ポンペイのワイン工場
およそ7000年にわたって人間はワインを作ってきましたが、最初のブドウ栽培がいつのことか書き残されていません。
ワインの生産は農業の基礎となっていました。ブドウの木が育たない気候の地域はローマ人が住むには適していないと見なされていました。ローマ帝国の辺境の地は、北も南も、ブドウの木が生育出来る地と一致していました。
ブドウ栽培の中心はギリシャであったため、ローマ人は庭にギリシャのブドウの木を植えました。
ブドウの木の植え方は様々あり南フランスのナルボンヌではツタが地面を這うように植え、ブドウの実が地面に接していました。こういうブドウの外皮は非常に厚くなりました。イタリアではブドウの木が葦の茎や木枠にからまって上に伸びるよう育てられました。一番良いブドウの木の育て方と考えられていたのは、蔦が木に絡まるようにすることでした。
木にブドウの蔦をからませ高くて危険な場所での作業になることがわかっているのに、高いところにブドウをならせるのがローマ人にとって一般的な栽培方法だったわけは、高所での危険なブドウの実の収穫は奴隷にさせていたからでした。転落事故のための保険まであったようです。
古代からイタリア全土で丈夫で剪定が楽な楡、栗、柳やオリーブの木立のなかでブドウの木は育てられていました。
アルコール分の少ないさっぱりとしたワインが求められるときは晩夏に、もっと熟した甘みのあるワインが求められるときには秋にブドウを収穫しました。
ポンペイで発見された古代ローマ時代の圧搾機。
奧の四角い箱の中につぶしたブドウの実を入れ羊の頭のついた丸太で上から押してブドウジュースを絞ったのでしょう。
収穫された実は一般的に奴隷の足で踏みつぶされ、すぐに液体(果汁)と固体(果皮、種やブドウのつる)を分離するため圧搾機にかけられました。
しぼられた果汁に発酵を調整するために樹脂、ビネガーや一年前の果汁などが加えられ、ローマ人は果汁を陶器でできた広口の容器に貯蔵して、樹脂と粘土と灰で密封し土の中に埋めて恒温を保ち発酵を進めました。
木製の樽のなかでワインを熟成させる方法はローマ風というよりケルト風であり、ケルト人のなかにはローマ帝国にごく近い北イタリアに住んでいる者もいました。
果汁を流す”とい” ワインの かめ
しぼったブドウジュース(果汁)は ”とい” を通ってうつわに蓄えられました。
現代のワインつくり。
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