芭蕉庵
俳聖松尾芭蕉が郷里伊賀から二度目に江戸に出て、深川六間堀近くの、所謂今日の深川芭蕉庵に住みつくまでの四年間、すなわち延宝五年(1677年)当時34才で神田上水(江戸川)の改修工事を監督して、延宝八年(1680年)37才まで、 この地竜隠庵(りゅうげあん)に居住したので、関口芭蕉庵と呼んで大正十五年東京府の指定史蹟に編入されました。
芭蕉翁が関口の水道工事の監督としてこの地に住んでいたのは延宝五年から八年の四年間、三十四才から三十七才頃と推定されている。
延宝五年 三十四才
猫の妻へつゐの崩よりかよひけり
梢よりあだに落ちけり蝉のから
あやめ生(おひ)けり軒の鰯のされかうべ
延宝六年 三十五才
かびたんもつくばはせけり君が春
雨の日や世間の秋を境町
わすれ草菜飯につまん年の暮れ
延宝七年 三十六才
阿蘭陀も花に気にけり馬に鞍
延宝八年 三十七才
かれ枝に烏のとまりけり秋の暮れ
花むくげはだか童のかざしかな
しばの戸にちやを葉かくあらし哉
延宝八年、九年 三十七、八才
花に酔り羽織着てかたな指す女
郭公(ほととぎす)をまねくか麦のむら尾花
史蹟 関口芭蕉庵案内記
(史蹟関口芭蕉庵保存会)
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