“その頃”別の角度から
岩手県交通10(国際興業譲受車)
ここでは、1980年代に撮影した岩手県交通の頂き物写真を掲載します。国際興業からの譲受車をまとめてみます。
岩22か229
撮影:板橋不二男様(河南営業所 1982.12)
岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)
岩手中央バス時代の1972年に国際興業から譲受した車両で、既に譲受から10年が経ち、岩手県での生活のほうが長くなっています。
もっともそろそろ廃車になる頃で、古い大型車が辿るスクールバス用途に落ち着いてます。「盛岡市立高校スクール」と出ています。
岩22か250
撮影:53様(盛岡バスセンター 1982.1)
岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)
岩手中央バスが1972年に国際興業から譲受した車両です。
製造後7年目の譲渡というのは早すぎる気がしますが、1970年に国際興業グループ入りした岩手中央バスを援助する意味があったのかも知れません。
岩22か789
撮影:53様(盛岡バスセンター 1982.8.6)
岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)
撮影:53様(盛岡バスセンター 1981.8.5)
元国際興業の丸型BU10ですが,バンパーが次世代の川崎ボディのものと思われる小ぶりのものに交換されています。
なお,後ろ姿の写真の向こうに写っている県南バスカラーの車両は,撮影者によると岩22か176(前ドアのBU10P)です。この車両は1984年には県交通カラーに塗り替えられていました。最初は県南カラーのまま雫石営業所に配置されていたことが分かります。
岩22か795
撮影:53様(盛岡バスセンター 1982.1)
岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)
国際興業カラーですが、中でもこの車両は正面の部分が塗り直されたのか、濃いグリーンがなく、単純な塗り分け線に変わっています。
岩22か802
撮影:53様(盛岡バスセンター 1982.8.13)
岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)
こちらは一見なんの変哲もないようですが,側面のデザインが塗り直しの際にか簡略化されていて,ただの三角形になっています。
方向幕は「滝沢営−市立病院」と出ていますので,青山町線。滝沢営業所の車両でしょう。
岩22か803
撮影:53様(盛岡バスセンター 1982.8.13)
岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)
元国際興業の丸型BU10。車体側面に2088という国際興業時代の車番が残っているほか,正面窓下の「ひげ」デザインが完全に残されています。他の車両に比べて錆具合が進行していることから,譲受時に塗り直しが行われなかったものと推察できます。
方向幕は「羽場小学校・十文字経由盛岡駅」との表示なので、本宮線。矢巾営業所の車両です。
岩22か804
撮影:若松様(1982)
岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)
元国際興業の丸型BU10です。
岩手県交通成立前後の時期に、国際興業時代のカラーのまま盛岡市内に大量に転入してきています。
これを撮影した頃は、まだ盛岡市内線の主力車両だったと思われます。
岩22か827
撮影:53様(盛岡バスセンター 1982.8.13)
岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)
撮影:53様(盛岡バスセンター 1982.8.13)
やはり丸型BU10です。この車両の特徴は,正面方向幕上のマーカーランプが撤去されていることです。この特徴と後面の広告から,矢巾営業所近くにあった廃車体がこの車両ではないかと,撮影者は推察しています。
方向幕には「黒石野−盛岡バスセンター」と出ており,上田線であることが分かります。黒石野営業所の所属車でしょうか。
岩手県交通 いすゞBU10(1966年式)
撮影:里の杜のメルファ7様(盛岡駅 1982.11.7)
岩22か1274
国際興業カラーのまま活躍する盛岡市内のいすゞBU10。
KKKのロゴは広告版などで隠れていますが、元の車番である2186が見えています
岩22か1305
撮影:53様(盛岡駅 1982.1)
岩手県交通 いすゞBU10(1966年式)
1979年に国際興業から譲受したもので、この時期まではこのカラーのままで就役していたようです。駅ビルはできていますが新幹線開業前でバスのホームはまだありません。
駅ビル「フェザン」の壁には「東北新幹線開業まであと174日」とカウントダウンボードが出ています。ということは撮影日は1月1日でしょうか。
方向幕には「松園ニュータウン−盛岡駅」の文字がありますので、当時の松園外山岸線です。
岩22か1306
撮影:若松様(河南営業所 1982)
岩手県交通 いすゞBU10(1966年式)
元国際興業のBU10で、1979年の登録です。
モデルチェンジ後の川崎ボディも、国際興業カラーのままで相当数が入ったようです。
岩手県交通 いすゞBU10(1966年式)
撮影:53様(釜石営業所 1985.8)
岩22か1432
元国際興業のBU10。このタイプはかなり長期間に渡って譲受されたようで,この車両の登録は限りなく1980年に近い1979年です。しかし、1985年にはほとんど姿を消しました。
この年式は,後部のエンジン点検蓋の通気孔の形状が特徴です。テールライトは,この年式ではもっと下にありましたが,これを標準位置に移設する際に,通気孔が一部変形したまま残りました。この変形具合も,車両によって多少異なるようです。
岩22か1599
撮影:53様(盛岡駅 1982.8)
岩手県交通 いすゞBU10(1966年式)
一連の国際興業からのBU10の中では最も遅い、1981年の登録番号をつけている車両。色は県交通カラーに塗り替えられています。年式は変わりませんので、譲受が遅かったのではなく整備・登録が遅かったものと推察できます。
しかも、撮影者によると、この車両1982年11月には廃車になったとのこと。1年ほどしか活躍できなかったことになります。
留置車
撮影:板橋不二男様(一関営業所 1982)
岩手県交通 いすゞBU06(1972年式)
撮影:板橋不二男様(一関営業所 1982)
国際興業で廃車になり、一関営業所で留置されているBU06です。しばらくの間、国際興業からの譲受車は途絶えていましたが、この年から再び大量に転入してきます。特にこの型式は、盛岡市内に集中配置されました。
国際興業時代の車番は、ドア側の写真は3076、非常口側の写真が3079です。隣りには3078もあります。
岩22か1800
撮影:53様(矢巾営業所 1985.8)
岩手県交通 いすゞBU06(1972年式)
盛岡市内線でまだ全盛期だった頃のBU06です。写真は矢巾営業所の所属車両で,白百合学園スクールの幕が出ています。