1960年代のスケッチブック

北海道

太宰様にとっての北海道は、仙台在住の学生時代に旅行で訪れた場所であるとのこと。
白地に赤というデザインが多いのは、雪の中での視認性を高め、かつ観光地が多いことの反映と分析。さらに、歴史が浅く人々の感覚が近代的であるからか、デザインが総じて洗練されて色使いが上手だと指摘します。

道南

函館バス
日野 RB10P(帝国自工)
函館バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

函館バスは、北海道で一定数見られるブルーリボンカラー。側面にはスズランのイラストを描いて、地域性を主張しています。

函館市交通局
日野 RB10P(帝国自工)
函館市営バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

同じエリアで営業する函館市営バスも、青系のピンストライプというブルーリボン系カラー。
北海道というのは、隣接事業者を色で区別しようという考え方が希薄なのかもしれません。

道央

道南バス
日産デ 4RA103(富士重工)
道南バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

当サイトでの道南地方は、渡島、檜山を指すという分類に基づきますので、室蘭、苫小牧などを拠点とする道南バスは、道央地方の南部という位置づけになります。
道南バスは、京阪バスとほとんど同じデザインを採用しており、まさに太宰様の言う「白地に赤いバス」となっています。
なお、特急北海様より、京阪バスとは、おでこのラインの有無が異なるとのご教示がありました。

北海道中央バス
いすゞ BU10P(川崎航空機)
北海道中央バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

札幌に本社を置く北海道最大手のバス事業者が北海道中央バスです。隣接事業者の道南バスと見間違うような京阪バスカラーですが、前面の白ラインが「北」の文字を模り、側面窓下のラインもそれらしきカットをしているとは太宰様の談。

定山渓鉄道
三菱 MAR470(呉羽自工)
定山渓鉄道

作画:昭和のバスファン・太宰様

札幌市内中心部から、奥座敷と呼ばれる定山渓温泉を結ぶ鉄道会社で、北海道では珍しい電化私鉄でした。
同区間を結ぶバス路線も自社で運行し、前から見るとやはり道南バスや中央バスとよく似た京阪バス的デザイン。側面のラインには若干オリジナリティはあるものの、利用者が区別できていたのかどうかは不明です。

札幌市交通局
三菱 MR420(呉羽自工)
札幌市営バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

札幌市営バスでは、ラッシュバスとして長尺かつ4枚折戸を採用していたことで知られます。側面方向幕の位置も独特です。

日産デ 6RA110(富士重工)
札幌市営バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

定期観光バスの特別車で、ステンレスボディを持つ車両。描画には苦労したそうです。

北都バス
三菱 MAR491(呉羽自工)
北都バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

1961年に設立された空港送迎バスの会社で、1966年に現在の北都交通に改称しています。

札幌観光バス
三菱 MAR470(三菱ボディ)
札幌観光バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

1964年に設立された名鉄系の貸切専業会社。当初から名鉄グループカラーでした。

道央バス
三菱 MAR470(呉羽自工)
道央バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

札幌にあった貸切専業会社だと思われますが、詳細は不明。後に、滋賀交通系列になった道央観光バスとの関係性も不明。
太宰様は雄別鉄道との共通描画としています。雄別鉄道は釧路から雄別炭山を結んでいた鉄道で、1970年に閉山となり、バス事業は地元の東邦交通、阿寒バスに譲渡されています。

道北

旭川電気軌道
三菱 MAR470(富士重工)
旭川電気軌道

作画:昭和のバスファン・太宰様

かつて日本最北の電鉄だった旭川電気軌道は、旭川市内から東方向に二つの路線を持っていましたが、1972年に廃線となり、バス専業会社となりました。
このカラーリングは、近年復刻カラーとして再登場しています。

旭川バス
三菱 MAR471(呉羽自工)
旭川バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

旭川には複数の鉄軌道やバスがありましたが、旭川バスは旭川市街軌道が運営していたバス会社。しかし1968年には旭川電気軌道に合併しています。
シルバーの地色に鋭角の図形を描いた斬新なデザイン。

道北バス
日野RB10P(金沢産業)
道北バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

道北バスと系列の層雲峡交通は同じデザイン。
太宰様も層雲峡で見かけて、緑と空色の組合せが綺麗だと思ったそうです。

宗谷バス
いすゞ BR20(富士重工)
宗谷バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

日本最北端のバス会社です。やはり赤系統。
1959年に東急傘下になりました。

道東

十勝バス
日野 RB10P(金沢産業)
十勝バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

硫黄山で見たのが十勝バスで、鮮やかな黄色に水色のブルーリボンスタイルで実に印象的であった。この反対色の組合せは強烈で下手すると疲れやすくなりがちであるが色合いでそれを防止している。(太宰様談)

道東バス
三菱 MAR470(呉羽自工)
道東バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

終戦後の1951年に十勝バスの前身である帯広乗合自動車から分離独立した経緯がありますが、結果的に1971年には十勝バスに合併することになります。
ピンストライプ部分の地色を赤にした独特なデザインです。

北見バス
日野 RB10P(金沢産業)
北見バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

正統派のブルーリボンカラー。側面のブルーリボンのマークまでそのまま。
1959年に東急傘下となりました。

網走交通
日野 RB10P(帝国自工)
網走交通

作画:昭和のバスファン・太宰様

網走交通もブルーリボンカラーの会社で、かつ東急傘下となったのですが、この時のカラーはそれと異なるブルーリボンカタログカラー。全但バスや小豆島バスと共通の特徴を持っています。

網走バス
日野 RB10P(帝国自工)
網走バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

流氷をイメージしたのか独特の曲線ライン。同じ網走エリアの網走交通が東急資本になったのに対し、こちらの網走バスは同じ1962年に名鉄資本になりました。

阿寒バス
日野 RB10P(帝国自工)
阿寒バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

描画開始時期に見た日野自動車の全国バス宣伝大型ポスターのど真ん中に描かれ、何時か見たいと思っていただけに実車を屈斜路湖畔で見たときは感激した。丹頂鶴が実に綺麗にデザインされ今も踏襲され、立派である。(太宰様談)

東邦交通
三菱 MAR471(呉羽自工)
東邦交通

作画:昭和のバスファン・太宰様

釧路では市内路線を中心に阿寒バスと棲み分けていた東邦交通。後のくしろバスです。

いすゞ BR20(川崎航空機)
東邦交通

作画:昭和のバスファン・太宰様

東邦交通の観光カラー。鋭角を多用したデザインは、路線カラーにも見られる東邦交通の個性です。

斜里バス
日野 RB10P(帝国自工)
斜里バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

知床などの観光地を有する斜里バスは、網走交通や北見バスとともに、日野ブルーリボンカラーを採用し、かつ東急傘下に入った会社です。もっとも、この時期のカラーは、同系デザインながら色使いが違います。側面には斜里岳をデザインした社紋も入ります。

根室交通
日野 RB10P(帝国自工)
根室交通

作画:昭和のバスファン・太宰様

日本最東端のバス会社。1965年に名鉄の資本下に入ります。現在は札幌の北都交通のグループに変っています。
この時期はまだ名鉄カラーになる前ですが、長野県の伊那バスの色違い。日野ブルーリボンのカタログカラーの一つです。

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80s岩手県のバス“その頃”