保存車の世界

鉄道車両

蒲原鉄道の保存車

新潟県の蒲原鉄道は、信越本線加茂駅から村松駅を経て磐越西線五泉駅を結ぶ私鉄でした。
1985年に加茂〜村松間が廃止、そして1999年に村松〜五泉間が廃止となり、全線廃止となりました。廃止時期が近いだけに、相当数の車両が地元に保存されているのが心強い限りです。鉄道が地域文化の象徴であることがよく分かります。

保存車
モハ1

撮影:加茂市(2018.7.1)

蒲原鉄道 モハ1形(1号)
モハ1

撮影:加茂市(2018.7.1)

「県内最古の木造電車」という説明書きのある保存車。蒲原鉄道開業時の1923(大正12)年の製造です。 製造は蒲田車輌で、目黒蒲田電鉄デハ1形(→東京急行モハ1形)と同型です。
現在、旧冬鳥越駅跡に復元保存されています。車内はモニタ屋根、グローブ形の白熱灯、通路に立つ木製の柱など、登場時の面影を今に残します。一旦は廃車となり廃物状態だったものをここまで復元整備したことには驚かされます。
加茂市指定文化財。

保存車
モハ11

撮影:五泉市(2018.7.1)

蒲原鉄道 モハ11形(11号)

加茂へ路線延長の1930(昭和5)年から、その加茂−村松間が廃止された1985年まで使用された12m級半鋼製車。小さな1段下降窓が初期鋼製車の特徴です。
村松城跡の一部が軌道敷だったことから、城跡公園の一角に保存されました。

保存車
モハ41

撮影:五泉市(2018.7.1)

蒲原鉄道 モハ41形(41号)
モハ41

撮影:五泉市(2018.7.1)

最後まで主力として活躍した3扉車。元はモハ31号と同じ15m2扉車でしたが、車体更新に合わせて車体を延伸したそうです。車内は、赤色のモケットの座席が鮮やかです。運転台は半室式。
車歴上は、モハ13号の下回りを利用して戦後に新製車体を載せたということです。そのモハ13号の車体のほうは下のモハ51号に生まれ変わっています。私鉄電車の車歴というのは書類上なのか事実なのか分かりませんが複雑です。
五泉総合会館に保存されており、大きな屋根が掛けられました。

保存車
モハ51

撮影:阿賀野市(2018.7.1)

蒲原鉄道 モハ51形(51号)

モハ11形と同じ車体ですが、それもそのはず元は同一形式でした。こちらは13号でしたが、戦後にモハ1の台車と振り替えられて改番されました。
安田民俗資料館で、たくさんの駅名票とともに余生を送っていましたが、資料館が閉館した今、手が入れられないままの状態となっています。

保存車
モハ61

撮影:樋口一史様(加茂市 2004.9.11)

蒲原鉄道 モハ61形(61号)
モハ1

撮影:加茂市(2018.7.1)

モハ1号と並んで、冬鳥越駅跡に保存されている半鋼製車。西武鉄道から1958年に譲受したもので、生まれは西武の前身の一つの武蔵野鉄道。戦時中1940(昭和15)年製の17m車。もっともこれを製造した日本鉄道自動車という会社は古い台枠などで車両を再生するのが得意な所で、これもそういった経歴がありそうです。
この車両は当時の西武カラーそのままで転入しており、その後蒲原鉄道自体が旧西武カラーを自社カラーとするに至りました。
こちらも加茂市指定文化財。

保存車
ED1

撮影:加茂市(2018.7.1)

蒲原鉄道 ED1形(1号)

蒲原鉄道が加茂開業の1930年に購入した電気機関車。米ウエスチングハウス社製のコピーと思われる国産車。 当初は貨物輸送に活躍したそうですが、早くに輸送量が減り、除雪などの用途で余生を送っていたそうです。
モハ31とともに旧村松駅構内で保存されていましたが、現在では冬鳥越へ移りました。

過去の車両

保存車
モハ31

撮影:樋口一史様(村松駅 2005.6.5)

蒲原鉄道 モハ31形(31号)

戦後の1952(昭和27)年に製造された車両で、正面2枚窓が特徴。この時期の地方私鉄の車両にしてはそれなりにスマートな車両です。
旧村松駅構内で、電気機関車のED1とともに保存されていました。
(2008年に解体撤去されました)

保存車
モハ71

撮影:樋口一史様(村松町 2005.6.5)

蒲原鉄道 モハ70形(71号)
1927(昭和2)年製の初期鋼製車で、やはり武蔵野鉄道→西武鉄道を前身としています。お椀型ベンチレーターや1段下降窓など古めかしいスタイルですが、譲受に際して正面窓のHゴム化などの改造を受け、17m3扉の大型車であることも手伝って、蒲原鉄道では主力車両の一つとして活躍しました。
現役時代にペアを組んでいたクハ10とともに、かつての沿線で保存されています。
(2013年に解体されたそうです)
保存車
クハ10

撮影:樋口一史様(村松町 2005.6.5)

蒲原鉄道 クハ10形(10号)
国鉄の戦前型気動車キハ41120を譲受して電車の制御車としたもの。
元は正面4枚窓の気動車然とした顔つきでしたが、1960年に西武所沢工場で更新を受け、電車らしいスタイルにアレンジされました。
(2013年に解体されたそうです)
参考文献
  1. 瀬古竜雄(1962)「蒲原鉄道」(鉄道ピクトリアル62-3増)34-38
  2. 斎藤幹雄(1998)「蒲原鉄道」(鉄道ピクトリアル98-4増)161-167
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