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図書紹介:『物語としての痴呆ケア』

  • 著者:小澤 勲、土本亜理子  
  • 発行所:株式会社三輪書店、ページ数:309ページ、
    発行日:2004年9月20日 第一版第一刷、定価:1800円+税

本書は以前に図書紹介で紹介した「痴呆を生きるということ」の続編である。前書で書ききれなかった痴呆ケアの技術面ないしは理論化という課題について著者の考えを示したものである。 しかし、著者は病を得ており、とうてい活字と取り組める状況にないのでノンフィクションライターの土本亜理子氏の協力を得て作成したものである。

本書の第一部「物語としての痴呆ケア」は、2004年1月11日に三重県津市で開かれた講演会の記録に小澤氏自身が加筆・整理された内容である。第二部「小澤痴呆ケア論の源流を訪ねて」は、土本氏が小澤氏と関係が深い三つの施設について緻密な取材をもとにまとめたものである。

第一部から読み取った小澤痴呆ケア論の概要は下記の通りである。

「痴呆老人からみた世界はどのようなものなのだろうか。彼らは何を見、何を思い、どう感じているのだろうか。そして、彼らはどのような不自由を生きているのだろうか」と疑問を投げかけ、それに答えようとした。
そのために痴呆を病む人の言動や行動をただ表面的に受け取るのではなく、その裏に広がる物語として読み解こうとした。「物語としての痴呆ケア」という言葉には、これまでのような「外側からの分かり方」ではなく、「痴呆を病む人の体験をもとにした分かり方をしよう」という著者の気持ちが込められている。
痴呆を病む人の人生を知って、彼らの症状や行動を彼ららしい表現として理解すること、痴呆を病む人の不自由を知って彼らに届けるべきケアに具体的なかたちを与えることが課題である。そして少しでも彼らの思いに沿う、彼らを主人公にした暮らしをつくるためのケアを提供すべきである。
痴呆を生きる不自由には、身体的不調、奥行き知覚の障害、感覚のスクリーニング機能の障害、覚醒度のゆれと情動のコントロール不全、全体的把握、物語ることの困難、フィードバック機能の障害、人の手を借りることができない、知的「私」の崩れなどがある。
痴呆ケアでは知的道具を使いこなす、知的主体としての「私」を補助するという役割が求められている。そこで、知的「私」、知的スーパーバイザー、オーケストラの指揮者を補助する人あるいは機能を、当面「補助自我」と呼ぶことにする。具体的にはクリスティーンさんの夫でケア・パートナーのポールさんのイメージである。
「補助自我」に求められるものは、生きる意欲を育てる、不自由を知る、絶対の信頼関係などである。

第二部では、小澤痴呆ケアの源流として、著者が7年間施設長を務められた広島にある介護老人保健施設「桃源の卿」の軌跡、そのほか小澤氏の影響を受けられた方が始められた三重県鈴鹿市にある痴阿呆性高齢者通所施設「デイハウス沙羅」および三重県にある知的障害者更生施設「れんげの里」を紹介している。

[コメント]
介護される側に立ち、非常に高い介護目標を掲げたケア論であると同時に、介護老人保健施設「桃源の卿」における実践の紹介でもある。 私もアルツハイマー病の母親の介護を行っており、できるだけ本人のことを配慮した介護に心がけているが、小澤氏のいう「補助自我」までは思い至らなかった。 このような介護を行えるのは、クリスティーンさんの夫でケア・パートナーのポールさんのような配偶者か肉親でないと不可能と思っていたが、 小澤氏の目標は施設でそれを行おうというものである。介護される側と介護する側へ希望を与えるすばらしいメッセージである。
(2004年11月24日)
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