バス廃車体全国版
長野県1(長野電鉄)
長野県にある廃車体の中で、長野電鉄の廃車体をまとめます。長野電鉄は、長野市を中心に路線網を持つ県内大手バス事業者の一つです。1986年に信濃町を信濃交通、1992年に飯山市を信州バスに分離しましたが、1995年には本体も長電バスとしてバス部門を分離、2006年には信濃交通と信州バスを長電バスに吸収合併して現在に至ります。
かねてより日野車が多く、センターアンダーフロアエンジン車が数多く活躍していたことでも知られます。
廃車体
撮影:飯山市(2010.7.24)
長野電鉄 日野BN11(1961年式)
撮影:飯山市(2010.7.24)
田舎の集落にひっそりと置かれていたセンターアンダーフロアエンジン車。金産ボディの前ドア車で、下の車両と全く同形だと思われます。
正面には木材が立てかけられていて、顔を拝むことは出来ませんでした。
(ストリートビューによると、2015年に撤去済み)
廃車体
撮影:ヒツジさん様(東御市 2004.7.11)
長野電鉄 日野BN11(1961年式)
撮影:ヒツジさん様(東御市 2004.7.11)
金産車体のセンターアンダーフロアエンジン車、正統派「ブルーリボン」の原型です。前ドア車ですので、貸切か志賀高原への観光路線用でしょうか。
普通このスタイルの金産ボディは、前ドア(及び運転席窓)の所で雨樋が下がっていますが、これはスタンディーウインドウ上のままのラインです。更に、運転席窓の隅にRがあったり、スタンディーウインドウの丸みが少ないなど、次のボディへの過渡期のものと思われます。
ポルト出版(2002)「金産ボデーのアルバム」を調べた所、長野電鉄には1961年6月にBN11が納入されています。多分これです。
(2010年7月に撤去を確認)
廃車体(長2あ3265)
撮影:畦道ノスタルヂィ様(長野県 2021.6)
長野電鉄 日野BT51(1964年式)
撮影:ヒツジさん様(長野県 2005.4.11)
帝国ボディのセンターアンダーフロアエンジン車。中ドアのツーマン車です。
後面は非常口が中央にある丸型です。
当初BT10と想定しましたが、畦道ノスタルヂィ様の現地調査により、型式、年式、登録番号が判明しました。年式は、シャーシは1964年ですが、ボディは1963年12月です。
廃車体
撮影:ヒツジさん様(山ノ内町 2005.4.16)
長野電鉄 日野BT51
上の廃車体と同型車と思われる廃車体。高台の上にあります。
この廃車体、ガラスがほとんどなくなっているほか,後面がかなりつぶれています。
(ストリートビューによると、2014年9月時点で撤去済み)
廃車体
撮影:須坂市(2011.3.26)
長野電鉄 日野BT10
撮影:須坂市(2011.3.26)
富士重工製R11型ボディの日野ブルーリボン。この車体そのものの残存も貴重ですが、日野センターアンダーとの組み合わせで残っていることも特筆できます。側面の運転席窓次位の小窓が特徴。
年式は不明ですが、1960〜61年のBT10と推定しました。センターアンダーに関しては、R13型ボディへのモデルチェンジは図られなかったと聞いていますので、もう少し新しい車両かもしれません。
(ストリートビューによると、2019年6月時点で撤去済み)
廃車体
撮影:長野県(2007.7.7)
長野電鉄 日野BT51
撮影:長野県(2007.7.7)
下の車両と同様、金産ボディの前後同一プレスのセンタアンダーフロアエンジン車。こちらは中ドアツーマン車なので、若干古いものと思われます。後ろ側にも運転台側面と同じ引き違い窓があるため、横から見るとどちらが前だか分かりません。
正面窓の縦寸法が大きくなりましたが、後面は小さいままです。通常スタイルであれば後面が連続窓になった1964〜67年式です。
情報提供:長野の廃バスまにあん様
廃車体
撮影:ヒツジさん様(中野市 2004.7.18)
長野電鉄 日野BT51
撮影:ヒツジさん様(中野市 2004.7.18)
正面からの画像に見えますが、テール灯があることから分かるようにこれは後ろ姿です。つまり前後同プレスのセンターアンダーフロアエンジン車です。
右の写真も、スィングドアの前ドアに見えますが、後部にある非常口です。リアエンジンバスだと最後部にはエンジンがあるので,このようなことはあまりありません。
(撤去済み)
廃車体
撮影:長野県(2013.3.30)
長野電鉄 三菱MR480
撮影:畦道ノスタルヂィ様(長野県 2022.5.15)
1963〜64年式と思われる三菱車。黄色と水色のカラーから、群馬中央バスであるとの説が強い廃車体ですが、その色の下からクリーム色に赤帯の長野電鉄カラーが見えます。
倉庫として使用されていたこともありますが、その前は、物販店だったとの情報もあり、上塗りされたカラーはその時のものかもしれません。
廃車体
撮影:草ヒロ探検隊様(飯綱町 2012.4)
長野電鉄 三菱MR510
撮影:草ヒロ探検隊様(飯綱町 2012.4)
前後ドアのワンマンカーが主流の長野電鉄の中で、前中引き戸という仕様は、ワンマン化初期の導入車両だと思われます。ワンマン化初期に短尺車を採用するというケースも、よく見られる選択です。
リンゴ畑に置かれていたようですが、既に役目は終えています。翌年に私が訪問した時には、土が露わになった地面が残るのみでした。
(2013年5月に撤去を確認)
廃車体
撮影:長野県(2013.5.18)
信濃交通 日産デU20H(1974年式)
撮影:長野県(2013.5.18)
山林の中に置かれた廃車体。物置か休憩所かと思いましたが、周囲には林しかなく、人間が働いたりする痕跡はありません。
長野電鉄では、1970年代に三菱と日産ディーゼルの車両を富士重工製ボディで導入していますが、これは比較的ノーマルな日産ディーゼル。前後ドア車で、後面にも方向幕があります。
最終所有者が信濃交通であることは、その後、ちょご姉様の再調査で分かりました。信濃交通は長野電鉄の分離子会社で、1986〜2006年の間に存在した会社です。現在は長電バスに再吸収されています。
廃車体
撮影:ヒツジさん様(中野市 2004.3.27)
長野電鉄 三菱MR410
撮影:ヒツジさん様(中野市 2004.3.27)
長野電鉄ではある程度継続して導入されていた富士重工ボディの三菱車。後面のエンジン通気孔が少なくなっているので、1974〜76年式と思われます。
富士重工のこのボディでは珍しく、側面最後部の三角窓の幅が広く、非常口が中央部にあります。
全面真っ白に塗られ、ゲートボール場の脇に置いてあります。
(2013年に撤去を確認)
廃車体
撮影:長野県(2013.5.18)
長野電鉄 日野RE100
長野電鉄では標準的な前後ドア車。リンゴ畑の中に置かれて、物置や休憩所として使われているようです。
モノコックボディの車両は、元々はクリーム色地で窓下に赤帯のあるデザインでしたが、スケルトンバスRJの登場時に採用されたドアを赤くするデザインに塗り替えられています。
廃車体
撮影:長野県(2020.11.22)
信州バス 日野RE101
長野電鉄の標準的スタイルを持つ前後ドア車。後ドア次位の窓が引き違い窓である点が特徴です。
この車両は、最終的には飯山営業所を分社した信州バスの所属になっていました。
廃車体
撮影:長野県(2020.12.12)
信州バス 日野K-RE101(1980年式)
撮影:長野県(2020.12.12)
こちらは前面と側面の方向幕が大型になった1980年式。
ユーザー仕様として、後ろドア次位の窓は最後まで引き違い窓だったことが分かるほか、使用していなかったと思われる後面方向幕もついていたことが分かります。
なお、後面の下の方にワンマンスピーカーがありますが、何のためにあるのでしょう。後退時の注意喚起用でしょうか。
廃車体
撮影:畦道ノスタルヂィ様(長野県 2022.5.15)
信州バス 日野RE101
日野の前後ドア車の廃車体。
奥の方には富士重工ボディの観光バスの廃車体も見えます。
廃車体
撮影:長野県(2020.12.12)
信州バス 日野K-RE101
撮影:長野県(2020.12.12)
珍しい車両が残っていました。前後ドア主体の長野電鉄にあって前中引き戸。1990年代に、京阪バスの中古車が多く入った時期に、1両だけ紛れ込んでいた中古車だったと記憶します。
冷房付ですが、側面と後面に方向幕はなく、元は送迎用途だったと思われます。
当初は長野市内で使用されていましたが、最終的には信州バスに移動したようです。
廃車体
撮影:信濃町(2004.8.1)
長野電鉄 日野PB10P
撮影:信濃町(2004.8.1)
長野電鉄の高速バススタイルの廃車体。帝国自工では、前後スタイルに高速バス用の流線形を用意していました。この車両も側面に方向幕がありますので、志賀・草津ルートの中距離バスに使われていたものと思われます。
側窓は普通のメトロ窓で、傾斜はしていません。短尺車なので、RB10Pと推定。
今となっては、どの辺にあったのかが思い出せませんので、現存するかどうかの確認もできません。
廃車体
撮影:ヒツジさん様(長野市 2004.2.21)
長野電鉄 三菱MAR470
昭和40年代初めの観光バスですが、前ドアが自動ドアで、脇に小窓があるので、志賀高原地区の路線バス用に作られた車両だと分かります。
この時すでに荒廃した状態でしたが、その後、サッシがなくなるなど、さらに荒れ果てた廃車体になってしまっていました。
廃車体
撮影:木島平村(2013.5.18)
信州バス 日野RC300
志賀高原線用の高出力路線車で、前面窓や側面メトロ窓などは観光バス風ですが、リーフサスで非冷房。
この車両は最終的には飯山に移動し、信州バスで廃車になりました。
ここには以前は同形車2台がつながって置いてありましたが、いつの間にか1台になっています。
(2022年7月に撤去を確認)
廃車体
撮影:野沢温泉村(2004.3.27)
長野電鉄 三菱B906N
富士重工製ボディのセミデッカー。貸切の文字がありますので、貸切バスのまま廃車となったもの。
旧カラーですが、前構部分がすべて赤く塗られたカラーデザインは、1980年代に塗り替えられたものです。
(撤去済み)
廃車体
撮影:牟礼村(2004.8.1)
長野電鉄 日産デRA50P
富士重工製ボディのセミデッカー。後面の通気孔の数から、1972〜76年式。側窓は大きなT字窓で、この時期としては特別なスタイルです。
前ドア脇に行き先札差があるので、最後は湯田中あたりで路線バスに格下げされていたのかも知れません。
折り畳み椅子が立てかけてあるように、ゲートボール場の休憩室だったようですが、この時すでに草ぼうぼうで使用されていません。次に通った時には撤去されていました。
(撤去済み)
廃車体(長野22あ733)
撮影:長野県(2013.5.18)
長野電鉄 三菱MS513N(1977年式)
長野電鉄のパノラマデッカー。貸切バスのデラックス化の過程で登場したスタイルで、差別化に貢献したものと思われます。カラーデザインは、窓周りを黒く塗るなど、スケルトンタイプ登場後の塗り分けに変っています。
社名表示窓は方向幕に変わり、「湯田中」と出ていますので、最後は志賀高原地区で路線バスに格下げされていたのでしょう。
りんご畑の休憩所です。
畦道ノスタルヂィ様の現地調査により、登録番号が判明しました。