“その頃”別の角度から
53様(1989年撮影)
53様からいただいた写真です。1989年ですので、私は既に岩手県を離れていましたが、80年代最後の年、新しい仲間が加わりつつありました。特に神奈川中央交通からの転入車は、盛岡市内線用では初めての冷房車で、経年7〜8年程度の中古車はお買い得だったと思われます。
岩手22き183
撮影:53様(巣庫車庫 1989.9.13)
岩手県交通 いすゞK-CJM500(1981年式)
1989年に転入して間もない元神奈川中央交通の北村製作所製ボディです。幅広の方向幕は両端をふさいで使用、助手席側の小窓は「運賃後払い」の表示窓として継続使用しています。
北村ボディのこの顔は、岩手中央バス引継ぎ車や釜石地区にあった譲受車に見られましたが、いずれも初期のもの。こちらはサッシ窓、視野拡大窓などある程度近代化された末期のものです。
岩手県交通 いすゞK-CJM500(1982年式)
撮影:53様(滝沢営業所 1989.9.11)
岩手22き171・191
元神奈川中央交通の北村製作所ボディの後姿2台並びです。
岩手22き171のほうは既に広告板が取り付けられていますが、岩手22き191はまっさらな状態です。
岩手22き199
撮影:53様(滝沢営業所 1989.9.11)
岩手県交通 いすゞK-CJM500(1982年式)
撮影:53様(滝沢営業所 1989.9.11)
こちらは同じ元神奈川中央交通でも富士重工製ボディ。3E型ボディとしては最後の年式で、この次の年には次世代の5Eボディも岩手県交通入りしています。
この頃までは、神奈川中央交通も若年式の車両を廃車にしており、地方の会社にはありがたい存在でした。岩手県交通では盛岡市内線の冷房化の皮切りになりました。
岩手県交通 いすゞBU04(1976年式)
撮影:53様(矢巾営業所 1989.9.11)
未登録車
こちらは国際興業から譲受して整備が終わった状態のBU04です。同じ年に入った上の元神奈川中央交通と年式で5年の差があります。まだ冷房もありません。
未登録車
撮影:53様(矢巾営業所 1989.9.11)
元国際興業 いすゞBU04(1976年式)
国際興業から譲受し、留置中の車両。車番は3352です。
岩手県交通ではこれら国際興業からの譲受車を自社工場で整備していたので、矢巾などには常にこれから仲間入りする車両が留置されていました。
廃車体(岩22か725)
撮影:53様(矢巾営業所 1989.9.11)
岩手県交通 日野RE100(1976年式)
同じときに廃車になって留置されている車両。年式はこれから入るBU04と同じなのですが、日野車ということで早く廃車になってしまいました。外観的にもバス窓なので古く見えます。
岩22か724
撮影:53様(一関営業所 1989.9.12)
岩手県交通 日野RE100(1976年式)
上の車両と同期の日野車ですが、県南地区ではまだ現役でした。活躍場所が県南地区ということで遅くまで県南バスカラーでしたが、1987年前後に県交通カラーに塗り替えられています。
上の車両は盛岡市内に抜擢されていた結果、早くに廃車になりましたが、県南地区にとどまった車両はもう少し長生きできたようです。
岩22か721
撮影:53様(一関 1989.9.12)
岩手県交通 三菱MR410(1976年式)
やはり県南地区ではまだ現役の元岩手県南バスの三菱車。こちらも県交通カラーに塗り替えられています。三菱車の場合、同じ1976年式だと県南バス時代と県交通成立後の車両とでは仕様が同じなので、塗り替えられるとどちらなのか区別がつきません。
岩22か1799
撮影:53様(巣子車庫 1989.9.13)
岩手県交通 いすゞBU06(1972年式)
こちらは盛岡地区の最古参車。大量に転入したBU06ですので、既にかなりの廃車が進んでいる頃です。
写真の車両は正面窓上の塗り分け線がひさしの下に回りこんでいて“しかめ面”に見える車両。BU06には何両かありました。
正面のエプロンには「盛岡−仙台」が9月21日、「盛岡−八戸」が9月27日にスタートすると書かれています。