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写真:山頂から北東〜北北西の眺め 

三角点付近からは北北西の仙の倉あたりから東側を「山の便利帳」の概念図を見つつ同定:(トマの耳・朝日岳・武尊・至仏・燧は同定。巻機・越後駒・平・皇海・袈裟丸は?)
結局写真判定に。以下は百名山を西側から北・東へとピックアップ。
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写真左:浅間山(手前は榛名山)       写真中:苗場山             写真右:谷川岳(トマの耳)

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写真左:巻機山                写真中:武尊山                  写真右:至仏山

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写真左:燧ヶ岳                写真中:会津駒ヶ岳              写真右:皇海山(と庚申山)

柿をかじり、山頂をうろつき、写真を撮り、写真を撮ってくれとのたまう山ガールにつきあってスマホで写真を撮り、武尊山南西に見える三角ピークを前武尊(=登山地図上は剣が峰山2020m。このピーク:2万5千分の1では無名峰で、西隣の獅子ガ鼻山1875mは記述がある)と教えてあげたり・・・の約45分を堪能。

14:54出発
下りは小沼方向に。全長の6−7割は木の階段。結構足に来るが膝痛は無し。木の階段以外はつるつる・ねばねばの真っ黒な土。滑ると当然真っ黒けだし、当然膝に障害がくるから慎重に下る。ようやく八丁峠に下りきる15:14。

ここから小沼に下る。15:20、湖岸(沼岸?)に着く。
一周40分だが、残り時間80分、最短の1/5周で我慢。

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写真左:地蔵岳から「この」を俯瞰         写真右:「この」湖畔で

高見に上がると、沼の1/5は氷が張っているのが見える。
地図上は、鳥居峠まで山道は続いているが、2−3分登り道。そこには展望所。
南に「この」北には「おの」があり、ここからは遠く富士山、尾瀬の至仏山も見えると書かれている。
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写真左:見晴らし場の看板     写真中:「おの」と武尊山(黄)と至仏山(赤) 写真右:「この」と富士山が見える・・・かも

しかし、この見晴らし台から道は上り坂。
ビジターセンターで手に入れた地図上には車道沿いに書かれていて、最初のヘアピンから分離して進んでいる。
道を間違えたかと元に戻り、車道上を下るが、下りポイントを見つかられず。やむなく車道沿いに進む。

峠への道と合わさり、峠に向かうとそこには小沼(この)への登山道。ああそうかと。
正面に「群馬県産サントリービールの水源」の看板。少し下がったところに延命水が涌いているのを見て、「おの」のワカサギはまだCsの量が多いらしいが、大丈夫かなと考えたりして・・・。
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写真左:鳥居峠の看板 サントリーとの関連が  写真中:峠からの眺め       写真右:覚満淵の眺め

時すでに16:00前。残り40分、延命水は諦めて覚満淵へ下る。一応1周30分なのでゆっくり目に大回り。道の回りにあった草や木々をチップ上に切り刻んだ物を歩道の上に敷き詰めてあって、ふかふかの歩き心地。
昭和天皇の歌碑(秋くれて、木々の紅葉は・・・覚満淵)を眺め、16:20頃、バス停に戻る。
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写真左:覚満淵 南から北方向     写真中:地蔵岳上の飛行機雲     写真右:覚満淵 北から鳥居峠方向の眺め

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写真左:昭和天皇の歌碑         写真中:案内看板          写真右:バスの車窓

この時間、すでにビジターセンターは閉館。その前に設置された自販機で缶コーヒーのボタンを押すが、レモンティーボトルが出てくる。隣の缶コーヒーボタンを押すと、希望通りのコーヒー缶。

バス停でくつろいでいると、バスが到着。あの運転手。「予定よりちょっと早いが寒いので」と。「早く乗って下さい」の言葉に感謝。私は飲まないレモンティーボトル受け取って頂く。

バスの中で思い返せば、下仁田駅で電車&EL撮影中に駅員の名札を拾い、届けた(なんとなく当の本人らしきに):いわゆる「情けは人のため為らず・・・」の格言を実感した次第。

バス中では日焼けガラス越しにかすむ夕闇を見つつ、暖かい車中でうとうとしつつ、前橋駅着。1200円を払って運ちゃんの対応に感謝しつつ下車。

前橋駅では15分後に上野行き発。物産店に駆け込み、名物の「焼き饅頭」、近くのkioskにて、ビールと夕食をgetして、2階まで駆け上がり、4人掛けボックスを専有し夕食兼飲み会を堪能。

車中、高崎でもらった「前橋・赤城山」の観光パンフレットを眺める。
明治の初期の群馬は「荒っぽくてキレやすい県民性」で「難治」の県と呼ばれていた時代。
ここに赴任した、長州生まれの楫取(かとり)素彦の活躍・・・・。
「人を育てること」をメインに、教科書編纂、学校設立、新産業育成(例えば、富岡製糸場設立)。
2015年大河ドラマ(主人公は吉田松陰の妹「文」。楫取の妻「寿」は姉?(=松陰の妹)。が、「寿」病没後に楫取の妻)の宣伝かな。

まあ、十年ぐらい前に、「百年後の群馬県はどうあるべきか?」を県をあげて検討した県。
百年後に必要不可欠なものはなにか? 結果は、高速道路や企業誘致ではなく、人々が生きてゆくのに必要な食糧の確保と結論を出しており、楫取の思想はここに反映されているのかも。

上野では乗換時間5分で京浜東北線、東神奈川では同じホームの左右で7分待ち乗換、終着の駅では3分後のバスで帰宅。
信濃地震中は風呂で汗を流し、またまた缶ビールで山行を終える。

コースタイム
予定  計2:30
ビジターセンタ−(VC)1:10−地蔵岳−0:30−小沼−0:30−鳥越峠−0:20−VC 

実績  計:3:20(休憩0:52含む)
ビジターセンタ−(VC)1:10−地蔵岳−1:10−小沼−0:36−鳥越峠−0:27−VC 


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