80年代のバス・・・そのあと
岩手県北バス3(貸切バス)
岩手県北バスに残る80年代の貸切バス。フラッグシップの2階建てバスや路線バスに格下げされたスケルトンタイプなどの2000年代の姿です。なお、解説文は撮影時点での状況に基づいています。
岩22か2191
撮影:53様(盛岡営業所 2005.8.21)
岩手県北自動車 日野P-RY638A(1985年式)
2階建てバス「グランビュー」。かつては県北バスの看板車両でしたが、エージェントとの契約バスとして余生を送っていました。ボディ全体にラッピングされ、かつての面影は見出せませんが、新車時から転籍することなく県北バスで過ごしていることが救いです。
岩22か2191
撮影:53様(盛岡営業所 2006.8.20)
岩手県北自動車 日野P-RY638A(1985年式)
上の写真から1年後の姿。元のカラーデザインに戻されています。
生産が終了して久しい国産二階建てバスですが、新規導入したバス会社が20年以上そのまま所有しているというのも、多分珍しいことだと思います。
岩22か1582
撮影:岩手県交通ファン様(一戸営業所 2003.12.31)
岩手県北自動車 日野K-RV732P(1981年式)
平屋根車の最終年度の車両で、丸みのあるバンパー形状が特徴。当然路線バスに格下げされているのですが、塗装は美しいまま。一戸営業所のローカル路線にはもったいないような気がしてしまいます。
岩22か1728
撮影:白神バス軍団様(西根営業所 2005.8.12)
岩手県北自動車 日野K-RR172AA(1982年式)
県北バスで最初に投入されたスケルトン貸切中型車。この年式では正面に日野ウィングマークがありました。
最後は養護学校のスクールバスになっていたようですが、西根営業所にいるということは、まもなく廃車という事でしょうか。
岩22か1728
撮影:53様(東八幡平交通センター 2006.8.19)
八幡平観光タクシー 日野K-RR172AA(1982年式)
上の写真で廃車を予想したこの車両ですが、路線タイプの岩22か1887と同様、再塗装の上八幡平観光タクシーに移籍していました。
こちらの車両も貸切登録ですが、側面行き先板入れがあります。
岩22か1903
撮影:岩手県交通ファン様(軽米営業所 2003.3)
岩手県北自動車 日野K-RR172A(1983年式)
撮影:岩手県交通ファン様(軽米営業所 2003.3)
1983年式は正面が県北バスのマークに変わりました。一旦ローカル路線用に格下げられているため、正面の社名表示は方向幕に改造され、「バスカード取扱車」のシールも貼られています。
側面後部に「コミュニティバス事業部」の文字が見えるので、契約輸送用になっていると思われますが、この写真では「寿貸切」に使われているような表示が見えます。
後部は、この時期の日野レインボー独特の縦に並んだ尾灯が特徴です。
岩22か1903
撮影:岩手県交通ファン様(一戸営業所 2006.11.5)
岩手県北自動車 日野K-RR172AA(1983年式)
上の写真の車両のその後の姿です。軽米営業所廃止の後、伊保内営業所へ移動しているのを撮影者が2005年8月に確認しています。
2006年の撮影時点では一戸営業所にいますが、座席などが取り払われ、まもなく廃車になるようです。
岩22か1904
撮影:岩手県交通ファン様(一戸営業所 2003.12.31)
岩手県北自動車 日野K-RU607A(1983年式)
県北バスの貸切バスのスケルトン化第1弾だった1983年式の1両。一戸営業所で路線バスに使用中です。
正面に方向幕が取り付けられ、側面には「バスカード」のシールも見えます。
岩22か2135
撮影:岩手県交通ファン様(盛岡バスセンター 2003.2)
岩手県北自動車 日野P-RU607A(1985年式)
貸切格下げ車です。側窓最前部に方向幕が増設されています。これは、後ろに見える路線車と同じ大きさの幕のようです。また、後部窓の内側にも方向幕が増設されているように見えます。
岩22か2420
撮影:53様(千厩町 2004.8.24)
東磐交通 日野P-RU638B(1987年式)
撮影:53様(千厩町 2004.8.24)
岩手県北バスの貸切車が、そのままの登録番号で東磐交通に移籍していました。
契約輸送に使用されるのでしょうか。ライト周りやバンパーなどを含めて白く塗られており、県北バス時代とはまた異なったイメージです。猊鼻渓をイメージしたと思われるブルーの波型ラインに、船頭さんのイラストも加わっています。
岩22か1896
撮影:岩手県交通ファン様(西根営業所 2004.4.10)
岩手県北自動車 日産デK-RA51RA(1983年式)
元貸切車で、最後は路線に格下げされていたようですが、方向幕が外されて廃車を待つばかりという感じの状態です。
このタイプは高速バスと貸切とで2両ずつ納入され、本文には高速バスの方の写真しかありません。2両だけの貸切車というのはなかなか撮影のチャンスがありませんでした。こうして見てみると、高速バス(岩22か1893・1894)とは、ヘッドライトが角型である点など細かい相違点があるようです。
岩22か2432
撮影:53様(千厩町 2004.8.24)
岩手県北自動車 日産デP-RA53TE(1987年式)
上の日野車と同時期の車両で、やはり登録番号はそのままに県北バスから東磐交通へ移籍していました。
新車時代を知っているせいか、こうしてまた綺麗に塗られてしまうと、あまり古いバスだという実感がありません。
岩手22き103
撮影:岩手県交通ファン様(西根営業所 2005.11.6)
岩手県北自動車 日産デP-RA53TE(1988年式)
こちらは色も形も私にとっては馴染みのない車両です。1988年に安比高原スキー場専用車として投入された新車。時はバブル最盛期、折りよく安比高原スキー場の知名度が首都圏で急上昇し、スキー客の伸びも著しかったと聞いています。
下の車両と同じ富士重工のHD1型ボディですが、固定窓を採用するなど、路線バスとしては破格の外観です。
岩手22き135
撮影:岩手県交通ファン様(盛岡営業所 2003.9.15)
岩手県北自動車 日産デP-RA53TE(1989年式)
私が岩手県を離れてからの新車で、富士重工HD1型ボディを持つ貸切車です。前年度の新車は上部が開口部になるいわゆる逆T字型窓でしたが、この年度からは補助席付の車両は開口部の大きい窓に変更になりました。
登場から既に14年を経ていますが、いまだ貸切車として使用しているようです。