バス廃車体全国版

新潟県3(越後交通)

新潟県内の廃車体のうち、越後交通の廃車体をご紹介します。
越後交通は、長岡市を中心とした中越地方に路線網を持っており、北は三条市、南は津南町をエリアに持ちます。
かつて東急資本だった名残で、今でもシルバーに赤帯の東急カラーを踏襲しています。
営業所ごとに分社化も行われており、それらの変遷も複雑です。

廃車体(長岡22か73)
BU10

撮影:新潟県(2018.7.2)

越後交通 いすゞBU10(1978年式)
BU10

撮影:新潟県(2018.7.2)

ちょっと見つけにくい場所に置いてあった越後交通の前後ドア車です。
ワンマン化の完了後、後ろ乗りの前後ドア車が導入され、同じころ、「新」ナンバーが「新潟」「長岡」に分かれた頃の新車です。
サッシの中桟が中央部に降りたのはこの年式から。前ドアが通しガラスになり、少し近代的に見えます。この時期の北村製作所製のボディでは、BU04BU10の窓数が変わらないので見分けが困難です。

廃車体
CJM500

撮影:新潟県(2019.6.9)

越後交通 いすゞK-CJM500

北村製作所製の前後ドア車。側面の方向幕が腰板にあります。また、前輪フェンダ脇にウィンカーの痕跡が見えますので、この型式と推察しました。

廃車体
CJM600

撮影:樋口一史様(柏崎市 2004.9.4)

越後交通 いすゞK-CJM600(1981年式)
CJM600

撮影:樋口一史様(柏崎市 2004.9.4)

北村製作所製ボディのロングサイズ車の廃車体。茶色に塗りつぶされていますが、元は越後交通です。
越後交通では、1980年代前半にこのようなロングサイズの車両を、長岡市内などの路線バスに投入しました。方向幕は、この車両では中ドアの前の窓に組み込まれていますが、この後、腰板につくようになりました。
(現地確認していませんが、恐らく撤去済み)

廃車体
HT225AA

撮影:栗原大輔様(三条市 2006.8.15)

越後交通 日野P-HT225AA(1984年式)

日野の前後ドア車ですが、ハイライトカラーと通称される旧貸切カラーに塗られています。恐らく、廃止代替バスに使用されていたのでしょう。

廃車体
LV314L

撮影:新潟県(2018.7.1)

越後交通 いすゞP-LV314L

新潟周辺に数多くある砂利採取場の廃車体の一つ。
富士重工5E型ボディで、茶色く塗られていますが、側面方向幕が腰板にあるので、越後交通の自社発注車であることが分かります。富士重工製の集中クーラー搭載車は、1987〜88年式とのこと。
側面の大型の看板は、砂利採取標識で、これらの廃車体には大抵付けられています。

廃車体
LV324K

撮影:新潟県(2018.7.1)

越後交通 いすゞP-LV324K

河川敷の砂利採取場も、廃車体は少しずつ新しいバスに代替されているようです。一昔前は考えられなかったいすゞキュービックバスが屋根を付けて鎮座しています。
ブラックアウトされたサッシの前中引き戸車で、元東急バス。1991〜95年式。

廃車体
LR312F

撮影:新潟県(2018.7.2)

南越後観光バス いすゞP-LR312F

これも砕石場の廃車体です。
ハイライトカラーの前ドア車で、津南営業所で廃止代替に使用されていた車両だと思われます。冷房付で側窓はT字形です。
手前には、日野レインボーRBも置かれています。

廃車体
LV219S

撮影:新潟県(2019.6.9)

越後交通 いすゞP-LV219S
LV219S

撮影:新潟県(2018.7.2)

新潟周辺に数多くある砂利採取場の廃車体の一つ。
富士重工R3型フルデッカーで横引き窓にサンダーカットという1980年代の流行を取り入れています。ただ、前ドアの窓がサッシではなくHゴム支持となっています。現役時代の改造か廃車体になってからの交換かは不明。
屋根肩部分に赤いラインが見えるので、越後交通と推察。ただし、ボディにイラストを描いた跡があります。
エンジンの通気孔や点検蓋の形状から型式を推察しました。
なお、2018年の撮影直後、この廃車体は場所を移動し、これまで新潟交通の北村ボディのいた場所に据えられました。

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