図書紹介:『ぼけ(老人性痴呆)が起こったら』
〜新版 アルツハイマー病、
脳血管性痴呆の介護〜
- 著者:ジョンズ・ホプキンズ大学医学部 ナンシー・メイス+ピーター・ラビンズ
- 訳者:中野英子
- 出版社:サイマル出版会、ページ数:395ページ、出版年月:1992年2月、定価:2600円
本書は、アメリカのジョンズ・ホプキンズ大学医学部が痴呆の看護の研究をするプロジェクトチームを
発足させて研究した成果として世に問うたものである。原書の初版は1981年に、改定版は1991
年に出版された。本書は改定版の日本語版である。
私が本書を最初に読んだのは、母が初期のアルツハイマー病と診断された4〜5年前である。本書に
よってアルツハイマー病になるとどうなるか、そして介護はどうすればよいかなどを知った。現在、
きょうだい5人及びその配偶者で一致協力して母の自立を助ける形で介護ができているのは、本書の
お陰であると思っている。最近、再び読んでみたが、正に現在の母の状況に相当する病状とそれへの
介護の参考になる内容が多数記載されており、改めて本書の正しさ、有用性を認識した。
本書は、まずプロローグで“ぼけ(老人性痴呆)とは何か”を痴呆になった患者自身はどう感じて
いるか、どんな症状が起こるかを説明し、介護方法として家族こそが最良の介護者であるとしている。
第T編では、ぼけが起こったらどのような症状になり、介護者はそれらにどのように対応すれば
よいかということが具体的なヒントと共に詳細に説明されている。初期段階か重病段階まで述べら
れているので誰が読んでも直ぐに役に立つと思う。
第U編では、介護者とその家族への影響について問題点を広範に取り上げている。家族で引き取る
場合の家庭生活への影響、家族による介護の限界の状況判断、施設への入居、痴呆研究の現状など
が説明されている。
本書は、以上の通り老人性痴呆に対する介護への具体的なヒントに満ちており、痴呆者を抱えている
人達にすばらしい指針を与えてくれるであろう。一読をお薦めする。
下記に私の心に響いている言葉の一部を本書の中から紹介する。
- 治療によって治すことの不可能な痴呆だと診断されたときには、患者自身も患者の家族も、この病気
と共存していく方法を真剣に考えざるをえません。自分の近しい人が、知的能力を失う病気に冒され、
それが進んできているという事実を受けとめ、かつ耐えていくことを迫られるのです。
- 痴呆の人には、時には幻視、幻聴、幻嗅という症状も起こります。しかし病人本人にとっては幻ではなく
現実なのです。
- 痴呆の最終段階になると、脳障害はますます全身に影響し、寝たきりとなり、失禁をし、意思を伝える
こともできなくなります。この段階になると、よく訓練された看護婦に看てもらわなければならなくなります。
- 困難を乗りきる鍵は、常識と独創力の両方にあります。時として家族は患者の近くにいすぎるため、どう対処
すべきかを見落としたりするものです。しかしまた、難問の解答を見出す適任者は家族しかないということもいえます。
- 何よりも大切なことは、痴呆の病人とその家族の生活・人生をより楽にするための方法はいろいろあるのだ、
ということをしっかりと自覚しておくことです。
- あなたを怒らせるような行動のほとんどは、わざとしているのではなく、またやってやったぜ!というような、
人を困らせる快感を意図したのもではありません。脳自体が侵されているために、習得能力、理解力が非常に
限られてきているのです。
- 記憶したり、習得したりを期待することは無駄なことであり、病人に教えこもうとすることは、病人とあなたの両方
にフラストレーションを起こさせるのみです。
- もしも痴呆の人に対し、より居心地よく、安堵感が持てる方法を見出してあげることができたならば、
問題のある行動をもっと減少させることができるかもしれません。
- 成功のコツは「受け入れること」です。害がなければそれに慣れることです。
- 失った能力はふたたび戻ってこないという事実を認識しましょう。しかしながらわかりうる能力の限界内
では、繰り返しやさしく教えてあげることは病人にとても手助けになることを覚えておいてください。
何らかの単純なことでもいいから、能力の限界内で作業に加われるように考えてあげましょう。
- 見えるところに時計とカレンダーをかけておくことは、記憶に混乱をきたしている病人には大きな手助け
になります。過ぎた日は、X印で消していきます。混乱した病人に家族や親しい友人の写真を見せるということは、
記憶を呼び戻すのに効果があります。
- 病的な反応に対して、いい争うようなことを避け、うけながす術を心得ることが、病人の扱いを楽にする鍵です。
- 金銭問題での衝突は、時によれば少額の現金を持たせておくことによって避けられます。
(2002年5月14日)
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