1970年代奥の細道

岩手県交通7(元中央バス←花巻電鉄引き継ぎ車)

板橋不二男様から頂いた1970年代撮影の岩手県交通の写真を掲載します。
ここでは、元岩手中央バスの車両の中から花巻電鉄から引き継いだ車をまとめます。
なお、岩手ナンバーでの登録順に並べます。

岩2く5043
岩2く5043

撮影:板橋不二男様(河南営業所 1978)

岩手県交通 三菱MAR490(1965年式)

花巻電鉄が貸切バスとして導入した三菱車で、岩手中央バスに引き継がれたのち、岩手県交通となり、この時は雫石方面の路線で使用されています。色はもちろん、花巻電鉄の社紋もそのままです。
「雫石経由急行網張国民休暇村」と方向幕に表示されています。

岩2く5046
岩2く5046

撮影:板橋不二男様(大迫営業所 1981)

岩手県交通 いすゞBU10P(1966年式)

花巻電鉄で貸切バスとして導入されたいすゞ車。この時は、県交通カラーに塗り替えられていました。花巻電鉄出身車で県交通カラーになったのは、この1両のみと思われます。さらに川崎ボディのこのスタイルでの県交通カラーもこれ1両だけです。
窓の中には「折壁」の紙。早池峰線で使われているようです。

岩2く5050
岩2く5050

撮影:板橋不二男様(河南営業所 1981頃)

岩手県交通 三菱MAR490(1967年式)

花巻電鉄が1967年に増備した貸切車で、ヘッドライトが4灯に変わっています。
側面の緑色帯の所の社名の上から「岩手県交通」の文字が貼られていますが、花巻電鉄の社紋はそのままです。
この時は「急行雫石経由網張」と表示されており、雫石方面の観光路線に転用されています。

岩2く5056
岩2く5056

撮影:板橋不二男様(花巻営業所 1979頃)

岩手県交通 いすゞBA30(1967年式)

花巻電鉄が1967年に4両導入した路線バスのうち、北村製作所製ボディの1両。岩手中央バスカラーに塗り替えられています。同形車の岩2く5057は盛岡地区に転じています。
右隣の川崎ボディは5054で、やはり中央バスカラーに塗り替えられています。

岩2く5059
岩2く5059

撮影:板橋不二男様(大迫営業所 1981頃)

岩手県交通 三菱B805J(1969年式)

花巻電鉄が貸切バスとして導入した三菱車。側面の緑帯の所にローマ字で社名が書いてありますが、ローマ字のまましっかりと岩手県交通に書き直されています。
この時は、大迫営業所で貸切兼用車として使われているようで、方向幕には「大迫」と出しながらも、側面には「貸切」の札を入れています。

岩2く5058・5060
岩2く5060

撮影:板橋不二男様(花巻営業所 1979頃)

岩手県交通 三菱B805J(1969年式)

上の5059を含めて3両あった同形車の、2両並び。
この時点で10年選手ですが、まだ貸切バスとして使われています。
合併先の岩手中央バスでは貸切部門を分離しており、貸切車両も貸切カラーもなく、花巻電鉄の車両がそのまま使われたのだと思われます。

岩2く5061
岩2く5061

撮影:板橋不二男様(花巻駅 1977.3.20)

岩手県交通 いすゞBU10(1969年式)

花巻電鉄が1969年に鉛温泉電車線の廃止代替路線のために新造した5両のうち、2両は北村製作所製のボディでした。
北村製作所製の2両は、花巻電鉄カラーのまま、花巻地区に残って活躍を続けていました。

岩2く5065
岩2く5065

撮影:板橋不二男様(盛岡営業所 1977.7.14)

岩手県交通 いすゞBU10(1969年式)

花巻電鉄が1969年に鉛温泉電車線の廃止代替路線のために新造した5両のうち、川崎ボディが3両ありました。この車両は、岩手中央バスカラーに塗替えの上、盛岡地区に転用されていました。標準尺の輸送力が買われたのでしょう。

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