80年代のバス・・・そのあと
岩手県交通(1990年代)1(オリジナル車)
岩手県交通の1990年代の写真です。ここで並べるのは、岩手県交通成立後の自社発注車の、その後の姿です。1980年までは毎年相当数が入っていましたが、その後、譲受車に取って代わられ、1990年代に入ると徐々に活躍の場を狭めていました。
岩22か903
撮影:53様(矢巾営業所 1994.8)
岩手県交通 いすゞBU04(1977年式)
撮影:53様(矢巾営業所 1994.8)
元々は大東営業所にいた車両ですが、盛岡市内線(都南営業所)に移ってきていたという生い立ちを持つ車両。
盛岡市内でも8年間くらいは活躍できたようで、いい人生だったと思います。
隣りにいる綺麗な車両は、国際興業からきて、整備されてデビューを待つK-CLM470(1981年式)です。この時代になると、譲受車の方が自社発注車より新しく、それも冷房付になりました。
岩22か959
撮影:花泉様(一関営業所 1991.)
岩手県交通 いすゞBU04(1977年式)
岩手県南バスの仕様を引き継いで増備されていた岩手県交通オリジナルのBU04。折戸の窓の小さいこのタイプは1977年式です。オリジナル車にもかかわらず、正面窓上の塗分け線がちょっと下がり気味です。
千厩営業所の車両で、方向幕には「千64」の系統番号が見えます。
岩22か1077
撮影:花泉様(一関営業所 1991.)
岩手県交通 いすゞBU04(1978年式)
1978年式からは折戸の窓が大きくなりました。
撮影者によると「上老流(かみおいながれ)」の方向幕は「平場行」の区間便とのこと。現在ではすべて平場行となり、この幕は見られないそうです。
黄色いエプロンには、花巻−池袋間の「高速バスイーハトーブ号」の開業広告が見えます。1990年12月26日が開業日だったようです。
岩22か1159
撮影:53様(大東営業所 1994.8)
岩手県交通 いすゞCCM410(1978年式)
大東営業所の中型バス。路線バスなのに国際興業貸切カラーなのは、廃止代替バス用の証。側面にも「一般貸切」の文字があります。
方向幕は「渋民経由大上原」とありますので渋民線。「大3」という系統番号も併記されています。
岩22か1222,1216,1217 岩手県交通 いすゞBU10(1978年式)
撮影:53様(矢巾営業所 1994.8)
3台並んでいる自社発注のBU10。白百合学園スクールの方向幕を出しています。古くなった大型バスが、最後の奉公をするのが白百合学園スクールでした。
“その頃”にはまだ最新車の部類で、国際興業からの譲受車が入ってきても、主役の座を譲ることはなかった車両でしたが、1994年にはとうとうこの役目が回ってきてしまったようです。
岩手県交通 いすゞBU10(1978年式)
撮影:花泉様(一関営業所 1994.4)
岩22か1223(運転台)
オリジナルBU10の運転台です。
運転台というのは、メーターの配置や操作盤の位置などに、メーカーの特徴やユーザーの個性が現れているはずです。
岩22か1384
撮影:花泉様(一関営業所 1991.)
岩手県交通 いすゞBU10(1979年式)
1978年の途中からオリジナル車はいすゞのBU10に統一され、県南地区にも大量に投入されています。1979年式は特に県南エリアで多く見られました。
岩22か1540
撮影:花泉様(一関営業所 1991.)
岩手県交通 いすゞK-CLA500(1980年式)
オリジナル大型車の最後を飾るにふさわしいエアサス前ドア車は、県交通エリア各営業所にまんべんなく配置されていました。写真の車両は大東営業所のもの。方向幕には「大116」系統で「急行」の文字が。前ドア路線車の「急行」というのが、何か懐かしさを覚えます。
廃車体(岩22か1723)
撮影:53様(矢巾営業所 1991.8.29)
岩手県交通 いすゞK-ECM430(1982年式)
撮影:53様(矢巾営業所 1991.8.29)
岩手県交通オリジナルの9m車でメトロ窓。中距離路線から貸切車まで幅広く使用できる便利な車両でしたが,早くも1991年に廃車が出ていました。10年と生きられなかった事になります。
隣にいるのは国際興業から来たばかりで整備を待つBU04。国際興業の社番は「5052」です。北福岡気動車館の旧番対照表によると,この車両は「岩手22き518」になったそうです。
いずれにしても廃車のECMは1982年式,これから登録されるBU04は1978年式。新しい車両のほうがこの世を去る一幕です。