路線バスの低床車
低床車というのは文字通り「床が低いバス」のことを指しますが、その低さというのは相対的なもので、時代時代によって異なります。地面から床までの階段を上って乗車するバスの場合、乗りやすさの観点から、床を低くするチャレンジは登場時からの宿命だったと言えます。そのため、トラックのシャーシを改造したり、バス用に床の低いシャーシを特注したり、戦前から「低床式」という言葉はすでに使われていました。
バス車両のバリエーションの中で、低床車ということばで設計が明確に区別される車両が登場するのは、1960年代末期のことです。路線バスと貸切バスの設計が分化し始め、路線バス独自の開発が可能になったことも一つのきっかけとなります。1970年前後に試作的な低床車が各メーカーから登場し、間もなく市販モデルに低床車が設定され、都市部の事業者を中心に導入が進みます。
1980年代の後半にはツーステップバスをベースにしたワンステップバス、ノンステップバスが改造扱いで一部事業者に登場、1990年代にはワンステップバスが市販され、1990年代終盤にはノンステップバスも市販されるようになります。バリアフリー法が施行された2000年代以降は、ワンステップバス、ノンステップバスが標準となり、2010年代にはツーステップバスの生産自体が終了するという流れになりました。
ここでは、1960年代から1990年代までの、ツーステップ車における「低床車」を主眼として取り上げます。
- 1960年代の低床車
- 1970年前後の試作的低床車
- 1970年代の量産低床車
- 1980年代の低床車
- 1990年代のツーステップバスのバリアフリー対策
- (参考)1990年代のリフト付きバス
- (参考)1990年代以降の低床車
1960年前後の低床車
川崎航空機「市内バス」 1959
日野BD14(1959年式)
画像:所蔵写真(川崎航空機工業公式 1959)
日野BD14(1959年式)
画像:所蔵写真(川崎航空機工業公式 1959)
センターアンダーフロアエンジン車は、中央部の床下にエンジンを薄型に配置しているため、床全体がフラットで、特に後部の低床化が可能です。
写真は川崎ボディが「市内バス」という名称で販売した前後ドア車で、もちろんツーステップ車ですが、後ろドア部分のステップが1段になっています。側窓は幅の広い大型窓で、車内は向かい合わせのシートが並び、後面は開閉式の大型2枚窓とするなど、電車をイメージした仕様が見られます。
「近鉄低床バス」 1963
近畿日本鉄道 低床バス(1963年式)
画像:近畿日本鉄道(1966)「近鉄」
近畿日本鉄道では1963年に、2階建てバス「ビスタコーチ」のホイルベース間低床構造をベースに、中央部をノンステップ構造とした路線バスを製造します。
車体は近畿車輌、シャーシは日野RB120リアエンジンバスをベースとしています。
時代を20年以上先取りする傑作でしたが、低ステップの設置が中央部に限られることから、ワンマンバスへの展開が難しく、量産はされずに終わりました。(注1)
床面地上高・・・380mm
1970年前後の試作的低床車
三菱 B820J
コトデンバス 三菱B820J(1971年式)
撮影:OKMR様(1986.6)
三菱では1969年のモーターショーに、低床試作車B820Jを出展、1971年に市販されています。
この車両は、MRをベースに、エンジンをリアの右コーナーに置き、床面地上高を585mmまで下げ、後ろ扉部をワンステップとしています。
床面地上高・・・585mm
いすゞ BU06
東武鉄道 いすゞBU06D(1972年式)
撮影:ポンコツ屋赤木様(新座営業所 1989.7)
いすゞでは1969年の東京モーターショーで、ボディメーカーの川崎航空機との共同開発の都市低床車を発表、1971年に量産車のBU06の市販を開始しています。
BU06は在来車に比べて約150mm低床化し床面地上高約800mmを実現しました(注2)。同時に、前ドアにグライドスライドドアの採用、前面窓に大型2枚ガラスの採用など、新機軸を盛り込みました。
床面地上高・・・BU06 約800mm(標準床車 約950mm)
日野 BT100H
群馬中央バス 日野BT100H(1972年式)
撮影:BA10-2407291様(伊勢崎営業所 1986)
日野では、床下中央にエンジンのあるセンターアンダフロアエンジン車の後部の床を傾斜させ、後ろドア部分を1段にしたBT100Hを、1972〜74年の間に製造しています。
写真は、試作車と思われる帝国ボディのサッシ窓車。
日野 大都市用モデルバス
日野 大都市用低床バス(1973年式)
画像:日本バス協会発行記念乗車券(1973)
1973年、運輸省による「大都市モデルバス研究開発プロジェクト」に基づき、日野自動車と帝国自工が担当して、全長12m、乗客定員100人、3扉の試作バス1両が作られています。この車両は、エアサス、低床、扁平タイヤ、自動変速機などの新機軸を盛り込んだ意欲的なものでしたが、実用化には至りませんでした。(注3)
床面地上高・・・680mm(前扉部)
日産デ 4R105改・PR105改
東京急行電鉄 日産デ4R105改(1974年式)
撮影:ポンコツ屋赤木様(渋谷駅 1988.5.2)
日産ディーゼルでは1972年に、FOHが長い4R105/PR105のシャーシをベースに、短尺の低床車にした4R105改・PR105改を発表しました。
これはまた同時に、富士重工製の低床車用新型ボディ(3E)を架装しています。
これらは、1973年発表のU20/30に引き継がれています。
1970年代の量産低床車
同時に、標準床車を含めてFOHを延長し、前ドアの幅を拡大することで、ワイドステップを標準としています。
日野RE系 1972−
低床車
西武バス 日野RE100L(1973年式)
撮影:吉祥寺駅(1977)
標準床車
日本国有鉄道 日野RE100(1976年式)
撮影:久慈駅(1985.8.24)
日野では1972年のRE系マイナーチェンジの際、低床車を設定しています。
当初は都市用ということで、標準出力のREのリーフサス車のみが対象でした。ハンドル位置を標準車より95mm右へオフセットした「低床ワンマンハンドル右寄せ仕様」も設定されました。
低床車は全高が低くなっており、併せてバンパー取付位置も低くなっています。前ドアステップの切り下げが浅いことなども、外観上の区別のポイントです。
写真の低床車は、同時に幅広の前ドアを採用しています。初期の幅広ドアは、標準のガラスを使ったためか、窓が片方に寄っているのが特徴。
床面地上高・・・一般低床車800mm、標準床車965mm
都市用低床車
日野RE121LF(1977年)
画像:日野自動車公式パンフレット(1977)
1977年のマイナーチェンジでRE__1となるのに合わせ、床面地上高715mmの「都市用低床」がRE101/121に加わりました。また、WB6mの長尺車RE161も登場しています。(注4)
床面地上高・・・都市用低床車715mm
いすゞBU 1973−
低床車
岩手県交通 いすゞBU04DV(1973年式)
撮影:滝沢営業所(1986.2.27)
標準床車
岩手県交通 いすゞBU10(1976年式)
撮影:滝沢営業所(1985.9.27)
いすゞでは1973年のBUマイナーチェンジに合わせて、路線バスタイプすべての車型に対して低床車を設定しました。標準ボディの川崎重工では、低床試作車のBU06で採用した、前面窓が大型の平面ガラスでFOHを幅広ドアに対応させた新型ボディにマイナーチェンジしています。
低床車は車高全体を100mm低くしており、標準床車と比べると、前ドアステップの切り下げが浅くなっているのが特徴です。前照灯の高さは変わりませんので、位置が下がったウィンカー位置との対比でも低床車であることが分かります。
床面地上高・・・低床車865mm、標準床車965mm(BU04の中扉基準)(注5)
全高・・・低床車3,020mm、標準床車3,120mm
日産ディーゼルU系 1973−
低床車
関東バス 日産デU20HA(1976年式)
撮影:吉祥寺駅(1977)
標準床車
立川バス 日産デU30L(1979年式)
撮影:拝島営業所(1981.12.17)
日産ディーゼルでも1973年のU20登場に合わせて、低床車を設定しました。ステップ1段目の高さは、U20Hで355mm、U20L/Nで375mmとなっています。
標準ボディの富士重工では、帝国ボディや川崎ボディと同様に、低床車は車高全体を低くしています。そのため、標準床車と比べると、前ドアステップの切り下げが浅くなっているのが特徴です。
富士重工の3Eと呼ばれるこのボディは、低床、幅広ドアに対応するとともに、ワンマン機器の設置や行き先表示器の設置などにも配慮しているとのことです。
床面地上高・・・低床車840mm、標準床車945mm(U20Hの中扉基準)
全高・・・低床車3,000mm、標準床車3,100mm(U20H基準)
1980年代の低床車
ここでは、その代表的な例のみに触れてみます。
日野RJ/RR 1981−
低床車
宮崎交通 日野P-RJ172BA(1987年式)
撮影:南宮崎駅(2018.11.27)
標準床車
伊予鉄道 日野P-RJ172BA(1986年式)
撮影:松山駅(2018.7.12)
日野が1981年より生産を開始したスケルトン構造の中型バスでは、低床と標準床が用意されています。全高は変えずに、床面を下げて低床化する方法に変わっています。そのため、低床車は床が下がった分、車内高は高くなっています。
外観的には、フロントバンパー下部の位置と比べて、前ドアステップ下部の位置が、低床車ではステップの切り下げが目立つものの、標準床車ではほぼ同じ高さである点などで区別ができます。
床面地上高・・・低床車675mm、標準床車800mm(前扉基準)
日産デRM80 1982 -
日産デ RM80(1982年)
画像:日産ディーゼル公式カタログ(1982)
日産ディーゼルの中型バスでは、1982年に富士重工の車体をモデルチェンジした際、「本格低床車」を設定しています。
やはり、全高は変えずに、床面を下げることで、低床化しています。
写真は当時のカタログで、第1ステップの高さを比較することで、乗降しやすいことを図解説明しています。
床面地上高・・・低床車680mm、標準床車825mm(前扉基準)
西日本鉄道(西日本車体) 1983 -
扁平タイヤ車
西日本鉄道 三菱U-MP218M(1993年式)
撮影:小倉駅(2017.11.25)
標準タイヤ車
西日本鉄道 三菱U-MP218M(1995年式)
撮影:雑餉隈営業所(2014.5.5)
西日本鉄道では、西日本車体が1983年にモデルチェンジした58MCと呼ばれるボディから、扁平タイヤを標準装備し、一般低床の床面地上高を710mmに抑えています。扁平タイヤの採用は、タイヤハウスの縮小にも効果があり、タイヤハウス部分で高さを増す座席位置の適正化にも寄与しました。(注6)
床面地上高・・・710mm(前ドア基準)
いすゞLV 1984 -
低床車
京王帝都電鉄 いすゞP-LV314L(1984年式)
撮影:府中駅(1985.1.10)
標準床車
西東京バス いすゞP-LV314L(1984年式)
撮影:八王子営業所(1985.1.6)
1984年から製造されたいすゞLVは、標準床、低床、都市低床の3種類の床面高さが用意されました。この系列も、全高はそのままで、床面を下げることで低床車を設定しています。そのため、標準床車でも室内高2,050mmを確保していたものが、都市低床では2,230mmになるなど、室内高が大幅に拡大されています。
外観的には、バンパーの高さは変わらないため、低床車は前ドアステップの切り下げが大きいのが分かります。一方の標準床車はステップの切り下げがほとんどありません。
床面地上高・・・都市低床車700mm、低床車810mm、標準床車880mm
画像:いすゞ自動車公式カタログ(1984)
いすゞLV登場時のカタログに掲載された床面高さのイメージ図です。
左から、標準床、低床、都市低床の順に並んでおり、全高は同じですが、床面の高さが異なることが、図面で分かるようになっています。
日産デ スペースランナー 1988 -
宮崎交通 日産デU-JM210GCN(1995年式)
撮影:宮崎駅(2018.11.27)
1988年に日産ディーゼルと西日本車体が共同で開発した中型バス「スペースランナー」の低床車では、前ドアと中ドア部分を国産初のワンステップとし、さらにエアサス車では車高調節装置(リーニング)によりステップが下がるようになっています。
床面地上高・・・低床車630mm、標準床車790mm(前ドア基準)
1990年代のツーステップバスのバリアフリー対策
これらは、段差の大きさを極力小さくするというアプローチで、むしろ段数は増えるという結果になります。「乗りやすさ」の向上には寄与したものの、2000年代に入ってワンステ、ノンステが普及した結果、それらに収れんされました。
新低床車(らくらくステップバス)
ミヤコーバス 日野KC-RJ1JJCK(1999年式)
撮影:長谷川竜様(石巻駅 2017.6.3)
東京都交通局では、ワンステップバスをベースに出入口のステップ1段当りの段差を170mmに抑えて2段化した「らくらくステップバス」を導入しています。1995年に試験導入され、1996〜99年に各メーカーの車両を本格導入しています。
ワンステップで段差が大きいより、ツーステップで段差を小さくした方が、乗降が容易になるという考え方ですが、ノンステップバスの本格導入により終了しました。
写真は譲渡後。
新潟交通 いすゞKC-LV380Q(1999年式)
撮影:新潟駅(2017.8.26)
新潟交通でも、ワンステップバスをベースに、ステップを2段化したバスを導入しています。こちらは冬季の積雪対策として、通常の扁平タイヤではなく通常サイズのタイヤを履くことで、車高が増した結果の対策です。つまりステップの高さが拡大した分を、1段から2段に細分化したということです。
1999年式18両(いすゞ15両、三菱3両)が存在しました。
新ステップバス(イージーステップ)
極東開発 イージーステップ
画像:極東開発発行カタログ(1995)
既存のツーステップバスに設置する補助ステップが、極東開発によって商品化され、神奈川中央交通、横浜市交通局、神戸市交通局に使用されています。
第一ステップの地上高が40cmあり、通常の2段分の高さに相当するため、その中間の高さに補助ステップを降下させるというもの。
第一ステップを拡張した上で、その一部を補助ステップとして、乗降時に降下させます。
横浜市交通局 三菱U-MP218K改(1994年式)
画像:極東開発発行カタログ(1995)
この写真は、横浜市交通局がワンステップバスに設置した例。横浜市では、1994〜1999年の間の新車に採用しました。「補助ステップバス」という名称です。
神奈川中央交通では1992〜2000年の間に、神戸市交通局では1993〜94年の間に、いずれもツーステップバスに採用しました。「新ステップバス」という名称です。
(参考)1990年代のリフト付きバス
バリアフリーに対する一つのアプローチではありましたが、車いす利用者以外に対するバリアフリーにはならない点、リフトの操作に時間がかかること、リフトの価格が高価であることなどから、普及の度合いは今一つでした。
折しも、ワンステップバスなどに車いす用スロープを取り付ける手法が開発されたため、その後の増備はスロープ付きバスに移行しています。
中ドアリフト付バス
山梨交通 いすゞU-LV224K(1993年式)
撮影:甲府駅(2018.12.11)
多くの場合、中ドアにリフトが取り付けられ、その部分のドアは、グライドスライドドアとなります。
写真は、民間事業者としては初の導入となった山梨交通のリフト付きバス。
前ドアリフト付バス
大阪市交通局 三菱U-MP618K改(1994年式)
画像:大阪市交通局(1997)「大阪の足No.128」
前後ドア車を導入している大阪市では、リフト付バスも前後ドア車で、前ドアにリフトがついていました。1991〜97年の間、このような仕様での導入となっています。
京都市交通局でも1991〜96年に、神戸市交通局でも1992年に前後ドアのリフト付バスを導入しています。
中ドアリフト付改造車
長電バス 日野K-RC301(1983年式)
撮影:長野営業所(1997)
リフト取付費用と通常車両の差額が補助されるなどの仕組みにより、地方の民間事業者でもリフト付きバス導入が進みました。
写真は、在来車両、それもモノコックボディの車両にリフトを取り付けた特殊事例。
タネ車は前後ドアでしたが、後ろドアを埋めて中ドアを新設しています。
(参考)1990年代以降の低床車
ツーステップバス
下関駅(2017.11.25)
ワンステップバス
軽井沢駅(2017.8.26)
ノンステップバス
下関駅(2017.11.25)
1980年代まではツーステップ車の範囲でいかに床を低くするかに苦心していましたが、1990年代に入り、ワンステップバスやノンステップバスが作られるようになり、「低床車」という言葉は、それらワンステップバス、ノンステップバスを指すようになります。