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介護レポート:2003年12月度
「母は在宅介護のヘルパさんを拒絶するようになった」

今月の母の調子は、身体的な面では先月同様調子が良く、良く食べ、良く歩き、良く寝ました。 以前、足が痛いということが時々ありましたが、最近はそのようなこともなくなりました。徘徊が良い方に働いて、足が丈夫になったのかも知れません。 週3回のデイサービスも問題なく行っています。しかし、徘徊に関しては、改善は見られませんでした。 今月の徘徊の実績は、徘徊実績に示すとおりです。 過去2ヶ月と比較をしてみると下記のとおりになります。全般的には過去2ヶ月と大差がないと思います。 1回当たりの時間が増えているように見えますが、徘徊の回数が細切れの時の回数は不正確なので過去2ヶ月と大差ないと思います。

 10月11月12月
合計848分763分855分
回数32回28回26回
1回当たり時間26.5分27.3分32.9分

今月の特徴的なことは、60分以上の長時間の徘徊が増えたことです。10月3回、11月3回でしたが、 今月は6回に倍増しました。これは介護するものにとって結構負担になります。 なぜ、1時間も2時間も歩き続けるのかよく分かりません。外に行くきっかけは、「仕事を探しに行く」、 「仕事を断りに行く(母はデイサービスを仕事と思っている節がある)」、「お母さんのところに行ってくる」などなどですが、 その目的は10分もすれば忘れてしまうでしょうから、なぜ長時間歩き続けるのかよく分かりません。家に一旦入ってから再び直ぐに出て行くこともありますから迷子になっている訳ではありません。

もしかすると、毎日に同じ部屋に常に誰かと一緒にいることが抑圧的に感じて、 ひょいと出て行ってしまうのではないかと考えてみました。そこで、昼間の2時間位、「2階で仕事してくるよ」と言って母を一人にしてみました。 勿論、2階から聞き耳をたてて外に行くことには注意を向けていました。ところがその2時間の間に4回も外へ出ていったのです。 ということは一人で居ようが二人で居ようが関係ない、ということかも知れません。結局、なぜ長時間徘徊するのか、 回数や時間を減らすにはどうすればいいのか、今のところ分かりません。

今月出てきた新しい問題は、デイサービスのない日(週4回)に1回2時間来ていただいている在宅介護のヘルパさんを拒絶することが多くなったことです。 朝、ヘルパさんが来ると目を合わそうとせず、部屋の隅に行ったり、部屋から出て行ったりします。 私が自宅へ帰るために、「これから会社に行ってくるよ」と言って 玄関から出て行こうとすると付いて来てしまうのです。どこまでも付いてくるので私は帰れないこともあります。 この行動はヘルパさんによらずどのヘルパさんでも同じです。(ヘルパさんは週4回、毎回違う人が来ています。) 肉親にそばに居てもらいたいことの暗黙の意思表示なのか、他人に迷惑をかけたくないという昔からの強い意識の表れなのか。 妹の場合の方がうまく帰れるケースが多いようですが、これは「娘は嫁に行ったのだから家に帰るのは当然」と潜在意識で思って いるからかも知れません。
 

○母の策略
それは12月中旬のデイサービスのない日のことでした。いつも通り、9時半に在宅介護のヘルパさんが来ました。 そのヘルパさんは一番母と相性の良いヘルパさんでしたので拒絶症は起きないだろうと安心していました。 ところがその日は、ヘルパさんが「愛子さん、おはようございます!」と言っても「あらっ!」と言ったきり、目を合わそうとしないのです。何を話しかけても乗ってこないのです。 拒絶症かな、と嫌な予感はしたのですが、いつも通り「それじゃ、お母ちゃん、会社に行ってくれから、 この方とお話しててね。」と言って玄関に行くと、母はついてくるのです。どこまでもついてくるのです。仕方がないのでその辺を一回り してからまた家に戻り、コタツに入ってヘルパさんと雑談を始めても、母は話の輪には入らず、ベッドの上で一人で編み物をしています。

適当な時間に再び「それじゃ、お母ちゃん、会社行ってくるよ。」と言って出て行こうとするとやはり付いてくるのです。ヘルパさんも何とか母の気を引こうと話しかけたり、 編み物を褒めたりしてくれましたが、全く乗ってきません。そういうことを何回か繰り返しましたが、結局、私は出て行けませんでした。

ヘルパさんは見るに見兼ねて、「今日は駄目なようですね。 よろしかったらこのまま帰りますが・・」と言ってくれました。わたしも今日は特に予定はなかったのでヘルパさんの申し出を受け入れることにしました。 ヘルパさんが帰ると母は私のところに寄ってきて「あの人はどうしたの?」と聞くのです。 「帰ったよ。」と言うと、母は「うまくいった!帰るように仕向けたんだ。」と言うのです。私はつい「お母ちゃんはズルイ。」と言って しまいました。そうすると母は「そんなことを言うのなら、自分の家へ帰って。」と言ったきり、1時間以上も口をきかなくなりました。
 

○母の年末年始
デイサービスは12月30日から来年1月4日まで休みですので、その間の介護当番はきょうだいで相談して決めました。 妹(三女)は12月30日の昼食から31日午前11時頃まで、弟は31日の昼食から夕食まで、 私は31日夜7時以降2日の昼食までとしました。

31日の夜は、女房が準備してくれたおせち料理セットを母と一緒に3段重ね重箱やお皿に詰めてお正月の準備をしました。 このことで母は今日は大晦日で、明日はお正月であることを理解したようです。ときどき、きんとんや 黒豆などを母の口へ入れてあげると母は子供のように、「こんなにおいしいのは生まれて初めて」 などと言いながら大喜びでした。

重箱への詰め合わせが終わってから、母をお風呂へ入れ、その後は二人でNHKの紅白歌合戦をみました。 母が一番一生懸命聴いていた曲はグループ名は忘れましたが、「ソーラン節」でした。 母は室蘭生まれのせいか、日ごろからソーラン節らしきものを口ずさんでいたので、 本式のソーラン節を聴いて本当にうれしそうでした。 母は10時過ぎに満足したように寝ました。

元旦の朝食は、昨日詰め合わせた重箱やお皿を全てお膳に広げ、女房が準備してくれたお雑煮セットでお雑煮を作りました。 元旦は母の誕生日であり、86歳になりました。母に「誕生日、おめでとう。今日から86歳だよ。」というと、 「えっ、86歳かい。随分年をとったね。しかし、今日までのところ1回も病気になったことがないのが一番うれしいよ。」 と言って自慢しました。私は心の中で、「今年も1回も病気をしないで元気で過ごせますように。」と祈りました。

○元日の朝、母の誕生日を記念して
  
(2004年1月1日撮影)

(2004年1月11日 第2版2004年1月13日)

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