80年代のバス・・・そのあと
岩手県交通3(元神奈川中央交通)
1980年代末期に転入した元神奈川中央交通車のその後の姿です。ちなみに、これらの車両が転入してきたのは、私が岩手県を去ってからのことでした。なお、解説文は撮影時点での状況に基づいています。
岩手県交通 いすゞK-CJM500
撮影:岩手県交通ファン様(巣子車庫 2002.8)
1989〜90年にかけて、神奈川中央交通から盛岡市内線にまとまった台数の譲渡車が入りました。これらの車両は冷房車で、車齢も低く、また標準尺車なので収容力も大きいという特徴があります。盛岡市のベッドタウンとして利用者増加が激しい滝沢、巣子、松園に集中配置されました。
写真は巣子車庫に並ぶ元神奈川中央交通車。(左2台は元国際興業)多彩なボディスタイルが特徴です。
岩手22き191
撮影:岩手県交通ファン様(滝沢鵜飼 2002.7)
岩手県交通 いすゞK-CJM500(1982年式)
神奈川中央交通から1989年に譲受した車両です。車体は年式の割りに丸さが目立ちますが、北村製作所製です。北村製作所では、大きなモデルチェンジがないままボディの製造を続けていました。
岩手22き199
撮影:岩手県交通ファン様(滝沢村役場前 2002.5)
岩手県交通 いすゞK-CJM500(1982年式)
撮影:岩手県交通ファン様(滝沢村役場前 2002.5)
神奈川中央交通から1989年に譲受した車両です。車体は富士重工の3Eタイプ。神奈中独特の横長の方向幕は、当初は左右を狭めて使用されていたようですが、この時は系統幕を新設してうまく活用されています。
個人的な話ですが、私はこのボディを見ると“その頃”に滝沢営業所にいた元京浜急行の同型車体のBU10Dを思い出します。年式はちょうど10年違うのですが、見た目はほとんど変わりません。元京浜急行は県交通では5年ほどで廃車になってしまいましたが、こちらは10年以上も活躍することができました。
岩手22き259
撮影:岩手県交通ファン様(滝沢営業所 2002.4)
岩手県交通 いすゞK-CJM500(1982年式)
撮影:岩手県交通ファン様(矢巾営業所 2003.5.10)
神奈川中央交通から1990年に譲受した車両です。車体は富士重工の5Eタイプ。1982年にモデルチェンジしたばかりのボディで、窓の大きさなど非常に斬新でした。これが岩手県交通に転入してきた頃も、まだ県内にはキュービックボディが少なく、新車のように見えたと聞いています。
なお、写真の「岩手22き259」は,県交通に来てからバンパーが川重車体のものに交換されています。
後姿の写真は廃車になった後の姿。左が元「岩手22き256」,右が元「岩手22き250」だそうです。
1982年製造→1990年岩手県交通移籍→2003年廃車。結局、神奈川より岩手での生活のほうが長かったということになります。
岩手22き168(廃車体)
撮影:岩手県交通ファン様(矢巾営業所 2003.3)
岩手県交通 いすゞK-CJM500(1982年式)
撮影:岩手県交通ファン様(盛岡バスセンター 2002.5)
神奈川中央交通から1989年に譲受した車両です。車体はいすゞの標準でもある川重車体。県交通オリジナルのK-CLM500とよく似ていますが、方向幕や窓の形で区別がつきます。
岩手県交通がこの世代の神奈中車を譲受したのはほんの1時期ですが、車体3メーカーが混在していました。標準尺車体の輸送力を生かして、盛岡市内線で長く活躍してきましたが、2003年に廃車になりました。
なお、右側の写真は車内です。元神奈川中央交通の証しともいえる赤いモケットのシートがそのままです。
神奈川中央交通の写真がありました
神奈川中央交通 いすゞK-CJM500
神奈川中央交通時代の同型車の写真がありました。撮影が1981年ですので、1980年式か1981年式。なので、後に岩手県交通へ譲渡された車両とは別の車両です。
この正面スタイルがまだ出始めの頃で,「新車だ!」と思って撮りました。横長の方向幕や正面窓下の小窓など,かたくなに神奈中仕様を貫いていますが,譲渡先ではこれが「元神奈中」の証しになります。
撮影:永山駅(1981.7.12)