バス廃車体全国版
関東地方2(東武鉄道)
関東地方周辺に散在している東武鉄道のバス廃車体です。一部には隣接エリアのものもあります。廃車体
撮影:身延町(2004.11.6)
東武鉄道 いすゞBA351
撮影:身延町(2004.11.6)
こんな廃車体が残っていました。カラーから東武鉄道と思われるいすゞ車で、社番は2054と書いてあります。
1956〜60年に製造された川崎ボディで、強い傾斜のある後面スタイルが特徴。シャーシはツーマン専用です。この時期のBAは後面のエンジン通気孔が中央に1ヶ所あるのが特徴でした。
(グリン様によると、2011年5月現在撤去済み)
廃車体
撮影:身延町(2004.12.12)
東武鉄道 いすゞBA351
撮影:身延町(2004.12.12)
上の車両とほぼ同型ですが、中ドア周辺や後面通気孔が若干異なる廃車体。同じ地域にこれだけ古い廃車体が2体もあるというのは奇跡です。
車番は330。farewellsong様によると、東武のいすゞ車は1958年から2000番台がつけられており、3桁番号の詳細は明らかでないとのこと。1958年以前の車両かもしれません。
(グリン様によると、2011年5月現在撤去済み)
廃車体
撮影:熊谷市(2006.3.21)
東武鉄道 いすゞBA351
こちらは富士重工R11型ボディ。写真ではよく見えませんが側面最後部の窓はスタンディーウィンドウ付きの横引き窓。ワッペン形のいすゞエンブレムですので、上の車両と同世代の車両です。
東武バスの往時のカラーで、車番は2130。
(2015年8月時点のストリートビューでは存在していましたが、2018年時点で撤去済み)
廃車体
撮影:farewell song様(小山市 2005.2.6)
東武鉄道 日野BD15P(1962年式)
撮影:farewell song様(小山市 2005.2.6)
小山市の解体業者の敷地内にあったという富士重工製ボディの日野センターアンダ車の廃車体。ガラスは割れていますが、懐かしいR11型ボディです。社番は切りのいい3000。
東武では富士重工製の日野車がこの時代から多く導入されており、このタイプもそれなりの両数があったようです。ただしこの長さでのセンターアンダー車はこの年式までで、間もなくリアアンダーのRB10に代わります。
この車両は前ドア車で、日光営業所で路線バスとして使用されていたそうです。1971年に廃車となったとのことです。
(撮影者によると、2008年に撤去済み)
廃車体
撮影:farewell song様(花園町 1992.5)
東武鉄道 いすゞBU10
初期型のいすゞBUです。川崎の丸型ボディで、後面のエンジン通気孔も丸型です。
廃車体を利用した「バスラーメン」になっており、前面は切り取られて日野RB10Pとつながれています。
南部バスに廃車体として残る車両がこれと同型車かどうかはまだ分かりません。
(撤去済み)
廃車体
撮影:埼玉県(2018.8.22)
東武鉄道 日野RB10
撮影:埼玉県(2018.8.22)
東武バスのツーマン車の廃車体。後面は丸形で3枚窓です。正面窓の縦寸法は拡大されていますので、1963〜64年式。
車番は3388です。
(情報提供:いえもん様)
廃車体
撮影:ちょご姉様(鹿沼市 2003.3.1)
東武鉄道 日野BT71
解体業者の敷地内にある廃車体。東武鉄道の貸切カラーに塗られていますが、中ドア仕様です。
なお、撮影者によると2009年現在でこの廃車体は存在しているそうです。
(注1)
廃車体
撮影:日光市(2006.10.21)
東武鉄道 日野RB10
前ドアのRB10(エアサスならRB10P)。後ろのほうに曲線で下に降りるカラーデザインが見えるので、東武バスの旧カラーだと思います。屋根上のアンテナ線から、元は貸切車でしょうか。
廃車体
撮影:深谷市(2007.4.30)
廃車体
撮影:廃札主任様(みどり市 2010.12)
東武鉄道 日野RB10P(1961年式)
これは日本のバスの歴史の中でも後世に残る1台が残存していました。
東武バスが東京−伊香保間を結ぶ通称「伊香保特急」に投入した冷房車。特徴ある分散クーラーのカバーは屋根に隠れて見えませんが、逆に屋根の下で守られていると解釈しましょう。
富士重工のR13型ボディの中でも初期の車両で、側面最後部窓の丸みなどにも特徴があります。
車番は3118で、初期投入車の中ではラストナンバーだそうです。
廃車体
撮影:ハミングバード様(群馬県 2011.4)
東武鉄道 日野RB10
撮影:ハミングバード様(群馬県 2011.4)
東武バスのツーマン車の廃車体。
撮影者によると、群馬県吾妻郡は西部は草津温泉などの高原部を中心に国鉄バス、西武バス、草軽交通が中心ですが、東部は東武鉄道のエリアになっていました。ここで最後までツーマン路線が残っていたのは中之条営業所とのこと。この車両も恐らく中之条の車両でしょう。
青と白のツートンの1970年代カラーに塗り替えられています。車番は3620。
廃車体
撮影:farewell song様(吾妻町 2000.11)
東武鉄道 日野RB10P(1963年式)
富士重工製ボディの中ドア車ですがエアサス。中ドアの窓や側面方向幕の位置が普通の東武車両と異なります。
撮影者によると、1963〜65年にかけて観光地を持つ営業所にロマンスシートのエアサス車が導入されたとのことで、この車両は主に四万温泉や沢渡温泉方面へ充当後、中之条から草津温泉に至る路線へと配置換えを行なったとのこと。車番は3308で登録番号は群2い3151。最後には青白の2色カラーに塗り替えられていました。
(撤去済み)
廃車体
撮影:farewell song様(白沢村 1997.10)
東武鉄道 日野RB10P(1965年式)
富士重工製ボディの前ドア貸切車。旧貸切カラーの残る廃車体でした。
撮影者によると、車番は3587。最後は沼田営業所に配属され、前ドア車のまま乗合に用途変更されていたとのこと。車体には「一般乗合」の表示が見えます。
(撤去済み)
廃車体
撮影:ちょご姉様(流山市 2003)
東武鉄道 いすゞBU10
撮影:ちょご姉様(流山市 2003)
東武バスのツーマン車。ロングサイズのツーマン車は、ワンマンカー黎明期には事業者によっては多数見られたものです。間もなくワンマン化が急速に進むことによって働き場所を失ったものと思われます。
廃車前のカラーは青とクリームだったと思われますが、廃車体として別の色を塗られていたようです。
廃車体
撮影:farewell song様(水上町 2004.11)
東武鉄道 日野RC300P(1969年式)
富士重工製ボディの前ドア車。正面窓はルーフラインまである観光マスク、後面は路線タイプと言う特徴ある仕様です。車番は5460です。
撮影者によると、末期は水上で定期観光に使用されていたとのことです。
これと同仕様の帝国ボディの車両が岩手県交通に転入して来ていました。
廃車体
撮影:ヒツジさん様(沼田市 2004.6.12)
東武鉄道 日野RE120
東武にはよくあった富士重工製ボディの日野車。正面傾斜窓ですが2枚ガラス。1971年式くらいだと思われます。ドア側は前後折戸です。
カラーは1970年代のデザインで、シンプルなツートンカラー。ドアが1色塗りになるなどの合理性は同社の電車のカラーと共通するものがありました。
廃車体(土浦22あ823)
撮影:菅沼天虎様(茨城県 2014.6.15)
東武鉄道 日野RE120
撮影:菅沼天虎様(茨城県 2014.6.15)
水戸・笠間地区で使用されていた前後ドアの日野車。1976〜77年式。カラーデザインは、1985年に採用されたオレンジ系のものに塗り替えられています。