時間 地点
日向市上町7-3 ホテル ベルフォート日向 疲れもたまっていたため、部屋でのんびりして、遅めの出発。
精算を済まし、三泊お世話になった宿を後にする。
10:05 日向市鶴町 JR日向市駅 日向市駅から普通列車に乗車し、都農駅を目指す。
出発点 10:33 都農町副原尾 JR都農駅 都農駅前日の到着点、都農駅から歩き始める。
四日目で帰りのバスの時間を考えながら、無理せず歩くこととした。
アイショップ 駅前のお店(Rショップみたいな感じ)で朝食を調達。ドーナツと手作りっぽい焼きそばを購入。近くの高校の生徒らしき子どもが数人いた。そのためか、カバン置き場が設けてあった。
10:53 彼岸花 都農駅から10号線に出るまでの道は車のとおりもあまりなく、静か。少し盛を過ぎた彼岸花が咲いていた。
朝食兼昼食 11:09 都農町三日月原 三日月神社三日月神社 焼きそば・ドーナツ10号線に出て、少し進む。
朝ごはんが食べられそうな場所を見つけた。三日月神社という鄙びた神社。あがるとベンチがあり、ちょうどよかった。座ってのんびり焼きそばとドーナツを食べる。
11:24 高鍋町番匠ノ別府 都農町・川南町境
ひょうすんぼの町
川南町に入る。ひょうすんぼって何?河童?
調べ学習したところ、
「筑前から南九州でいう「河童」の一種、または「河童」そのもの。「水神」や「武神」を祀る「兵主部神社」が多数存在する。「兵主部」の「部=べ」は、別名である「ヒョウスボウ」の「ボウ=坊」であり、「河童」の「童」と同じ役割で、「坊」が訛って「べ=部」になったといわれる。姿を見た者は原因不明の熱病になり、その病人を見舞った人も病気になるといわれる。」とのことで、ひょうすぼとかひやうすべりとかひゅーひゅーさん、ほいほいどん、ひゅーすん、なんて呼び名もあるらしい。「ひょうすべ」は聞き覚えがあるけど、「ひょうすんぼ」は初めて聞いた気がする。
都農ではひょうすんぼ祭なるものがあるらしく、
「ひょうすんぼ祭りは、「新ひむかづくり運動」の、都農町かっぱの里づくり事業として、毎年、夏に開催されます。みんな、ひょうすんぼのいでたちで町に繰り出し、たくさんのイベントが催され、とっても楽しいにぎやかな祭りです。 」と紹介されている。
みんなで河童の格好で繰り出すの?楽しそう。繰り出したい。

都農町がひょうすんぼをマスコットにしている理由はこういう民話かららしい。
都農町で大字は名貫川北岸に位置する川北だけ。数少ない南岸集落の1つに分子(わけ)村があり、川口付近の県道から坂道を上ると徳泉寺がある。現在では水量がないが、雑草に覆われている都南橋南西岸は昔は薄暗く、木が茂っていて深くなっていた。
 徳泉寺に享保元(1716)年になくなったとされる洞益和尚がいた。昔は橋はなく、ある夏、和尚は飛び石の川伝いに葬儀から帰っていたとき、馬を河原につなぎ、水を浴びさせた後、自分だけ寺に帰って休んでいた。
 やがて、馬がいななきながら、けたたましく坂を駆け上ってきた。和尚が出てみると、馬が1匹のカッパをくわえていた。川から出てきたカッパたちが馬の脚やしっぽにぶら下がり、川へ引きずり込もうとしたので、慌てて1匹をくわえてきたのだった。
 和尚はカッパを柱にくくりつけた。夕方になり、頭の皿に水もなくなり、カッパは泣き声で許しをこうた。和尚がかわいそうに思い、水をかけてやると、急に元気になり、自ら縄を切って逃げ帰った。またはあまりに騒がしいので、住職の妻が米のとぎ汁をかけたら元気が出て逃げ出したとも伝えられている。
 翌晩からカッパたちが毎夜、寺へ押しかけてくるようになった。本堂や部屋で騒ぎ、付近の農作物も荒らし始めた。眠れない夜が続き、和尚は村人を集め、七日七夜の退散祈願祈とうを行った。また、名貫川の1千個の小石に経文を記し、川中に沈めた。
 経文の威力で、手足の自由がきかないカッパが出始めた。カッパの大将が経文の書かれた小石を見つけた。大将は寺に行き、和尚の前にひざまずいて、「まことに悪うございました。いり豆から芽が吹くことがあっても、人様や牛馬には害は加えません。どうか川中の経文石を除いてください」と謝った。
 和尚は村人に大豆をいらせて川に投げ込み、経文石を拾わせた。それから名貫川のカッパは悪さをせず、人助けをするようになったという。
 徳泉寺には七日七夜の御祈祷(とう)碑、寺の上り口横には、経文石を川底から拾い集めて造った塚がある。同じような塚は、すぐそばの川南町猪久保にもある。
 現在の徳泉寺・沢海禅住職によれば、昭和40年代前半まで分子村では毎年暮れに「カッパ祭り」が続けられていたという。近年、「都農町ひょうすんぼ祭り」が町商工会の手で復活した。

12:38 これと言って寄るところもないので、i pod shuffleで音楽を聴きながら歩く。
うん、気分がいい。
ラジオだとうまく聞こえなかったり、聞こえても番組が面白くなかったりするけど、これなら自分の好きな曲しか流れない(入れてない)し、軽いし、けっこう再生時間は長いしで、言うことない。次の歩きのときも必携だな。音楽があるだけで、何もない道も快適に飽きずに歩くことができる。
左に曲がれば川南駅という地点を通過。大して歩いていないのに、足の裏が痛いせいで、そこをかばうように変な歩き方をしてしまい、もう足が痛くなってきた。次の信号まで行ったら甘栗一個、その次まで行ったらもう一個食べれるというルールをつくり、ちょっとでもがんばれるよう自分を励ます。
13:25 川南町・高鍋町境 高鍋町へ川南町がどんなところかイマイチつかめないまま、川南町を出て高鍋町に入る。
高鍋町の名物は亀?
13:51 高鍋町 茶屋お茶畑 茶屋道の両脇にお茶畑が広がる。お茶屋さんを見つけ、いったんは通り過ぎたものの、お茶買って行こうかなと思い、戻ってお店に入る。感じのいいおばあさんが時間があればと緑おいしいお茶茶を淹れてくれた。腰掛けて一口。おいしい〜。「秋の新茶」と書かれたその煎茶を買っていくことにした。家に帰って、お茶を飲むたびに歩いたことを思い出すのもよい。
お楽しみのあまりないこの日の歩きの唯一のいい思い出となった。
古墳群(といってもぱっと見よくわからんが)を横目にトコトコと10号線を下っていく。足がやはり痛い。
舗装が古くなって石が露出しているところは直接足の裏にひびいてくる。
14:39 高鍋町鴨野 高鍋大橋時計台 時計台「時間の励行日本一」だそうな。いい加減な自分はそういうの苦手〜。
到着点 15:07 高鍋町蚊口浦 高鍋駅高鍋駅 足の裏が痛くて、思い通りに足が進まない。高鍋駅までの1〜2キロにかなり時間がかかった。
なんとか高鍋駅に着いた。ここも天井が高く広い駅だ。15:26の列車に乗り帰りの福岡行き高速バスの乗り場であるバス宮崎駅へ移動。
15:54 宮崎市 宮崎駅 宮崎駅に着いた。足が痛くてたまらない。足の裏の指の付け根の部分が痛いので、階段などはかかとだけをつかって下りるという技をあみだした。外に出て高速バス乗り場を確認。
夕食 16:30 宮崎市橘通西三丁目8-12 珈琲専門店 輪’z輪’z バスの出発時間まで時間があるので、早い時間だが夕食を取ることにした。
駅近くを歩いてみたがこれといった店を見つけられず、コンビニでもグルメ本はあまり置いておらず、さ迷い歩いてお店をさがす。うろうろした果てに見つけたお店に入った。店は2階で思ったよりもゆっくりできる。豆や焙煎の道具などが飾ってあり、コーヒーにこだわっているようだ。
ソフトフランスパンとサラダ、スパゲッティグラタンのセットを注文した。熱々でおいしい。
買い物 17:50 宮崎市 LAUNDRY宮崎店LAUNDRY宮崎店 宮崎にもLAUNDRYが?
宮崎にあるの知らんかったニワトリTシャツ〜。鹿児島のLAUNDRYは何度か行ったことあるけど。
入ってって、秋の新商品を眺める。
店員さんと話していると、宮崎限定デザインはないという。今までに出たことないそうな。ということで、福岡のソラリア店にもあるはずだけど宮崎記念にと思い、ニワトリ柄の長袖Tを購入(チキン南蛮とか鶏のもも焼きとか鶏肉食べたしな)。店員さんが、せっかくだからとジャパニーズフェアのポストカードをオマケにくれました。あと宮崎限定はないのでとショップカードに名前を書いて、「これ限定品です。一枚しかないですよ。」と。
歩いてJR沿いに都農駅まで来たと話していると、彼は日向南駅の近くが実家らしいので駅の話などで盛り上がった。
18:17 宮崎市 宮崎駅 高速バスで福岡に戻る。連休だったためか満席でかつ3台での運行。
22:11 福岡市中央区天神 天神バスセンター 福岡に到着。
いや〜、日に焼けた。その後1週間で耳の皮が脱皮した。次歩くときはハンチングじゃなくてつばの広い帽子かぶらんとやっぱ駄目やな。綿の長袖タートルを着ていたけど、それを通して肩や背中がばっちり焼けていた。日に焼けるだけならいいが、日に当たった部分にブツブツとじんましんが出たのは初めて。日光アレルギーか??カラダにガタが出る時期なのか、どうもカラダのポンコツっぷりが激しい。
歩いた距離 18km
歩数 36000歩

かえるライフ      旅の目次      ←モドル(33日目へ)       ススム(35日目へ)→