入門その頃のバス

日野RE系

シャーシ 日野RE系は、大型リアアンダーフロアエンジンバスのRB系に代わり、1968年から登場したもので、前モデルのRB系から引き継いだ高出力のRCを加えて、路線バスから観光バスまで、幅広い活躍を見せました。2度のマイナーチェンジを経て、1984年まで生産され、スケルトンタイプのHT/HU系にバトンを渡しました。
この系列と同時に、標準車体の帝国自工と金産自工がヒサシ付の新型ボディにモデルチェンジしたため、外観上はこのボディのイメージが強い系列です。また、他のメーカーのボディを架装した場合にも、当初はオーバル形ライト、その後も角形のライトベゼルで見分けることが出来ます。


日野RE系 1968 - 1984

日野RE系 製造時期による分類
日野RE系 初期(1968〜72年)

初期のRE系の特徴が四角いライトベゼルの中に楕円形のレンズが一つ入ったオーバル形ヘッドライトです。照射角が広いなどのメリットがあったようですが、保守の面での不都合か1971年からライトベゼルの形状はそのままで4灯に変わりました。

富士急行 日野RE100(1968年式)
RE100

撮影:大月駅(1980.8.29)

日野RE系 中期(1972〜77年)

この時期は他メーカーと同様、ワンマンカーの普及に伴い低床車の設定が加わり、幅広の前ドアを設定するためフロントオーバーハングが長くなりました。写真の車両は狭幅ドアですが、ドアとフェンダの間にスペースが出来たのが分かります。また、前輪のフェンダにも枠がつきました。
この期間中の1975年に標準ボディが帝国と金産の合併により日野車体となり、1976年にサッシ窓を標準とするモデルチェンジを受けています。

箱根登山鉄道 日野RE100(1976年式)
RE100

撮影:小田原駅(1977.8.11)

日野RE系 後期(1977〜84年)

1977年にエンジン出力を強化するなどのマイナーチェンジを行い、型式末尾が1になりました。外観的には標準の日野ボディの場合、前面のヒサシが浅くなったのが特徴。また、ドア側側面のエンジン通気孔がなくなりました。
この時に都市バス専用の長尺車RE161が加わりましたが、普及せず1980年までに生産中止になっています。
昭和54年排ガス規制に対応して1980年に型式の頭にK-がつくようになり、その際、後面の通気孔がなくなりました。

伊那バス 日野K-RE101(1980年式)
RE101

撮影:飯島駅(1982.8.12)

日野RE系 長さによる分類
箱根登山鉄道 日野RE100
RE100

撮影:関本(1979.8.18)

RE100

RE100はこの系列の中心的な位置づけの型式で、それまでのRB10を引き継ぐ、全長10,000mm、ホイールベース4,800mmの短尺と呼ばれるサイズ。
基本的には高出力の設定はありませんでしたが、ユーザーの希望によりRC300改という型式で納入された例があります。その後、1979年には路線バスの高出力志向を受けてRC381が新設されています。

日本国有鉄道 日野RC300(1968年式)
RC300

撮影:板橋不二男様(帯広営業所 1977)

RE120/RC300

RE120は標準尺と言われる長さで、全長10,490mm、ホイールベース5,200mmです。
バス窓時代には、後ろのほうに小窓が2つ並んだ独特の窓配置で、他の長さと区別することができました。 短尺のRE100に比べて、窓半個分くらい長いということが分かります。

神奈川中央交通 日野RE140(1973年式)
RE140

撮影:長津田駅(1977.8.29)

RE140/RC320

RE140は長尺シャーシで、都市路線バスとして重宝されたほか、高出力車は観光路線や貸切バスにも多く用いられました。
全長11,110mm、ホイールベース5,670mmで、短尺のRE100より窓1個分長くなっています。

サッシ窓のRE120/RC300
宮城交通 日野RC300(1976年式)
RC300

撮影:仙台市(1977.8.7)

前ドア狭幅

サッシ窓にモデルチェンジされた後のRE120/RC300は窓配置が変わり、中ドアより後ろは他の型式と共通になりました。従って、中ドアより前の窓配置で長さが調節されます。
前ドアが通常幅の車両は、前ドア次位に3枚の窓があり、RE140/RC320とよく似た配置になりますが、窓幅が狭いため区別できます。

川中島バス 日野K-RC301(1982年式)
RC301

撮影:長野南営業所(1991)

前ドア広幅

前ドアが広幅の場合、前ドア次位の窓は2枚になり、RE100とよく似た配置になりますが、窓幅が広いため区別できます。
なお、写真の車両は都市低床タイプで、バンパーの位置が低いのが特徴です。

日野RE系 出力による分類
標準出力車RE(175ps/190ps)
富士急行 日野RE100(1975年式)
RE100

撮影:御殿場駅(1986.8.19)

REは標準的出力で路線バスとしては最も普及しています。登場時から175psでしたが、1977年に型式末尾に1のつく型式になった際、190psに出力アップされています。

高出力車RC3(205ps/225ps)
岩手県交通 日野RC300P(1972年式)
RC300P

撮影:盛岡バスセンター(1984.8.25)

RE系の高出力タイプは、前モデルのRB系の高出力タイプと同じエンジンで、同じRCを名乗ります。1977年までは205psでしたが、1977年のマイナーチェンジで225psに出力アップしています。
高出力タイプは、当初は観光路線バスや貸切バスを中心に導入される例が多かったものの、後期になるにつれて路線バスでのパワーアップに当てられるようになり、特に直結冷房の普及と合わせて、路線バスでの採用例は急増しています。

高出力車RC3(ターボ付260ps)
船木鉄道 日野RC320P(1971年式)
RC320P

撮影:宇部駅(1980.4.1)

ターボエンジン(260ps)も1977年まで設定がありました。
貸切バスへの導入例が多く、外観上は、後面のエンジン通気孔が二つあるのが見分けられる点です。
RVの設定により、末期には販売数は減少しています。

高出力車RC7(270ps)
東日本旅客鉄道 日野K-RC721P(1982年式)
RC721P

撮影:盛岡支所(1987.5.30)

1980年より更に高出力のRC701P/721P(270ps)が追加されました。1977年まで設定のあったターボ付RC300P/320Pと似た位置づけのようで、山岳観光路線バスや高速バスなどに用いられ、観光ボディとの組み合わせが主流です。

日野RE系 後面通気孔による分類
後面通気孔1ヵ所
伊豆箱根鉄道 日野RC300
RC300

撮影:小田原駅(1977.8.11)

RE系の標準的な通気孔配置は、右側に1個という配置です。前モデルのRB系と似ていますが、中央の小さい通気孔はありません。

後面通気孔2ヵ所
琴参バス 日野RC320P(1969年式)
RC320P

撮影:OKMR様

強力形のRCの中で、ターボ付の車両は、右側に2個という配置でした(注2)
なお、ボディ編の所では触れませんでしたが、帝国ボディ・金産ボディのメトロ窓車の中には、写真のように後面窓が3枚ではなく2枚窓のものも存在します。

群馬バス 日野RC300(1975年式)
RC300

撮影:高崎市(2013.3.9)

同じく通気孔2ヵ所ですが、後ろドアが引き戸の場合にも同様の配置になります。これはREを含め、左側面の通気孔が設置できないため、後ろ面中央部に設置されるようです。
前後ドア車や3ドア車などに見られます。

後面通気孔なし
川中島バス 日野K-RC301(1982年式)
RC301

撮影:ヒツジさん様(飯山市 2005.4.16)

1980年に昭和54年排ガス規制に対応してK-となった際、後面のエンジン通気孔がなくなりました。
写真の車両は、日本電装製の直結式冷房車。後部の屋根上に大型のエバポレーターがあります。

日野RE系 ボディメーカーによる分類
帝国自工
自家用 日野RE100
RE100

撮影:郡山駅(1977.8.9)

日野の指定車体である帝国自工では、RE系の登場と同時にヒサシのあるこのスタイルにモデルチェンジを図り、基本的にはそのまま日野車体に引き継がれています。そのため、このスタイル=RE系と言っても過言ではありません。
写真は、中ドア仕様の自家用バス。当時の自家用バスではよく見られた仕様です。

金産自工
宇部市交通局 日野RE100(1974年式)
RE100

撮影:宇部駅(1980.4.1)

金産自工も日野の指定車体で、RE系では帝国自工と共通のスタイルになっています。折り戸の窓や側面最後部窓の形が異なりますが、オプションでサッシ窓を選択できます。

日野車体
京福電気鉄道 日野RE101(1977年式)
RE101

撮影:福井駅(1982.3.28)

1976年からは帝国自工と金産自工が合併し、日野車体となりました。外観的には、サッシ窓が標準になったことで見分けられます。

富士重工
浜松市交通局 日野RE100
RE100

撮影:浜松市(2014.3.15)

すべてのシャーシメーカーとの組み合わせが存在する富士重工製のRE系は特に富士重工びいきの事業者でよく見られます。
R13型ボディの前期形の場合、日野RE系に架装すると、後ろから2枚目の開閉窓が狭く、その前の窓柱が太くなります。この部分の窓配置は尺にかかわらず同じで、RE120、140は中ドアより前の部分の窓配置で調整するようです。

川崎車体
川中島バス 日野RC320(1969年式)
RC320

撮影:長野営業所(1989.3.26)

川崎車体は、1972年まで日野シャーシへの架装がありました。日野RE系の場合は、ヘッドライトがオーバル形または写真の角型ベゼルになるため、外観からいすゞ車などと区別が可能です。
写真のボディスタイルが最後の日野への架装となり、この後の平面ガラスになった川崎ボディの日野車は存在しません。

(注1)
日野RE系については、ぽると出版(2005)「バスのカタログ1 日野REシリーズ」(バスラマ92号〜94号連載)の中で詳しく記載されている。
(注2)
赤木靖之(2013)「信州古バス見聞録」P.49によると、RCのターボ仕様の場合、タービン周辺への通風を考慮して、左側の通気孔が開けられているとのこと。
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