元岩手県南バス
日野車
岩手県南バスは、岩手県交通の前身3社のうちでは唯一、資本は独立系でした。車両面では、古くから日野車が多数を占めており、“その頃”にも日野車が最も多く残っていました。
日野RE100(1971年式)
岩22か50
撮影:水沢営業所(1985.8.17)
岩22か50
撮影:水沢営業所(1985.8.17)
金産ボディの中ドアのツーマン車に前ドアを増設してワンマンカーに改造した車両。中ドア次位の窓は、改造前は車掌台でしたが、改造に伴い方向幕併設の窓に変わりました。
同年式で帝国ボディの車両もいたようですが、“その頃”既に姿はなく、ツーマン車のまま廃車になった模様です。
日野RE100(1973年式)
岩22か308
撮影:一関駅(1984.6.24)
元は中ドアのツーマン車だったようですが、前ドアを増設してワンマンカーに改造されています。車体は帝国ボディ製ですが、増設された前ドアはオリジナルとは違う形をしています。
岩手県南バスエリアでは、このタイプの車両が多数在籍していました。
日野RC300P(1972年式)
岩22か188
撮影:雫石営業所(1986.5.5)
岩22か188(廃車体)
撮影:滝沢村鵜飼(1987.6.6)
岩手県南バスが路線兼用貸切車として購入した車両。日野は4両あるうち3両が帝国ボディ製でした。
このグループはすべて県交通カラーに塗り替えられ、2両は雫石営業所で中距離路線に使用されていました。残り1両は大迫営業所に配属され、地味にスクールバスなどに使用されていたようです。
1986年には廃車となってしまいました。
後部の写真は廃車になってからの姿です。テールライトが丸型の3連式で、非常口の窓が横引きの開閉式なのが分かります。
岩22か191
撮影:一関営業所(1985.8.11)
岩22か191
撮影:一関駅(1985.8.17)
4両のうち1両は金産車体製でした。ドアの形状などが帝国ボディと異なります。後ろ姿を比べて見ても、非常口の窓(上下2段窓)や最後部の三角窓が異なるのが分かります。
元は帝国ボディの車両と同様、丸型3連のテール灯だったようで、台座が残っていますが、一般型に改造されていました。
一関営業所で使用されていましたが、1986年に廃車となりました。
日野RE100(1973年式)
岩22か452
撮影:山田町四十八坂(1985.9.25)
岩22か433
撮影:千厩営業所(1986.9.24)
県南バスが1973年に大量増備したワンマン車。いすゞ車と三菱車も同時に増備されています。
ほとんどが県南バスエリアに配置されていたため、県南バスカラーのままでした。
岩22か434
撮影:花巻営業所(1986.5.5)
県南バスカラーのままの車両が多かった1973年式の中で、岩22か434は花巻営業所に配置されており、県交通カラーに塗り替えられていました。
日野RE100(1976年式)
岩22か725
撮影:都南車庫(1986.4.30)
岩22か725
撮影:都南車庫(1987.4.16)
岩手県南バスが最後に導入した車両で、同時期にいすゞ車と三菱車もあります。これまでの帝国ボディから日野ボディに移行した後の車体ですが、スタイルはそのままのバス窓です。
写真の車両は盛岡地区に移ってきていたため県交通カラーに塗り替えられています。