宣伝車1・・・商品PRカー
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撮影:プリマハム三重工場(2024.5.25)
テレビが普及する前は、視覚的に訴求効果のある宣伝自動車が新商品の宣伝に有効活用されていました。各企業が競って制作した宣伝車は、ひたすら目立つことを追求した奇抜で大胆なデザインを採用しました。当然そのリクエストに応えられるボディメーカーも存在しました。
戦前から存在した宣伝車ですが、戦後の1950年代には特に隆盛を極め、日本中を走り回って子供や消費者の人気を集めました。
しかし、テレビが各家庭に普及するなどメディアが多様化し、1960年以降、目立った展開は影をひそめました。2000年代に入り、フリートマーキング技術の登場で、通常のトラックやバスに派手なラッピング広告を施して走らすケースも増えてきましたが、残念ながらかつてのファンシーで近未来を想像させる存在にはなりえていません。
宣伝車の生い立ち
明治屋PRカー「ナンバーワン自動車」(1909年)
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画像:「自動車ガイドブックVol.5」(1958)
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撮影:横網町公園復興記念館(2023.9.12)
日本で最初のPRカーは、1909(明治42)年に走りました。
西洋食品店でキリンビール販売店の明治屋が、スコットランドのアーガイル社から購入したトラックシャーシに、ビールの樽形のボディを載せて東京市内を走らせました。
警視庁の登録番号が1番だったことから、「ナンバーワン自動車」と呼ばれたそうです。
残念ながら1923年の関東大震災後の大火災によりボディが焼失し、シャーシのみが残りました。
現在、東京都墨田区の震災記念屋外ギャラリーで、焼失した姿のまま保存されています。
イカリソース
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画像:所蔵写真(1951〜55)
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画像:所蔵写真(1951〜55)
PRカーの本格的なブームは終戦後の1950年代に訪れます。ちょうど自動車が急増し始めた時代、商品を自動車で運搬することから、それを使って宣伝をするアイデアが生まれたのだと思います。
写真のPRカーは、流線形ボディで、後部が商品輸送スペースになっているようです。その部分に側窓はないのですが、天窓はついています。
リアにいすゞのバッジがあるので、いすゞBXと思われます。
黄色の横長のナンバープレートを付けていますので、1951〜55年の間に撮影したもの。
白木屋PRカー いすゞBX
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画像:日本橋白木屋発行絵葉書(1950年代)
商品だけでなく、お店や旅館の宣伝もPRカーが使われます。屋根上に大きなスピーカーを付け、宣伝や音楽を流して走る仕様です。
これは東京の老舗デパートの宣伝車で、いすゞBX型キャブオーバーシャーシです。
宝くじ宣伝車「キューピット号」 いすゞBX
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画像:大蔵省・日本勧業銀行発行絵葉書(1950年代)
さらに宣伝車そのものを使って販売業務をこなす事例。屋根上の大きなスピーカー、後部の展望デッキに加えて、側面中央には宝くじの販売窓口があります。外装がファンシーなデザインに塗装されているのも特徴。 前面のエンブレムから、いすゞのキャブオーバーバスをベースにしていることが分かります。
丸石商会 PRカー
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画像:丸石商会発行絵葉書(1952)
宣伝車の多くが後部に展望デッキを設け、ここでの催しを可能にしています。
更に商品をPRするには、それを見せる大きな窓も必要。側面の大きな窓の中には「丸石の自転車」が載っているのが見えます。
そしてこの絵葉書は、丸石商会が1952年に顧客に送った暑中見舞いはがき。宣伝車を宣伝するという手法をとります。
古河電工 日野BK(1959)
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画像:梁瀬自動車カタログ(1959頃)
日野ブルーリボンのシャーシに梁瀬ボディが架装したもので、骨格から内外板まですべてアルミニウムを用いています。高速道路の建設に先立ち、軽量化の先鞭をつけた車両。
特装車は、このように次世代技術を開花させる場にもなります。
日華ゴム
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画像:所蔵写真(日華ゴム本社)
月星地下足袋のPRカーで、大型バスをベースにしているようです。
流線形の前面スタイルはもとより、屋根が途中から段上げされ、セミデッカーのようなフォルムになっています。この部分には天窓もあり、ドームのような中二階になっている模様。その下は商品(靴)を並べるショーウィンドウになっています。
尾張車体の特装車カタログにも掲載されているので、ボディは尾張車体製。
書籍から紐解く宣伝車
終戦後からテレビ放送が普及する1960年代初頭までの間が、宣伝車の全盛期と言えるでしょう。
ここでは、特に商品のPRを行うため、外観に特徴を持たせた車両について、過去の資料から紐解いてみることにします。
森永製菓(1954)「森永五十年史」
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1899(明治32)年に「森永西洋菓子製造所」として東京に創業した森永製菓が、50年の歴史をまとめた社史で、非売品。
系列会社の森永乳業や森永商事を含めて、PRのための自動車を複数製造しており、それらの写真が掲載されています。
森永西洋菓子製造所 実物見本箱車(1899年)
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画像:森永製菓(1954)「森永五十年史」P.207
自動車ではなく、手車ですが、1899(明治32)年に創業した森永西洋菓子製造所(森永製菓の前身)が制作した宣伝車。
西洋菓子を日本に広めるため、大きなショーウィンドウに菓子見本を並べ、一流菓子店に営業に回ったそうです。
高級感を演出するため、本漆塗りの車体となっています。
森永西洋菓子製造所 宣伝自動車(1909年)
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画像:森永製菓(1954)「森永五十年史」P.219
明治も終わりごろになると、自動車を使った宣伝・販売が始まります。
森永製菓 動物楽団自動車「エンゼル号」 (1951年)
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画像:森永製菓(1954)「森永五十年史」P.381
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画像:森永製菓(1954)「森永五十年史」P.381
小型トラックの荷台をステージに改造した宣伝車。
森永製菓が結成した森永ロボット動物楽団が、各地の小学校などを巡り、演奏会を行います。
森永乳業 ロケット宣伝自動車 (1953年)
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画像:森永製菓(1954)「森永五十年史」P.403
1949年に森永製菓から分社した森永乳業では、新商品の「森永ドライミルク」宣伝のため、ロケット型の宣伝車を制作しました。屋根上のステージへの登り口を、ドライミルクの缶に見立てています。
森永商事 移動PR自動車
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画像:森永製菓(1954)「森永五十年史」P.409
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画像:森永製菓(1954)「森永五十年史」P.409
森永商事の広告宣伝車。
後部の屋根上がハッチになっており、前部の屋根上のステージに上がる事が出来ます。
岩波写真文庫(1953)「自動車の話」
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岩波写真文庫は100種類以上が発刊されていますが、その94号が「自動車の話」です。
この当時、日本にはトラックが438,517台、バスが26,457台、乗用車が330,546台(二輪車含む)だったそうです。輸送の主役はまだバスだったものの、乗用車が増えつつある時代でした。
様々な自動車の写真の中で、「バスの一族」として触れられている宣伝車の写真をご紹介します。
日本放送自動車 いすゞBX91(1952年)
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画像:岩波写真文庫(1953)「自動車の話」
いすゞのボンネットバスシャーシに金華製作所が2階建てボディを架装した宣伝車。
船をイメージしているのか、側窓は丸く、1階席は側面にデッキが、屋根上には甲板があります。
(型式、年式は、ポルト出版(1996)「私の知っているバス達≪いすゞ自動車≫」P.33による)
移動郵便局 いすゞBX80
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画像:岩波写真文庫(1953)「自動車の話」
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画像:国際文化情報社(1959)「画報科学時代10号」
いすゞのボンネットバスの側面に、大きな窓口を設置した移動郵便車。
移動郵便車
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画像:東京都市逓信局発行絵葉書(1937)
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画像:東京都市逓信局発行絵葉書(1937)
参考までに、上記の移動郵便車より先輩の、戦前の車両を絵葉書からご覧に入れます。
1937年4〜5月に開催された「東京中央郵便局政治博覧会」の会場内臨時出張所として使用されたもの。トラックの改造車ですが、荷台部分は屋根が高いバスと共通性の高いボディです。
ライオン・ヘルスカー いすゞBX(1952年)
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画像:岩波写真文庫(1953)「自動車の話」
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画像:いすゞのしおり(1955)
いすゞのBXシャーシを使ったと思われる宣伝車で、丸みのあるボディを架装しています。
ライオンのWebサイトによると、ライオン歯磨が動く診療所の機能を備えた宣伝カーとして制作したそうです。屋根が開いて、動物の人形音楽隊が演奏しています。
モーターファン(1953年6月号)
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自動車趣味誌の「モーターファン」で、1953年4月25〜26日に日比谷と横浜で開催された民間放送1周年記念行事が特集されています。
宣伝車によるアトラクションやパレードが行われたとのことで、参加スポンサー26社、参加車両29両だったそうです。
サンスターPRカー トヨタ(1953年)
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画像:モーターファン(1953-6)
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画像:モーターファン(1953-6)
トヨタのシャーシに尾張車体が架装したPRカー。ヘッドライト周りを歯磨きのチューブとキャップに見立てた造形です。
車内後部には、歯科診療設備があり、各地で巡回治療を行ったそうです。
フルヤ製菓「ちとり」 日産(1953年)
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画像:モーターファン(1953-6)
フルヤ製菓では、日産シャーシに安全車体でボディを架装した宣伝車を制作。ラジエタ周りを船の形にした独特の外観。側面の丸い窓や帆先に右書きの愛称など、船を意識したパーツが随所に見られます。
日本ミッション トヨタFY(1953年)
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画像:モーターファン(1953-6)
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画像:モーターファン(1953-6)
ミッションジュースの宣伝カーで、トヨタのボンネットバスシャーシに京成自工がボディを架装したもの。
右側面にジュースのショーウィンドウがあり、その前側の側面を開くとジュースを販売するカウンターになります。
山口自転車 いすゞBX(1951年)
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画像:モーターファン(1953-6)
東神工業がボディを架装した宣伝カー。
民間放送1周年の記念イベントでの風景で、後部ステージで風船を配るコンパニオンのところに、制帽姿の学生たちが集まっています。
日本電建 いすゞBX(1952年)
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画像:モーターファン(1953-6)
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画像:モーターファン(1953-6)
いすゞのキャブオーバーシャーシに東神自動車工業所でボディを架装したもの。
屋根上の看板には「文化放送浪曲オール新作集」との宣伝文句が書かれています。民間放送1周年のイベントなので、スポンサーが宣伝車で番組の放送をするという場面のようです。
ブラザーミシン いすゞBX(1953年式)
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画像:モーターファン(1953-6)
ブラザーミシンのサービスカーは、短尺車でボディは日本自工製。前面に後世の路線バスのような大きい表示窓を設けています。毎週日曜日に「ブラザーミュージックアルバム」というラジオ番組を提供していたようです。
明治製菓 いすゞBX
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画像:いすゞ自動車(1954)「いすゞ自動車」
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画像:モーターファン(1953-6)
明治製菓の宣伝車で、いすゞBXシャーシを活用。
後ろ半分は屋根が段上げされ、最後部にはステージもあります。
イベント中の写真は、屋根上のステージから放送劇「鞍馬天狗」の役者がキャラメルを投げている場面と、星の乙女が配るお菓子に高校生が集まっているところ。
東京電力サービス車 ダッジブラザーズ
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画像:モーターファン(1953-6)
こうして利用面が拡がってくると、宣伝カーの将来はたのしい。書籍にはそう書かれています。
国際文化情報社(1959)「画報科学時代第十集(自動車の驚異)」
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「画報科学時代」の第10号で、当時発展しつつあった自動車が特集されています。
その中で、「はたらく自動車」が複数特集されており、宣伝車も紹介されています。
移動郵便局や移動出札所、演劇車や撮影車、流行歌手を乗せて走る宣伝車などがよく見られる時代だったそうです。
国鉄(東京鉄道管理局)出札車「ちよだ」 いすゞB251
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画像:梁瀬自動車カタログ(1957)
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画像:国際文化情報社(1959)「画報科学時代10号」
いすゞシャーシで、ヤナセボデーが車体を架装した宣伝車。
乗車券の販売を行う車両で、側面中央部の3つの窓が出札口で、オーニングテントも内蔵されています。野球など大勢の人が集まる駅に配車し、帰りの乗車券を販売します。
人が集まっている写真は、後部のステージに券売機を置き、信濃町駅からの乗車券を売っています。
三菱電機サービスカー 三菱B23
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画像:国際文化情報社(1959)「画報科学時代10号」
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画像:三菱ふそう(1958)
三菱のボンネットバスシャーシにヤナセボデーが架装した宣伝車。
ボディ側面に「三菱電機サービスカー」の文字、屋根上に「三菱扇風機」の文字があります。
中央の開口部は、修理サービス設備のようです。
三菱のカタログではB300となっていますが、同系列発売前である1957年のヤナセのカタログにB23とあるので、そちらを記載しました。
広告宣伝車 いすゞBX
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画像:国際文化情報社(1959)「画報科学時代10号」
ボンネットバスを改造し、後部にステージを設置した宣伝カー。屋根上にはステージと拡声器があります。
この時は「学生図書週間」の宣伝をしていますが、所有がどこかは分かりません。
労働組合の広告宣伝車
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画像:国際文化情報社(1959)「画報科学時代10号」
流線形ボディのキャブオーバー車ですが、全体写真でないので、メーカー等はよく分かりません。
屋根上にはスピーカーと演説台があるように見えます。後部にもステージを備えます。
壽屋(1955)「発展(第14号)」
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サントリーウィスキーを販売する壽屋のPR誌に、登場したばかりの自社PRカーが掲載されています。
表紙を飾るのは、モデルの小原雅子さんだそうです。
サントリー宣伝車 トヨタ(1955年)
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画像:壽屋(1955)「発展(第14号)」
ここに掲げたのは”ニュールックの宣伝車”といわれる寿屋のサントリーカーです。スマートというか型破りというか、全く従来の宣伝車の概念に入らない、サントリーそのものを現わしたすばらしい出来で、トヨタ自動車会社苦心の作です。(原文ママ、後略)
全日本自動車ショウ事務局(1957〜1958)「自動車ガイドブック VOL.4・5」
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全日本自動車ショウ(後の日本モーターショー)の開催に合わせて刊行される「自動車ガイドブック」には、その時代の最新自動車のカタログ写真が掲載されますが、1957年版と1958年版には、「PR-CAR」も掲載されていました。
新宿区宣伝車
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画像:全日本自動車ショウ事務局(1957)「自動車ガイドブックVOL.4」
屋根上にスピーカー、後部にデッキを備えた宣伝車。
プリンスA型標準宣伝車(1957年)
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画像:全日本自動車ショウ事務局(1957)「自動車ガイドブックVOL.4」
富士精密工業(プリンス)が1957年型キャブオーバー型トラックをベースにした標準型宣伝車をカタログ掲載しています。
屋上両端に埋め込みスピーカー、運転席後ろにアンプ、レコードプレーヤーを設置した放送席があるそうです。
宝くじ宣伝車 日産E591(1958年)
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画像:自動車工業振興会(1958)「自動車ガイドブックVOL.5」
日産自動車のキャブオーバーバス「キャブスター」E591をベースにした宣伝車。
側面後部に販売窓口があります。
メーカー広報誌
カバヤ トヨタFY
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画像:トヨタ自動車販売(1953)「トヨタニュースNO.21」
トヨタのボンネットバスシャーシを使った宣伝車。
家屋の形をした宣伝車で、後部の檻はドイツから輸入した「カバ子」を入れる水槽になっています。
大和証券 いすゞBX
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画像:いすゞのしおり(1955)
いすゞのBXシャーシを使ったと思われる宣伝車で、ボンネット形。尾張車体のボディに見えます。
屋根上には無線電話のアンテナがあります。
コーヤマ いすゞBX(1964年)
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画像:いすゞ自動車(1965)「いすゞニュース65-4」
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画像:いすゞ自動車(1965)「いすゞニュース65-4」
神奈川県にある綿・寝具メーカーのコーヤマが、ボンネットバスのいすゞBXシャーシに箱型ボディを載せた移動展示車を制作。
側面に大きな窓がありますが、車内上部にパイプを通し、布地見本や蒲団を展示できるようになっています。車内で商品を見られるよう、天井も高くしています。外装は、クリーム色と赤だそうです。
その後の商品PRカー
廃車体
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撮影:のむ様(東京都 1982)
日産490(1954年)
1980年代まで保存目的で残されていたという宣伝車。青梅街道沿いの御嶽付近だそうです。
日産のボンネットバスシャーシに目黒車体で架装したもの。側面には、前照灯から後部展望デッキにつながる優雅な曲線が見てとれます。前面グリルは楕円形で、翼を模ったエンブレムもあります。
廃車体
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撮影:のむ様(東京都 1982)
日産590(1956年式)
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撮影:のむ様(東京都 1982)
こちらも同じ場所にあったもので、やはり日産と目黒車体の組み合わせ。年式が2年異なりますが、その分、流線形要素が減っていたり、窓が大きくなっていたりという変化があります。
ボディには「MINICAM」の文字が見えます。
1985年にはなくなっていたそうです。
現代の商品PRカー
プリマ ウィンナー号(1988年)
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撮影:プリマ三重工場(2024.5.25)
アメリカの食品会社オスカー・マイヤーが戦前から使用していた「ウィンナー・モービル」と呼ばれるPRカーの1988年型の1両が日本に上陸し、「ウィンナー号」としてPR活動に使われました。
シャーシはシボレーのバンタイプだそうです。
現在では、工場の敷地内で保存されています。
キリンビール神戸工場
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撮影:三田駅(2024.8.3)
神鉄バス 日野LJG-HU8JLGP(2011年式)
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撮影:三田駅(2024.8.3)
PRカーではなく工場見学の送迎バスですが、車両全体を缶ビールに見立てるなど、最盛期のPRカーを彷彿とする外観からここでお見せします。日本で最初のPRカーがキリンビールの瓶を模っていたのですから、そのDNAを受け継いでいるとも言えるでしょう。
ベース車は日野のハイブリッドバスで、屋根上の大きなバッテリーケースが丸い缶に覆われています。後面にはタブの飾りもつきます。
地元の神鉄バスが運行しています。
ラッピングによるPRカー
バニラバス
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撮影:博多駅(2024.8.2)
元神奈川中央交通 三菱KL-MP35JM(2002年式)
これまで紹介したような特殊な形態のPRカーが減っている原因の一つが、マーキングフィルムによる「ラッピング」の普及です。車両の形状を変えなくても、自由自在にデザインできるフィルムにより、同等かそれ以上の訴求効果が望めるからです。
写真は自家用バスにラッピングした事例ですが、トラックによるものはより多く見られます。