バス廃車体全国版

北海道(道央)5(道南バス)

北海道の道南バスの廃車体です。
道南バスは室蘭市に本社を置き、苫小牧、倶知安などに路線を広げます。どちらかと言えば、道央地方に入るエリアの南部になります。
北海道中央バスとよく似たカラーですが、塗り分け線は、ベースとなった京阪バスにより近くなっています。錆の進んだ廃車体の場合、どちらの会社なのか、判別は困難な場合があります。

廃車体
MR470

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.5)

道南バス 三菱MR470

道南バスの前ドアのバス窓車。
前照灯2灯なので、1964〜66年式。
雪の重みで後ろの方はつぶれてしまっています。

廃車体
B805M

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.6)

道南バス 三菱B805M(1969年式)

道南バスのバス窓の前ドア車でエアサス。
車番は735です。

廃車体
B805N

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.5)

道南バス 三菱B805N

道南バスのエアサス車。
後面角の部分に724という車番が見えます。

廃車体
MR410

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.5)

道南バス 三菱MR410

道南バスのワンマンカー。中ドア上の方向幕にも系統幕が併設されています。
前面ヒサシ付の1973〜74年式くらい。

廃車体
MP518N

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.8)

道南バス 三菱K-MP518N(1982年式)

倉庫の両側に取り込まれた2台の道南バス。
左右のバスは互い違いに置かれていますが、同型車のようです。
左側のバスの車番は620です。

MP518N

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.8)

MP518N

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.8)

前側の写真は倉庫の左側のバス、後ろ姿の写真は倉庫の右側のバス。

廃車体
MS

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.8)

道南バス 三菱MS

緑色の道南バスカラーに塗られた後ろ姿がちらっと見えます。

廃車体
RA50P

撮影:洞爺湖町(2023-6-9)

道南バス 日産デRA50P(1977年式)

有珠山の噴火により作られた西山火口散策路の中にある旧とうやこ幼稚園に置かれた廃車体。
特に施設の解説文には出てきませんが、噴火遺構の一つであると思われます。

廃車体
MR470

撮影:北海道(2018.11.9)

道南バス 三菱MR470
MR470

撮影:北海道(2018.11.9)

北海道には珍しい西日本車体のスタイルを持つ車両。後面は2枚窓で、1961〜64年のスタイルです。正面窓上の日除けも特徴です。
錆色が出てはいますが、道南バスのカラーが見え、側面中央部には道南バスの社紋もついています。
MR470 車内を見てみると、シャーシメーカーの「三菱日本重工業」と並んで、ボディメーカーの「東新自工」の銘板がついていました。西日本車体と技術提携を行ったボディメーカーのようです(注1)。西工スタイルをしているものの、作ったのは東新自工だということです。
けれど北海道でわざわざ大阪の小メーカーのボディを購入したというのも不思議です(注2)

廃車体
BA341

撮影:旅男K様(洞爺村 2005.6.18)

道南バス いすゞBA341

いすゞBA初期の川崎ボディを持つ前ドア車。北海道中央バスなどと同じ赤と白のツートンカラーです。
ところでこの廃車体、屋根に煙突がつけられていますが、どのような目的で使われていたのでしょうか。

廃車体
BR351

撮影:旅男K様(洞爺村 2005.6.18)

道南バス いすゞBR351(1961年式)
BR351

撮影:旅男K様(洞爺村 2005.6.18)

同じく道南バスの前ドア車ですが、モデルチェンジされた後の川崎ボディです。車番はオ-25。「オ」というのは長万部配属と言う意味でしょうか。
型式のBR351BAより1ランク上の車種でターボ付。後のBA30と同じサイズです。

廃車体
RB10

撮影:旅男K様(豊浦町 2005.6.18)

道南バス 日野RB10(1966年式)

アメリカのGMを範にしたとされる視野拡大窓の帝国ボディ。未来的なスタイルで、事業者によってはかなり好まれたボディです。
青とグレーのこのカラーは室蘭市内線用の塗装で、北海道でよく見られる日野ブルーリボンのカタログカラーとの共通性もあるように思えます。車体にはM-157という車番が残ります。

廃車体
UA30N

撮影:北海道(2012.4.21)

道南バス 日産デUA30N

道南バスの前ドアエアサス車。中距離路線用。
おでこのあたりに道南バスカラーが見えます。色々と廃車体が置かれている中の1台。

注意事項
本ページは、「廃車体は文化遺産である」という趣旨によって作成しております。当サイトを訪れる方は、この趣旨を御理解いただける方だと思いますが,万が一,本ページの悪用による廃車体への損傷等があった場合は,本ページ及び関連する事項は即刻削除いたします。
(注1)
ぽると出版(2010)「西工の軌跡」P.98の年表に、1963年11月に「関西地区で東新自動車との提携を解消し、アフターサービスの拠点設置と当地修理車消化の点から同社と新たに提携した」と書かれている。
(注2)
満田新一郎ほか(2006)「昭和40年代バス浪漫時代」P.8に西日本車体のスタイルで中ドアがあるバスが写っており、道南バスにはこのスタイルのバスが複数あったことが分かる。
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80s岩手県のバス“その頃”