1970年代奥の細道
宮城交通4(元宮城バス・・・いすゞ)
板橋不二男様から頂いた1970年代撮影の宮城交通の写真を掲載します。ここでは、元宮城バスのいすゞ車を紹介します。
宮城バスは宮城県北部の仙北地区を営業エリアとする事業者でした。宮城バスの前身は仙北鉄道で、1964(昭和39)年に宮城バス(旧)を合併した際、社名を宮城バス(新)に改称しています。ちなみに宮城バス(旧)の前身は、仙台鉄道、塩竈交通、古川交通の3社で、いずれも経営難から仙北鉄道の傘下となっていた会社でした。
岩手県北バスとよく似た窓下3本ラインのカラーで、宮2く2000番台の登録番号でした。
宮2く2466
撮影:板橋不二男様(吉岡営業所 1978)
宮城交通 いすゞBU15P(1966年式)
元は貸切車だったと思われるメトロ窓車。変わった形の観光マスクと、正面窓2枚ガラスという仕様。窓ガラスは青色です。
山本様によると、前面方向幕は、貸切時代は横長の明かり窓だったそうです。型式も山本様より。
宮2く2481
前中ドア車の後ろ姿。(右端)
宮城交通 いすゞBA741(1966年式)
撮影:板橋不二男様(気仙沼総括営業所 1975.9)
宮2く2532
撮影:板橋不二男様(南仙台営業所 1977.5.7)
宮城交通 いすゞBU15P(1967年式)
宮城バスカラーのメトロ窓車。側面と正面にリブがあり、赤い3本ラインがそのリブに沿って展開しています。宮城バスの貸切車には、こういう仕様が見られます。正面窓2枚ガラス、扉窓は通しガラスで、エアサス。
山本様によると、前面方向幕は、貸切時代は横長の明かり窓だったそうです。
方向幕は「上野山小学校」。
宮2く2544
撮影:板橋不二男様(石巻営業所 1977.5.7)
宮城交通 いすゞBU05P(1967年式)
川崎ボディの前ドア車。宮城バスは、採用するボディメーカーがバラエティに富んでいます。
前ドア次位の方向幕に石巻〜船越間の路線である旨、表示されています。
宮2く2551
撮影:板橋不二男様(南仙台営業所 1977.5.7)
宮城交通 いすゞBU05P(1967年式)
元々は上の車両と同型車だったものの、中ドアを増設してワンマンカーに生まれ変わっています。元からあった前ドア脇の方向幕に加え、中ドア脇にも方向幕が設置されています。
宮2く2552
撮影:板橋不二男様(吉岡営業所 1978)
宮城交通 いすゞBU05P(1967年式)
続き番号ですが、こちらは北村製作所製ボディ。やはり前ドア車に中ドアを増設する改造車。側面方向幕が2か所ある点も同じです。
この時点では、中乗り前降りになっていますが、側面方向幕は前ドア次位のものを使っています。
宮2く2593
撮影:板橋不二男様(北仙台営業所 1977.5.7)
宮城交通 いすゞBU15P(1968年式)
こちらは貸切バスのまま残る車両ですが、宮城バスカラーのまま塗り替えていないのはなぜでしょうか。
型式・年式は山本様によります。
宮2く2595
撮影:板橋不二男様(仙台市 1977.5.7)
宮城交通 いすゞBU15P(1968年式)
撮影:板橋不二男様(北仙台営業所 1977.5.7)
上の宮2く2593と同型車。営業所シールは「津」です。
「一般貸切」の文字がありますが、窓の中には「急行北仙台」という紙を表示しており、路線バスに使われています。
宮2く2601
撮影:板橋不二男様(北仙台営業所 1977.5.7)
宮城交通 いすゞBU05P(1968年式)
宮城バスカラーの前ドア車で、この時点では中距離路線バスとして使われています。方向幕は「急行志津川」。側面に「志」のシールがありますので、配属も志津川営業所。
正面にあったと思われる社紋は綺麗になくなっています。
宮2く2680
撮影:板橋不二男様(吉岡営業所 1978)
宮城交通 いすゞBU05(1969年式)
前中折り戸のワンマンカーですが、前ドアの丈が低いので、中ドア車に前ドアを増設してワンマン改造した車両だと分かります。
隣りは元宮城中央バスの宮2く4171で、正面窓上に横長の明り窓を持つ富士重工製ボディ。
宮2く2689
撮影:板橋不二男様(南仙台営業所 1977.5.7)
宮城交通 いすゞBU05(1969年式)
上の写真と同一ロットで、改造内容も同じです。この年式から、正面中央の標識灯がなくなっています。