1970年代奥の細道
岩手県交通9(路線タイプ)
板橋不二男様から頂いた1970年代撮影の岩手県交通の写真を掲載します。ここでは、岩手県交通になってから導入された路線バスをまとめます。
岩22か800
撮影:板橋不二男様(北上営業所 1977)
岩手県交通 日野RB10(1967年式)
1976年に神奈川中央交通から譲受した車両。側面の出入口表示窓が横長で、神奈川中央交通の分かりやすい特徴があります。また正面屋根上に標識灯付。
岩手県交通成立後の納車ですが、1番違いの岩22か799は県南バスカラーで出場しており、この車両が県交通カラーをまとった第1号車ではないかと思われます。ちなみに、これより後に県南バスカラーで出場した車両もあります(岩22か806)。
岩22か823
撮影:板橋不二男様(北上営業所 1977)
岩手県交通 日野RB10(1965年式)
1976年に譲受された車両ですが、こちらは元京浜急行。外観はほとんど神奈川中央交通と変わりませんが、2年ほど古い車両です。
窓の中に小さな行き先表示板を付けています。ワンマン表示看板は白板で、暫定的にツーマン使用されているようです。
岩22か886
撮影:板橋不二男様(釜石営業所 1977)
岩手県交通 いすゞBU05(1967年式)
1977年に常磐交通から6両が入ったもので、北村製作所製ボディが特徴。開いた前ドアから見える車内に、上部のパイプが波型をしている茶系のカラーのパイプ椅子が見えます。
まだ納車間もない頃の撮影で、塗られたばかりの県交通カラーがきれいです。
岩22か938
撮影:板橋不二男様(平泉駅 1977.7.20)
岩手県交通 日野RE100(1968年式)
1977年に神奈川中央交通から譲受した車両で、撮影時点で納車間もないころだと思います。みんな新車だと思って乗っていたことでしょう。
この時期、神奈川中央交通からはRE100(1968年式)が来ていましたが、京浜急行からはRB10(1966年式)が入っており、仕様の似ている両社でも、車両の廃車時期は異なっていたことが分かります。
岩22か1023
撮影:板橋不二男様(千厩営業所 1978)
岩手県交通 日野RB10(1966年式)
1977年に京浜急行から譲受した日野RB10の中で、富士重工製ボディを持つもの。
正面のワンマンを表示する板は、ドアコックを避けてちょっと左に寄っています。そこに表示されている通り、中ドアから乗って前ドアから降りる後払い方式を採用しています。
岩22か1033
撮影:板橋不二男様(大東営業所 1979以降)
岩手県交通 日野RB10(1966年式)
1977年に京浜急行から譲受したもの。大東営業所にもワンマンカーが増えはじめます。
右側で後ろ姿を見せているのは岩22か1131で、神奈川中央交通から譲受の日野RE100。
いずれもまだ入りたてのピカピカです。
岩22か1107
撮影:板橋不二男様(一関営業所 1978)
岩手県交通 日野RE100P(1968年式)
1978年に岩手県北バスから譲受した車両。連番で岩22か1106と2両が帝国ボディ、そのほかに金産ボディが何両かありました。
県北バスは花巻バスの株主だった関係があり、この時期の2扉車の譲渡につながったのだと思われます。
方向幕は「千厩」。千厩営業所の配置車両が、一関営業所で休憩中なのだと思います。
岩22か1120
撮影:板橋不二男様(一関営業所 1978)
岩手県交通 日野RE100(1968年式)
1978年に横浜市交通局から譲受した車両で、正面窓上のラインが水切り状になっています。
撮影者提供の資料によると、岩22か1124が同形車ということです。
方向幕は「落合」。萩荘線です。
岩22か820
撮影:板橋不二男様(平泉駅 1977.5.20)
岩手県交通 三菱MR410(1976年式)
岩手県交通成立後の自社発注車の中で、県南バスエリアに配置された車両は、県南バス仕様を引き継ぐ短尺車で、いすゞ、日野、三菱の3メーカーで導入されました。その中で、1976年式の三菱は3両のみの少数派。
写真は新製後1年に満たない新車同然の時期。県交通カラーがまぶしく輝きます。
なお、私が岩手県で生活を始めた1984年には、この車両を含む3両とも盛岡市内線に転用されていました。
岩22あ50
撮影:板橋不二男様(北上車庫 1982頃)
岩手県交通 いすゞDBR370
車の車内から撮られた写真で、ナンバープレートなどがよく見えませんが、北上車庫に停車中のマイクロバスが見えます。これは、中型バスRM100の後継として夏油温泉線に使用されているマイクロバスのようです。
前所有者などの詳細情報は分かりません。(注1)