入門その頃のバス

レールバス

レールバス レールバスは、バスのような車体を持つ小型気動車で、鉄路を走るので当然鉄道車両です。
戦後に閑散線区の合理化のため、国鉄が導入した後、昭和30年代に2私鉄が導入、さらに1980年代に富士重工が「LE-Car」を製造し、第三セクター鉄道をはじめ複数の私鉄に導入されています。
車体や駆動系には極力バスと共通の部品を使うことで、製造コスト、運行コストの低減を図りました。一方で、耐用年数もバス並みに短いほか、最大需要に対応できないなどの欠点もあり、いずれの時代でも短命に終わっています。



レールバス

国鉄のレールバス
国鉄では、1954〜56年に間に、閑散路線用に49両のレールバスを製造しています。
車体長や車高などはバスに準じていますが、車幅は2,700mmと大型気動車に近いため、平べったいイメージです。製造はすべて東急車輌で、日野ブルーリボンに使われている60馬力エンジン(DS21型)を1基搭載しています。
北海道をはじめ全国に配置されましたが、小型化の代償として耐用年数を10年程度と想定していたこと、また朝夕の最大需要に対しては重連運転が必要であったことなどから、後継車の増備がないまま、1968年までに廃車となりました。

日本国有鉄道 キハ01形(56号)
キハ0156

画像:所蔵写真

1954〜55年に製造されたキハ10000形(1957年以降のキハ01形)は、中央運転台、客用扉2か所で、1次車4両が千葉、2次車8両が北海道に配置されました。

製造所・・・東急車輌製造
製造年・・・1954〜55年
全長・・・10,900mm
全幅・・・2,722mm
全高・・・3,051mm
機関・・・日野 DS21(60HP)

日本国有鉄道 キハ02形(9号)
キハ029

画像:所蔵写真(小竹駅)

1955〜56年に製造されたキハ10000形3次車(→キハ02形)は、通票授受のため左運転台にしたことから前面2枚窓、車掌業務への配慮から客用扉1か所となりました。
北海道から、広島、九州まで広く配置されました。

製造所・・・東急車輌製造
製造年・・・1955〜56年
全長・・・10,900mm
全幅・・・2,722mm
全高・・・3,051mm
機関・・・日野 DS22(60HP)

日本国有鉄道 キハ03形(12号)
キハ0312

画像:所蔵写真(標茶)

1956年に製造されたキハ10020形(→キハ03形)は、外観的には3次車と同じですが、耐寒耐雪構造を強化することで北海道に集中配置され、在来車を本州、四国、九州に転用しています。また、出力も強化されました。

製造所・・・東急車輌製造
製造年・・・1956年
全長・・・10,900mm
全幅・・・2,722mm
全高・・・3,051mm
機関・・・日野 DS22(75HP)

昭和30年代のレールバス
羽幌炭砿鉄道 キハ10形(11号)
羽幌炭砿鉄道

画像:所蔵写真(築別炭砿)

北海道留萌地方の羽幌炭砿鉄道では、客貨分離に際し、安価で効率的な小型ディーゼルカーとして富士重工製のレールバス1両を導入しました。
国鉄のキハ03に準じ、扉は中央部1か所。(注1)

製造所・・・富士重工業
製造年・・・1959年
全長・・・10,296mm
全幅・・・2,600mm
全高・・・3,115mm
機関・・・日野 DS22

南部縦貫鉄道 キハ10形(102号)
南部縦貫鉄道

撮影:牧場主様(七戸 2008.5.3)

青森県の南部縦貫鉄道が、1962年の開業時に2両を用意したレールバスは、羽幌炭鉱鉄道と同じ富士重工製ですが、2扉車となりました。

製造所・・・富士重工業
製造年・・・1962年
全長・・・10,296mm
全幅・・・2,600mm
全高・・・3,165mm
機関・・・日野 DS90(106PS)

富士重工 LE-Car
LE-Car(Light Economy-Diesel Car)は、1980年代に富士重工業が製造した地方向け小型気動車(レールバス)です。
国鉄の地方特定交通線が、第三セクター鉄道に転換されることを見越し、経営の合理化、動力費の節約など経済性の高い車両として、開発されました。
これまでのレールバスの欠点を払しょくするため、1軸台車を採用して乗り心地の改善を図るとともに、総括制御可能な設計となっています。
1982年に試作車が登場、1984年に改良型のLE-CarⅡの試作車が登場した後、第三セクター鉄道などに量産車が登場しています。しかし、輸送力不足や車両自体の耐用年数の問題で、1986年を最後に新造は終了し、10年程度で活躍を終えた点についても、過去のレールバスと同じ運命を辿ってしまいました。

富士重工 LE-Car(サンプル車)
Le-Car

画像:富士重工業会社概要(1984)

1982年に富士重工が開発したLE-Carの試作車。
極力バス・トラック部品を使用し、製造コストや保守料の低減を図りました。車体は、当時の富士重工のバスボディR13型を基本としています。エンジンはいすゞ製。(注2)

製造所・・・富士重工業
製造年・・・1982年
全長・・・11,610mm
全幅・・・2,600mm
全高・・・3,140mm
機関・・・いすゞ 6BD1(130PS)

富士重工 LE-CarⅡ(サンプル車)
Le-Car

画像:富士重工業(1984)「富士重工業30年史」

1984年に、改良型のLE-CarⅡの試作車が登場します。これは、富士重工R15型をベースに車体をモデルチェンジすると同時に、車体の大型化(車長11m→12m、車幅2.6m→2.8m)や出力強化(130PS→180PS)などをおこなったものです。
また、冷房装置、クロスシート、前面貫通型(試作車では片側のみ)などのオプションも用意されています。

製造所・・・富士重工業
製造年・・・1984年
全長・・・12,500mm
全幅・・・2,800mm
全高・・・3,548mm
機関・・・日産ディーゼルPE6H(180PS)

くりはら田園鉄道 KD11
KD11

撮影:都南村民様(くりでんミュージアム 2023.5.4)

LE-CarⅡの実用化第1号は、名古屋鉄道です。閑散線区である八百津線の合理化のため、電化線区に敢えてディーゼルカーであるレールバスを導入しました。
前面は貫通式、側窓は路線バスタイプの上下スライド式窓を採用しています。非冷房車と冷房車があります。
1995年に、これも電化区間を非電化に変更したくりはら田園鉄道に2両が譲渡されました。

製造所・・・富士重工業
製造年・・・1984年
全長・・・12,500mm
全幅・・・2,800mm
全高・・・3,550mm
機関・・・日産ディーゼルPE6H(180PS)

樽見鉄道 ハイモ180-202
ハイモ180-202

撮影:根尾川鉄道文化村(2009.2.8)

第三セクターの樽見鉄道には、観光バスに準じた非貫通型、側面窓カーブドガラスの仕様で導入されました。ロングシート車とクロスシート車があります。

製造所・・・富士重工業
製造年・・・1984年
全長・・・12,500mm
全幅・・・2,800mm
全高・・・3,550mm
機関・・・日産ディーゼルPE6H(180PS)

三木鉄道 ミキ180-101(1985年製)
ミキ180-101

撮影:加西市(2009.2.15)

1985年に三木鉄道に導入された車両は、前面スタイルが路線バスと同じ方向幕付のスタイル(いわゆる5Eタイプ)に変りました。

紀州鉄道 キテツ2(1985年製)
キテツ2

撮影:紀伊御坊駅(2023.8.5)

1985年に北条鉄道に導入された車両は、三木鉄道と同じ前面スタイルですが、側面は観光バスタイプのカーブドガラスという組合わせです。
2000年に紀州鉄道に譲渡され、2017年に運行を終了しました。

近江鉄道 LE13(1986年製)
LE13

撮影:近江鉄道ミュージアム(2008.9.14)

LE13

撮影:近江鉄道ミュージアム(2008.9.14)

電化私鉄である近江鉄道は、末端区間の合理化のため、レールバスを導入しました。前面は貫通式ですが、名鉄と異なり切妻スタイルで、窓もHゴム支持の丸みのあるスタイルです。これは、前年から製造が始まったボギー車に準じたものです。出力もボギー車に合わせて強化されています。
結果的に、二軸のLE-Carでは最後の車両となりました。
また近江鉄道においても、輸送力不足から、10年程度でその役目を終えました。

製造所・・・富士重工業
製造年・・・1986年
全長・・・12,500mm
全幅・・・2,800mm
全高・・・3,550mm
機関・・・日産ディーゼルPE6HT(230PS)

その他(広義のレールバス)

ここまでは、「バス部品を多用した2軸の小型気動車」をレールバスとして掲載しました。これは、狭義の「レールバス」に当ります。
一方、広義の「レールバス」には、これ以外のものも含まれる場合があります。ここでは、上記にまとめた以外の広義のレールバスについて、概略に触れてみます。
単端式気動車
三重交通 シハ31
三重交通シハ31

画像:日本車輌製造(1966)「70年のあゆみ」

バスと似たような車体に鉄輪を付けた単端式気動車は、1920年代に製造されています。
ボンネットバスと同様に片方の妻面に運転台とエンジンを持ち、終点ではターンテーブル等により方向転換をする方式です。
メーカーによって呼び名が異なり、「自動鉄道」(矢沼商店 1919年〜)、「自動機車」(日本鉄道事業、1922年〜)、「自働客車」(丸山車両、1922年〜)、「軌道自動車」(日本車輌、1927年〜)などがあったようです。(注3) (注4)

バス改造気動車
鶴居村営軌道 ガソリン(木炭)カー
鶴居村営軌道

画像:小樽総合博物館展示写真(撮影:西村光世氏、下幌呂 1954.7.12)

本物のバスを改造した小型気動車も存在します。
北海道の殖民軌道(戦後は簡易軌道と呼ばれる)である雪幌線(後の鶴居村営軌道)では、1941年に2両、1950年に1両が作られました。
写真の前側が1941年改造の「木炭カー」、後ろが1950年改造の「ガソリンカー」です。(注5)
ボンネット脇には柵が設けられ、自転車等が積めるようになっています。

山鹿温泉鉄道 キハ101
山鹿温泉鉄道キハ101

画像:サンデー毎日(1957-3-10号)

山鹿温泉鉄道では、大阪市のGMC製バスを改造した気動車2両を所有しています。ただし、1957年には休車となってしまい、2年程度の活躍に終わりました。(注6)
こちらの写真は、ボンネット型のバス車体をそのまま活用したキハ101。車体下中央部にジャッキがあり、終点ではジャッキアップして方向転換します。
鶴居村営、山鹿温泉ともに、製造コスト削減のためバスを改造したというコンセプトには、レールバスとの共通性があります。(注7)

製造所・・・国鉄西鹿児島工場
製造年・・・1955年
全長・・・7,620mm
全幅・・・2,400mm
全高・・・2,800mm
機関・・・GMC270(53.6HP)

山鹿温泉鉄道 キハ102
山鹿温泉鉄道キハ102

画像:サンデー毎日(1957-3-10号)

こちらは、キャブオーバー型のキハ102の車内。右側最前部まで客席がありますが、中央のエンジンルームは運転室仕切りの中にあります。
側面2段窓、前面窓Hゴム支持と、キハ101に比べて近代的なスタイルです。

製造所・・・自社工場
製造年・・・1955年
全長・・・7,420mm
全幅・・・2,410mm
全高・・・2,830mm
機関・・・GMC270(53.6HP)

LE-Car(ボギー車)
明智鉄道 アケチ1形
明智鉄道アケチ1形

画像:所蔵写真(岩村駅 1985.11)

富士重工のLE-CarⅡは、輸送力不足の解消目的に15.5mのボギー車へと発展します。1985〜89年の間に、明智鉄道、わたらせ渓谷鉄道など、やはり第三セクター鉄道に多く導入されました。2軸のレールバスと同様、バスの工法を採用しているため、スタイルにはバスとの共通性があります。

長良川鉄道 ナガラ1形
長良川鉄道ナガラ1形

撮影:愛知県(2023.9.9)

1986年には、長良川鉄道、甘木鉄道で、前面を非貫通とした合理的なスタイルで導入します。乗務員扉もありません。
その後、1987年には、LE-DCという発展型が登場していますが、そちらは鉄道車両の工法を採用しており、レールバスからはかなり遠ざかっています。ただし、事業者によってはレールバスの呼称を引き続き使用している場合があります。

軌道バス(軌道式保線作業車)
国鉄 ダイハツSV22N
ダイハツ

参考:保守用車総合データベース(MCDB)

道路のない山間部を走る鉄道線で、保線要員や作業道具を乗せて現場まで走行する軌道専用の車両で、ダイハツのマイクロバスを改造したもの。車体はそのままで、走行輪を鉄輪に変える改造を施しています。駆動、制動装置はバスのものを流用しています。
車体下部に転車台を装着し、車体を持ち上げて離線する方式で、車輪側面のレールも離線用です。
1966〜69年の間に製造されたそうです。(注8)

JR東海 いすゞBLD30N改(1978年製)
いすゞジャーニー

撮影:所蔵写真(中部天竜駅 1991)

1978年にはいすゞ自動車と国鉄施設局が共同で開発したものが登場しています(注9)。製造販売には富士重工も加わっているようです(注10)
北海道をはじめ各地に導入されたものの、その後の増備は、トラックを改造し、自動車タイヤと鉄輪を持つ軌陸車に代わっています。

国鉄 作業員運搬車(西日本車体製)
西日本車体

参考:保守用車総合データベース(MCDB)

日田彦山線の彦山駅に1980〜90年代に留置されていたというトンネル点検用トロ。出入口は両妻面で、車内はロングシート、つり革、天井灯などの客室設備や手ブレーキがあるとのこと。(注11)
車体が西日本車体製のバス(66MCの1975〜78年頃のスタイル)と共通性が高いことから、同じ福岡県内の西日本車体で製造されたものと思われます。
車輪は4輪×2ですが、これは1970年代の三東製10tトロと同じものと思われるとのことです。(注12)

レールバスに関する主な参考文献
  1. 吉川文夫(1998)「レールバスものがたり」(鉄道ピクトリアル1998-9) P.10-14
  2. 高嶋修一(1998)「第三セクター・私鉄向け軽快気動車の系譜」(鉄道ピクトリアル1998-9) P.42-55
  3. 岡田誠一(2000)「国鉄レールバスその生涯」(ネコ・パブリッシング)
(注1)
小熊米雄(1963)「羽幌炭鉱鉄道」(鉄道ピクトリアル1963-5増) P.9-15
(注2)
尾藤千秋(1982)「レールバス“LE-Car”の開発」(鉄道ピクトリアル1982-8) P.60-62
(注3)
湯口徹(1998)「戦前の私鉄内燃動車」(鉄道ピクトリアル1998-9)P.60-66 及び、加藤新一(1998)「矢沼商店と自動(車)鉄道」(鉄道ピクトリアル1998-11)P.110-113 による。
(注4)
根室拓殖鉄道では、戦後の1949年に札幌の田井自動車工業製のキハ2(かもめ号)、キハ3(銀龍号)を購入しているが、これがジュラルミン製の単端式で、バスとよく似たボディスタイルだった。
(注5)
石川孝織(2021)「釧路・根室の簡易軌道(増補改訂版)」(釧路市立博物館)によると、1941年製は個人が日産に発注、1950年製は元東邦交通とのこと。(P.28-29)
一方、清水一史(2021)「殖民軌道・簡易軌道研究覚書」(鉄道ピクトリアル2021-8)によると、1941年製は機関がA型フォード、1950年製は機関とボディがトヨタ製で、下回りはいすゞの6輪トラックの解体部品を流用したという。
(注6)
田尻弘行(2004)「山鹿温泉鉄道」(ネコ・パブリッシング)による。
(注7)
磐城炭鉱軌道では、戦前の1920年代に、東京都のT型フォード(円太郎バス)を改造した「レールカー」を導入したと伝えられているが、詳細は不明。
(注8)
保守用車総合データベース(MCDB)による。(2023.12.16閲覧)
(注9)
村上龍雄(1996)「私の知っているバス達≪いすゞ自動車≫」
(注10)
片倉穂乃花様(当サイト掲示板2022.12.11)によると、いすゞマイクロバス改造の軌道バスは、富士重工でTB100という型式で製品化されている。
(注11)
中村有一(1997)「彦山に眠る正体不明の客車を探る」(旅と鉄道97夏増刊 P.132-133)による。また、モーターカーによる牽引や推進運転で、トンネル内作業の際の作業員輸送車として使用されていた。1980〜81年以降、軌陸車に置き換えられた。
(注12)
保守用車総合データベース(MCDB)による。(2023.12.16閲覧)
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80s岩手県のバス“その頃”