貸切バス

羽後交通は、路線バスで盛岡まで乗入れて来ていましたが、ここでは貸切車の中で撮影できた車両だけを紹介します。

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羽後交通

撮影:盛岡駅(1986.10.18)

羽後交通 日産デRA50P(1979年)

日産ディーゼルの標準床車。間もなく路線に格下げられる手の車両だと思われます。

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羽後交通

撮影:盛岡駅(1986.9.7)

羽後交通 日野P-RU638A(1984年)

日野のミドルデッカー。前面窓が1枚ガラスになっているほか、ライト周りに特徴があります。

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羽後交通

撮影:十和田湖休屋(1986.5.3)

羽後交通 三菱P-MS725S(1984年)

三菱のフルデッカーですが、車体は呉羽製の「サンシャインデッカー」と呼ばれるタイプです。当時一世を風靡していた三菱ボディのエアロバスと比べると、中型バスMKを大型化したような地味な印象のボディです。
ただ、初期にはこのボディを好んで導入するユーザーも見られました。恐らく、エアロバスの個性の強すぎるスタイルに最初は一部に拒否反応もあったのだと想像します。

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羽後交通

撮影:十和田湖休屋(1986.5.3)

羽後交通 日野P-RU638A(1985年)

日野のフルデッカー。日野のスケルトンバスは岩手県内でも多く見かけますが、羽後交通のこの車両は前面1枚ガラスで、折戸、逆T字型窓など、雰囲気が異なります。

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羽後交通

撮影:盛岡駅(1986.8.30)

羽後交通 三菱P-MS725S(1985年)

三菱のサンシャインデッカーです。日野車と同様に、1985年製は逆T字型窓になった点などが、上の1984年製とは異なります。

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80s岩手県のバス“その頃”