1960年代のスケッチブック

関東地方(観光・高速)

昭和のバスファン・太宰様の塗装再現図の掲載は、関東地方の観光バス・高速バス専業会社をまとめてみます。

神奈川県

東洋観光
三菱 MAR470(新三菱重工)
東洋観光

作画:昭和のバスファン・太宰様

京浜急行資本の観光バス会社です。三菱車によくある窓下3本線のカラーデザインです。
ドア側の後ろの方にスキー扉と思われるドアがあります。

東京都

東北急行バス
いすゞ BU10P(川崎航空機)
東北急行バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

東京と仙台、山形、会津若松とを結ぶ長距離バスを運行するために設立された合弁会社。
鮮やかな色使いのこのカラーは初めて見ました。

いすゞ BU10P(富士重工)
東北急行バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

常磐急行交通
いすゞ BU10P(富士重工)
常磐急行交通

作画:昭和のバスファン・太宰様

新橋〜日立間を運行する常磐急行交通も、沿線事業者による合弁会社。側面には、運行区間が書かれています。

新日本観光(はとバス)
いすゞ BC151P(川崎航空機)
新日本観光

作画:昭和のバスファン・太宰様

東京で定期観光バスを運行する「はとバス」です。

いすゞ BU20P(富士重工)
新日本観光

作画:昭和のバスファン・太宰様

1963年には、会社名が晴れて「はとバス」に変りました。

三菱 AR470S(京成車体)
はとバス

作画:昭和のバスファン・太宰様

1963年に登場した「スーパーデラックスバス」Aタイプで、「月光仮面」と呼ばれた先鋭的なスタイル。床面は、前から後ろにかけて傾斜している構造で、後年「シアタータイプ」と呼ばれた車両の先駆的存在。

三菱 AR470S(ヤナセボデー)
はとバス

作画:昭和のバスファン・太宰様

「スーパーデラックスバス」Bタイプの改良型で1964年製。

国際自動車
三菱 MAR820(富士重工)
国際自動車

作画:昭和のバスファン・太宰様

ハイヤー、タクシーを兼業する貸切バスの名門。「Kokusai Mortorcars」の頭文字から「km(ケイエム)観光」と通称されるようになった1962年からのデザインは、派手な車両が多かった戦後の貸切バスの中では上品で高級に見えました。

藤田観光自動車
三菱 AR820(富士重工)
藤田観光

作画:昭和のバスファン・太宰様

戦後に設立された国際観光自動車の社名を藤田観光自動車に変更したもの。
箱根小涌園、京都国際ホテルなどを経営する藤田観光グループで、それら自社施設へのバス運行も行っていました。
1995年に国際自動車(KM観光)に併合されるという運命を辿りますが、社名の変遷は理解の混乱の元になります。

いすゞ BH162(富士重工)
藤田観光

作画:昭和のバスファン・太宰様

初期のセミデッカー。丸いR11型ボディの車両が有名ですが、このR13型ボディでのセミデッカーは初めて見た気がします。

日本交通
日野 RC10P(金沢産業)
日本交通

作画:昭和のバスファン・太宰様

サクラのマークの日本交通。ハイヤー、タクシーとともに観光バスを展開する大手企業です。

イースタン・モータース
日野 RC10P(金沢産業)
イースタン観光

作画:昭和のバスファン・太宰様

社名だけでなくそのカラーデザインも大胆なアメリカンな雰囲気を醸し出すイースタン観光バス。車両の仕様もワンランクよりも上を目指しており、この車両も高速バス仕様の冷房車。

日野 RC10P(金沢産業)
イースタン観光

作画:昭和のバスファン・太宰様

こちらは天窓付の豪華観光バス。

帝産オート
三菱 MAR470(新三菱重工)
帝産オート

作画:昭和のバスファン・太宰様

戦後に設立された観光バス会社大手で、全国各地に展開しているのは、元々GHQ(連合軍総司令部)のサービスバスから米軍基地のバス輸送を行っていたからだそうです。
社名の由来は戦前の前身会社の社名である帝国産金興業。

大東観光バス
三菱 MAR470(富士重工)
大東観光バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

山梨交通と同じカラー。

富士自動車
日産デ 4R103(富士重工)
富士自動車

作画:昭和のバスファン・太宰様

都観光バス
いすゞ BU10P(富士重工)
都観光バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

東日本観光バス
三菱 MAR471(呉羽自工)
東日本観光バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

佐賀県の祐徳自動車の系列で、カラーデザインも前面の塗り分けを除くとほとんど同じ。
この車両は屋根の突起や前輪脇の通気孔から、冷房車だと分かります。

ニュー東京観光バス
日産デ 4RF103(富士重工)
ニュー東京観光バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

山口県の防長交通と同じデザインですが、実は系列会社。上の東日本観光バスもそうですが、地方の会社が東京に観光バスの系列会社を持っていたという記録です。もっとも1965年には名鉄系列に変ったそうです。

オリンピック観光
三菱 R370(新三菱重工)
オリンピック観光

作画:昭和のバスファン・太宰様

京阪バスを範とする塗り分けのようですが、色合いは薄い緑という明るいカラーリング。太宰様によると、鹿児島県の三州自動車が東京進出を図ったバス事業者だとのこと。
オリンピック観光という名前ではありましたが、東京オリンピックの前年である1963年に大東京観光自動車と合併してしまい、社名は消えました。(注1)

大東京観光自動車
日野 RC10P(帝国自工)
大東京観光バス

作画:昭和のバスファン・太宰様

1963年に上のオリンピック観光を吸収合併するも、同年中に近鉄に買収されて近鉄大東京観光バスとなり、1970年に東京近鉄観光バスと名前を変えた会社です。

三菱 MAR820(三菱重工業)
大東京観光

作画:昭和のバスファン・太宰様

1990年代までこのカラーデザインは見慣れた観光バスカラーでしたが、2000年代に入り、クリスタル観光バスになってしまいました。
観光バスを巡る資本の動きを象徴するような会社です。

東京タワー(東京電波塔)
日野 RC10P(川崎航空機)
東京タワー

作画:昭和のバスファン・太宰様

1958年に完成した東京タワーの直営観光バスですが、1969年には国際興業の傘下となり、1972年には同社に合併されます。国際興業傘下の時期には、青森県の十和田観光電鉄のカラーになっていたようです。

王子運送
日野 RC10P(帝国自工)
王子運送

作画:昭和のバスファン・太宰様

元々は運送会社で、観光バスには後から参入しているのでこの社名。紺色系のカラーデザインは、アメリカンな雰囲気を醸し出します。

(注1)
オリンピック観光については、満田新一郎・三好好三ほか(2006)「続・昭和30年代バス黄金時代」P.49に、1954年創立、1963年に大東京観光自動車と合併、と書かれている。
また、河村かずふさほか(2007)「思い出色のバス2」P.86に、1959年撮影の写真が掲載されている。
1964年東京オリンピックの開催が決定したのは1959年のことなので、オリンピック観光の社名は1959年に付けられたものと想像する。
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80s岩手県のバス“その頃”