その後の廃車体

自家用バス2(中型バス)

岩手県内にある自家用バスと思われる車両の廃車体のうち、中型車をここにまとめます。

廃車体
RM100

撮影:終点横川目様(岩手県 2009.5.24)

自家用 日野RM100(1967年式)
RM100

撮影:終点横川目様(岩手県 2009.5.24)

河川敷のグランドに放置された廃車体。ガラスは割られたのか一つとして残されていません。かつてはグランドの物置として使用されていたのかもしれません。
現役時代は白バスかレンタカーのようです。
金産ボディ。

廃車体
RM100

撮影:終点横川目様(一関市 2007.11.3)

自家用 日野RM100(1969年式)

日野の初期中型車のRM100です。Rの大きいスタンディーウィンドウが特徴。
通常このボディはヘッドライト2灯ですが、末期の車両で4灯(もしくはオーバル形)のものもあったようです。残念ながらベゼルが残るのみで、ライトそのものは失われています。

廃車体
RL100

撮影:終点横川目様(一関市 2008.5.4)

自家用 日野RL100
RL100

撮影:終点横川目様(一関市 2008.5.4)

自動車整備工場の裏庭にあったという廃車体。
日野の中型バスRL100は1970年に、それまでのRM100の丸型ボディからモデルチェンジを図り、自家用としての販路を広げました。屋根の丸さや側面窓の縦寸法などを見る限り、金産ボディの特徴が大きい車両です。フェンダの形状などからも、初期の車両であると想像できます。

廃車体
RL100

撮影:終点横川目様(北上市 2005.1.5)

自家用 日野RL100(1973年式)
RL100

撮影:終点横川目様(北上市 2005.1.5)

和賀町内で送迎バスに使用されていたという中型バスの廃車体。後部に帝国ボディのプレートが見えます。
このRL100という型式は自家用に多く見られ、またこのような観光ボディが主流でした。この車両は、社名表示板が後付なのか大型なのが特徴です。

廃車体
RL300

撮影:長谷川竜様(岩手県 2014.7.13)

自家用 日野RL300

建設会社の敷地に置かれた送迎バスの廃車体。多分倉庫として利用されているのだと思われます。
正面には社名表示窓付き。

廃車体
RL300

撮影:長谷川竜様(岩手県 2013.6.1)

自家用 日野RL300

農家の奥に置かれた中型バス。岩手農協という文字が見えますが、カラーデザインの下からは赤い色も見えています。正面の社名表示窓は五角形でちょっと恰好をつけています。
長さが分からないので型式は推定です。

廃車体
RL300

撮影:終点横川目様(紫波町 2009.1.10)

自家用 日野RL300

自家用の中型バスで短尺車。向かって右のヘッドライトの上にスクールバスのシールを貼った三角の跡があります。

廃車体
RL320

撮影:終点横川目様(遠野市 2007.11.3)

自家用 日野RL320

日野の中型車で自家用仕様。塗装の下から明るい緑色が見えていますが、自家用カラーを多少修正した程度のようです。
(コースター乗り様によると、2008年3月現在撤去済み)

廃車体
RL320

撮影:岩手県交通ファン様(沢内村 2005.6.11)

自家用 日野RL320

下の車両とほとんど同じ自家用カラーの中型車。側面最後部の窓の大きさから、長さが異なることが分かります。
同じような色使いのカタログカラーですが、下の車両に比べるとちょっと古い感じの塗り分けです。

廃車体
RL301

撮影:岩手県交通ファン様(滝沢村 2005.4.19)

自家用 日野RL301

自家用の中型バスの廃車体。何の変哲もないと言ってしまえば元も子もないですが、巷にあふれていた日野の中型車で、カタログカラー。
ドア側のエンジン通気孔がないので、1979〜81年のRL301だと思われます。上の方のRL100と比べてみても、あまり進化していないように感じてしまいます。

廃車体
RL3200

撮影:左党89号様(九戸村 2005.3.26)

自家用 日野RL320

自家用のRL320ですが、下の雫石町のものと色も形も同じに見えます。廃車体が動いた可能性もあるかと思いましたが、錆具合が異なるのと、偶然にも雫石町のものをその後に岩手県交通ファンさんが撮影していたので、別物であるのは明らかです。

廃車体
RL320

撮影:一関市民様(雫石町 2004.10.7)

自家用 日野RL320
RL320

撮影:岩手県交通ファン様(雫石町 2005.4.4)

ホテルの送迎バスに使用されていたらしい日野の中型バス。2扉でバックテレビ付なので,元は路線バスのように見えますが,どうでしょう。前ドア脇に方向幕とも出入り口表示ともとれる小窓があります。
中央部の下にある網窓は冷房用エンジングリル。そしてその上の窓柱が太いのは,ダクトが通っているからです。この時期の中型路線バスで冷房車というのは,東北地方ではあまり見られません。
この型式は1975〜79年の間に生産されています。

廃車体
RL321

撮影:終点横川目様(奥州市 2008.10.18)

自家用 日野K-RL321
RL321

撮影:終点横川目様(奥州市 2008.10.18)

山の中で休憩所になっている青森営林局のバスの廃車体。車内には畳が敷かれ、薪ストーブも置かれているそうです。
車体はライト類がきれいに埋められている以外は原形をとどめており、劣化の進行も止まっているように見えます。

廃車体
CCM370

撮影:終点横川目様(遠野市 2007.11.23)

自家用 いすゞCCM370

柿の木(?)の下にたたずむ中型バスの廃車体。側面に「ジャーニーK」のネームプレートも残ります。
飾り気のないカタログカラーのままの自家用バスは、当時は目に留まることもなかったのですが、中型バス市場が広がるにつれ路線バスにも進出し、存在感を増したように思います。
型式は推定。1970年代のスタイルです。

廃車体
CDM370

撮影:一関市民様(一関市 2008.12.14)

自家用 いすゞCDM370

温泉旅館の送迎バスだったいすゞジャーニーの廃車体。フロントグリルの形状から後期の車両と思われます。型式は推定。

廃車体
RM90E

撮影:終点横川目様(金ヶ崎町 2007.5.13)

自家用 日産デRM90E
RM90E

撮影:終点横川目様(金ヶ崎町 2007.5.13)

病院の自家用バスだった車両。短尺車のように見えます。
三菱MK同様、自家用バスとしては定番の車両で、カタログカラーも似通っています。

廃車体
RM81E

撮影:岩手県交通ファン様(滝沢村 2005.3.18)

自家用 日産デP-RM81E

青森県のゴルフ場で使用されていた中型車。富士重工の6B型ボディで、自家用バスとしてはかなりポピュラーな型式です。
この場所は廃車置場ということで、手前の廃車がなくなったので姿を現したということだそうです。

廃車体
MR620

撮影:終点横川目様(北上市 2007.5.12)

自家用 三菱MR620
MR620

撮影:終点横川目様(北上市 2007.5.12)

三菱の初期の中型車で、前後同一プレス、ステンディングウィンドウ付メトロ窓のMR620です。
撮影者によると工場の送迎バスに使われていたようだとのことですが、京成風の塗装です。このカラーはたまに自家用バスに用いられているのを見ることがあります。

廃車体
B623E

撮影:長谷川竜様(岩手県 2014.6.21)

自家用 三菱B623E(1974年式)

林道に置かれた企業の送迎バス廃車体。倉庫としての利用でしょうか。
呉羽ボディの丸みのある車体が特徴で、後面の通気孔が3枚ありますので、MR620の後継となるロングサイズのB623Eだと思われます。

廃車体
MK115F

撮影:終点横川目様(北上市 2008.3.22)

自家用 三菱MK115F

北上市内の専門学校の送迎バスの廃車体。1976〜79年ごろの車両。自家用バスの中型車といえば、この時代は三菱車の割合が非常に高かったような記憶があります。
メーカーのカタログデザインとしては、安価で飽きの来ないこのようなツートンがどのメーカーも多く、青、緑、オレンジなどの中から色だけは選択できたようです。送迎バスのデザインが全国どこに行ってもよく似ているのはそのためです。

廃車体
MK116H

撮影:一関市民様(金ヶ崎町 2003.9.21)

自家用 三菱MK116H
MK116H

撮影:幹アキいーろく様(金ヶ崎町 2024.3.10)

三菱の中型車の廃車体。このスタイルで後部窓が大きく,側面最後部の窓が台形なのは1976〜79年式だと思われます。
この車両自体は,自家用バスとしてかなり流通していた車種なので,特筆すべき点はないのですが,付近のRC300Pと同じカラーデザインなのが気になります。
20年以上経った後の画像を幹アキいーろく様から頂きましたが、黒で抹消した「大井電気(株)水沢製作所」の文字が読み取れたとのことです。

廃車体
MK116F

撮影:一関市民様(和賀町 2003.8.23)

自家用 三菱MK116F(1979年式)

自家用バスとしては最もポピュラーなモデルだった三菱MKのモノコックボディ。側面最後部にダクトが見えることから,1979年式以降。
カラーデザインもメーカー標準の見慣れたカラーですが,赤いラインが追加されています。

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