三菱自動車(9m車)
三菱の9mサイズの大型車は、大型リアエンジンバスのMRの一員として1964年に登場したMR510から始まります。その後、中型車のエンジンでボディサイズを拡大したMMが登場し、自家用バス、貸切バスを含めた一定のシェアを確立しています。MMは長い間、外観的にも中型車と同じスタイルでしたが、1988年から路線タイプが大型車と同じスタイルに、1993年から観光タイプが大型車と同じスタイルに変化しています。三菱MR500系 1964−1974
表4-14-1 三菱MR500系
年式 | 1964-1967 | 1967-1974 | |
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原動機型式 (出力) | 6DB1 (165PS) | 6DB1 (165PS) | |
軸距 | 4250mm | MR510 | |
4370mm | MR520 | ||
備考 |
小田急バス 三菱MR510(1964年式)
撮影:吉祥寺駅(1977)
宮城交通 三菱MR510(1965年式)
撮影:板橋不二男様(気仙沼総括営業所 1975.9)
1964年に三菱の大型リアエンジンバスMRのショートサイズとして登場したのがMR510で、全長9,150mm、ホイールベース4,250mmとなっています。
この時期のボディは、三菱車体は後面傾斜窓にモデルチェンジしたタイプ、呉羽車体は後面丸型のまま連続窓としたタイプです。
なお、一部にフロントオーバーハングを短縮した中ドア専用車もあったそうです。
ボディの組み合わせ・・・三菱、呉羽、西工、北村ほか
福島交通 三菱MR520(1968年式)
撮影:郡山駅(1977.8.9)
宮城交通 三菱MR520(1969年式)
撮影:板橋不二男様(南仙台営業所 1977.5.7)
1967年にMRのマイナーチェンジに合わせて、若干延長されたのがMR520です。全長9,380mm、ホイールベース4,370mmになり、収容力は増しました。
MR510で縦長の固定窓だった部分は、幅の狭い通常窓になっています。また、この時ボディも同時にモデルチェンジしているため、三菱ボディはヒサシつき、呉羽ボディは後面傾斜窓に変わっているため区別できます。
ボディの組み合わせ・・・三菱、呉羽、西工、北村ほか
三菱MM 1974−
表4-14-2 三菱MM
年式 | 1974-1976 | 1976-1980 | 1980-1984 | 1984-1988 | 1988-1990 | |||
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原動機型式 (出力) | 6D11 (155PS) | 6D14 (160PS) | 6D15 (170PS) | 6D15 (175PS) | 6D14(T) (195PS) | 6D16 (185PS) | 6D16-T (220PS) | |
軸距 | 4230mm | MM504H | MM515H | K-MM516H | P-MM515H | P-MM517H P-MM527H | ||
4370mm | MM104H | MM115H | K-MM116H | P-MM116H | P-MM117J P-MM517J | |||
備考 | MM1=リーフサス、MM5=エアサス、MM527=前輪独立懸架エアサス |
第1期 1974−1976
信南交通 三菱MM104H(1977年式)
撮影:BA10-2407291様(大通り車庫 1987)
三菱MM104H
撮影:和歌山県(2018.6.24)
1974年に中型バスのエンジンで大型バス並みの車幅を持ったMMが新設されました。この系列は、しばらくの間、中型車MKと足並みを揃えてモデルチェンジを重ねてゆきます。
観光バスには、車長が若干短くエアサスのMM5が主に導入されています。
なお、この時期にはメトロ窓の仕様しかなく、路線バスの場合も写真のようにメトロ窓の2扉車でした。
ボディの組み合わせ・・・呉羽
第2期 1976−1981
香川県交通 三菱MM515H(1978年式)
撮影:OKMR様
1976年にマイナーチェンジが行われます。エアサスの自家用・観光仕様と、リーフサスの路線バス仕様ではホイールベースが異なり、用途をはっきりと分けているのも特徴です。
写真は、観光バス仕様の一例。
羽後交通 三菱K-MM116H(1981年式)
撮影:左党89号様(横手営業所 1995.6.17)
昭和54年排ガス規制に対応して1980年にエンジンが変わり、型式に規制記号(K-)がつきました。この時点では、ボディスタイルにはほとんど変化はありませんが、後部屋根上のダクトを側面に移した関係で、側面最後部の窓の傾斜がなくなっています。
写真は、路線タイプの一例。
ボディの組み合わせ・・・呉羽
第3期 (エアロミディMM) 1981−1988
三菱P-MM515H
画像:三菱自動車工業公式カタログ(1986)
三菱P-MM116H
画像:三菱自動車工業公式カタログ(1986)
1981年にシャーシはそのままで、ボディをスケルトンタイプにモデルチェンジしました。外観上、中型バスMKとの区別が難しい時期です。
1984年に昭和58年排ガス規制に対応してシャーシのモデルチェンジが行われました。その際、観光バスタイプは高出力ターボエンジンになりました。型式の数字の一の位は、観光バスタイプのみ5に戻っています。
観光タイプの写真は、1984年に新設された超デラックス観光タイプのハイデッカー。全高3,330mmで、スィングドア、固定窓が基本です。
この時期の途中に、観光・自家用タイプには「エアロミディMM」の名前が付けられたようです。(注1)
ボディの組み合わせ・・・呉羽(新呉羽)
第4期 エアロミディMM 1988−1993
上電バス 三菱U-MM517J(1993年式)
撮影:ヒツジさん様(上田車庫 2004.2.28)
南越後観光バス 三菱P-MM117J(1989年式)
撮影:樋口一史様(小出車庫 2004.9.15)
1988年に中型バスMKとともにモデルチェンジされ、名実ともにエアロバスファミリーの「エアロミディ」になりました。
自家用バス、観光バスタイプはMKと同様、エアロバスのイメージを持つ丸みのあるボディに変わりました。写真の車両は、車高の高い「超デラックス観光」タイプ。
一方、路線バスタイプの方は、この時に大型バスのエアロスターKと同じスタイルに変わり、中型バスとは別の道を辿り始めます。
1990年に平成元年排ガス規制に対応してシャーシがU-に変わりますが、ボディはそのままでした。
ボディの組み合わせ・・・新呉羽
第5期 エアロバスMM・エアロスターMM 1993−
越後交通 三菱U-MM218J(1995年式)
撮影:本社営業所(2018.7.2)
1993年のモデルチェンジで、観光タイプは大型の「ニューエアロバス」と、路線タイプは「エアロスターM」と同じスタイルに変わり、商品名も大型車と同じになりました。
これは、新呉羽自工が新工場に移転し、三菱自動車バス製造(MBM)となったことによるもので、三菱自動車工業で製造していたボディと同じスタイルでの製造が可能になったためです。
ボディの組み合わせ・・・MBM