“その頃”別の角度から
岩手県交通9(元岩手県南バス・観光タイプ)
ここでは、1980年代に撮影した岩手県交通の頂き物写真を掲載します。元岩手県南バスの観光タイプの車両をまとめてみます。
岩2く1641
撮影:53様(北上駅 1984.8.8)
岩手県交通 いすゞBU15P(1970年式)
撮影:53様(北上駅 1984.8.8)
帝国ボディのいすゞ車。岩手県南バスが新車で購入したものですが、こういう変わった組み合わせを新車で入れるあたり、県南バスというのも不思議です。
私も同じ頃この車両と初めて対面し、最初に目に入ったのがいすゞのエンブレムだったせいもあり、一瞬どこのボディメーカーなのか分からないくらい混乱したものです。
岩2く1631
撮影:53様(一関営業所 1984.8.6)
岩手県交通 三菱B805K(1970年式)
撮影:53様(一関営業所 1984.8.6)
上のいすゞ車とともに県南バスが新車購入した貸切車。呉羽ボディのずんぐりしたスタイルです。
社名表示はそのままで、行き先を歓迎用紙入れに入れています。「中尊寺」と出ていますが、地方の観光地らしい雰囲気が出ています。そんな長い距離ではなくても、旅行中に観光バスのような車両が来ると、得した気分になります。
岩22か10
撮影:53様(一関市 1983.8)
岩手県交通 三菱B805K(1971年式)
1971年の貸切バスは三菱のみになり、前年度製と異なり、冷房がついています。
この時は、前面と側面に大型看板を付け、一関の定期観光バスに使用されていました。
岩22か267
撮影:53様(盛岡バスセンター 1982.1)
岩手県交通 日野RC100P(1966年式)
富士重工製ボディの日野車で、岩手県南バスがどこかから譲受した車両だと思われます。モールの上にある日野のエンブレムが小型です。
正面窓上は明かり窓のため方向幕がなく、社名が表示されています。正面窓の中に「盛岡〜遠野」と書いた紙を貼っています。
岩22か344
撮影:53様(雫石営業所 1983.8.)
岩手県交通 日野RC100P(1967年式)
岩手県南バスカラーの車両が雫石営業所にも配置されていました。社名表示窓のあった位置には大きな行き先板入れが設置されており、「雫石中スクール 鶯宿温泉」の文字が入っています。
隣の県南バスカラーは日野RC300P岩22か427です。いずれの車両も年内に廃車になったそうです。
岩22か569
撮影:板橋不二男様(水沢営業所 1982)
岩手県交通 日野RC100P(1967年式)
左側の車両について説明します。
このスタイルの中では最終年式で、前ドアのまま残っていた観光タイプ。1974年に譲受していますが、前歴は不明。
県南バスに多かったこれらの観光タイプも、そろそろ姿を消す頃だと思います。
岩22か395
撮影:板橋不二男様(水沢営業所 1982頃)
岩手県交通 日野RC300P(1968年式)
岩手県南バス時代の1973年に3両を譲受している貸切車で、これといった特徴がないので、前歴も分かりません。非冷房車なので、県南バスカラーのまま廃車になったようです。
左端の県交通カラーは、下の車両の僚車の岩22か600で、県交通カラーに塗り替えて、まだまだ使います。
岩22か600
撮影:53様(花巻営業所 1984.8.7)
岩手県交通 日野RC100P(1967年式)
撮影:53様(花巻営業所 1984.8.7)
岩手県南バスが富士急行から譲受車した車両です。正面スタイルは垂直になった次世代RE系のスタイルですが、後面は流線型ボディのスタイルです。その後面窓ですが、通常の3枚ガラスが4枚ガラスになっているのが特徴です。
同じころ私も見ている車両で、やはり新鉛温泉の新幹線リレー急行バスに使用されています。
岩22か601
撮影:板橋不二男様(一関営業所 1982頃)
岩手県交通 日野RC100P(1967年式)
富士急行からの譲受車で、1975年に何両かが県南バスに来ています。冷房付の高出力車ということで、貸切バスに使用されていました。
富士急行時代は中央高速バスに使われていた車両で、側面に車外スピーカーがあります。