バス廃車体全国版

沖縄県3(前構改造車)

1980年代に、バスボディの一大変革期が訪れました。それまでの丸みのあるモノコックスタイルから、角張っていて窓の大きいスケルトンタイプへの移行です。この変革が古臭いバスのイメージを一新したことは明らかですが、その一方でモノコックボディ末期の車両が必要以上に古く見え、商品価値を下げてしまったのも事実でした。
そんな中で、古く見える車体の一部を改造してスケルトンスタイルにする改造が見られる地域があります。なぜか北海道、東北地方と四国、沖縄地方に偏って存在するこの種の改造車のうち、沖縄地区の車両を眺めてみます。

廃車体(沖22か1785)
UA31NA

撮影:ちょご姉様(豊見城市 2004.11)

琉球バス 日産デK-UA31NA(1980年式)
UA31NA

撮影:ちょご姉様(豊見城市 2004.11)

富士重工製ボディの貸切車。路線シャーシですが貸切車。沖縄ではこのような選択が少なくなかったようです。
正面は日野ボディの前構に改造され、側面もリベットレスのパネルボディになり、角ばった屋根や連続窓に改造されているため、原型が分かるのは後面の窓くらいです。ここまで改造するとさすがに新車に見えたものと思います。
更にカラーデザインも当時の藤田観光を連想させる新デザインが採用されています。最後は名護ローカルに使用されていたとのことで、正面窓の内側に方向幕がついています。 この廃車体はその後場所を移したそうです。

廃車体

恐らく、上の琉球バスの廃車体と同形車、もしくは同一個体と思われる廃車体。
後面窓は富士重工R13型の面影を残しますが、側面連続窓、前構改造などを施されています。

琉球バス 日産デK-UA31NA(1980年式)
UA31NA

撮影:Kj様(糸満市 2016.2.11)

廃車体
RC321P

撮影:ちょご姉様(那覇市 2007.1)

琉球バス 日野K-RC321P(1980年式)

見たところ、上の廃車体と同じスタイルですが、タネ車は日野ボディのセミデッカー。後面以外は完全に作り変えており、日野ブルーリボンそのものに見えます。
琉球バス交通本社にあるそうですが、本社の移転に伴い姿を消すものと思われます。

廃車体(沖22か1818)
CJA520

撮影:ちょご姉様(豊見城市 2004.10)

那覇交通 いすゞK-CJA520(1980年式)
CJA520

撮影:ちょご姉様(豊見城市 2004.10)

川重のハイデッカ2型の前構を日野ボディのものに改造したもの。前構と側面の屋根のカーブの違いはうまくごまかされています。側面は折り戸も含めて原型のままですが、側窓の周囲が黒く塗られているため、それなりにまとまったスタイルに見えます。
貸切から高速バスに格下げされ、京浜急行の「ラメール号」を連想させる色に塗り替えられました。その後一般路線に再格下げされています。
(この廃車体は現存しません)

廃車体(沖22か1819)
CJA520

撮影:ちょご姉様(具志頭村 2005.7)

那覇交通 いすゞK-CJA520(1980年式)
CJA520

撮影:ちょご姉様(具志頭村 2005.7)

川重のハイデッカ2型の前構を日野ボディのものに改造したもので、上の車両と同型車。貸切から直接一般路線に格下げされたようです。
このレインボーカラーは今では標準色として使用されていますが、元々は日野ブルーリボンのカタログカラーだったと記憶しています。
(この廃車体は現存しない模様です)

廃車体(沖22か1664)
U20L

撮影:ちょご姉様(浦添市 2004.7.19)

琉球バス 日産デU20L(1978年式)
U20L

撮影:ちょご姉様(浦添市 2004.7.19)

これも異様ないでたちですが、元は富士重工3Eボディの路線タイプの前ドア車。後部にトイレが付いた中距離路線用でした。正面はスケルトンバスの方向幕周りのパーツに、日野モノコックボディのライトグリルがつけられていますが、正面窓は元のものを流用しているようで、バランス的にはよくありません。側面はパネルボディで逆T字型窓に改造されており、屋根の角張り具合とともにスケルトンバス風に仕上がっています。
これは廃車後の一時留置の際のもので、何かに利用されることなくスクラップされたようです。

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80s岩手県のバス“その頃”